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「ぼくたちの哲学教室」

北アイルランド、ベルファストの男子小学校で実施されている哲学の授業を2年間にわたって記録したドキュメンタリー。

北アイルランドには、学齢期の子どもたちのソーシャルスキルの獲得に哲学を活用するとともに、哲学的な対話を通じて子どもたちの考える力を育てることを経営理念に据えた学校がある。その柱となるのは、校長先生が受け持つ、おそらく日本でいうところの道徳の時間だ。

ベルファストの街は、戦争の記憶や宗教的な対立があちこちに刻まれ、ドラッグや暴力が幅を効かせている。子どもたちはオンラインで死やポルノに簡単に手が届く。子どもたち、そして子どもを取り巻く大人たちの人生は厳しい。でも、学校の先生たちは、社会の負の連鎖を子どもたちの知性を育てることで断ち切りたいと考えていた。

彼らが伸ばしたい知性は、社会に横たわる「あたりまえ」や「ふつう」に疑問を持てる知性だ。提案するソーシャルスキルも、型通りの表層的なものではない。

原題は、Young Plato。子どもへの問いに正解はなく、先生たちも問題のない人生を送っているわけではない。カメラに映る人たちは、内省し、自問し、メタ的な視点を獲得しようともがき続ける。校長先生は初めから哲学ありきでカリキュラムを作ったのではなく、この混沌とした地域社会で、自らの力で生き抜く子どもを育てるには、哲学の力を借りるしかないと考えたのでは。

他者の意見を聴き、考え、他者への理解を介して自分と向き合う。対話を通じ、どんな意見にも価値があることを学ぶ。それは即ち、どんなあなたにも価値があるということだ。若きプラトンも、このようにして哲学の礎を築いたのだろうか。

私は、若い人たちに、考えることを放棄しない大人になってほしい。しかしその前に、私たち大人が社会の「あたりまえ」や「ふつう」を問い、考え続けなければならないと思う。

予告を観た時に想像したものとは違って、きれいごとのないドキュメンタリーだった。抗いがたい日常に抗っていこうとする大人たちの、力強さと無力さと諦めなさを、そのまま伝えようとするものだった。

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