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寂しさは本当の気持ちとの矛盾

ここ10年くらい、自分の中にずっと「寂しさ」がある。
それは、誰かに会えなくて寂しいなぁ…とかの種類とも違う、もっと深い錘のようなもの。
私は基本的にひとりが好きだ。(ひとりが好きな寂しがり屋)
それでも、この「寂しい」は湧いてくる。
何だろう?とずっと考えている。

以前「寂しいと感じるのは自分自身との距離感」という事を聞いて、ドキッとしたのを覚えている。
自分自身との距離感。自分を受け入れていないということか?
この事について、もう少し深掘りしてみようと思う。

寂しいと思うときはどんな時か?

「寂しさ」にも色んな要素がある。
怒りや悲しみ寄りの、感情がグッと詰まった寂しさから、むなしさや空虚寄りの、感情にぽっかり穴が開くような寂しさまで。

私が「寂しいなぁ」と感じる時。
・好きな事に心が寄せられない時
・自分の想いを表現する時にぴったりの言葉が見つからない時
・大切な人に本音が言えない時
・深さの違う会話が続く時
・相手から何の反応もない時 
などなど。

例えば…
好きな事に心が寄せられない時。
効率&成果を重視したインスタントな毎日が続くと、わかりやすくこの状態になる。日常の中で、手に取って大事にしたい事、ゆっくり考えたい事が、手のひらからポロポロとこぼれ落ちていくような感覚。
心や物事の機微をスルーする日々は、心がモノクロになったようで寂しくなってくる。

大切な人に本音が言えない時。
大切な人の前で正直にいられない自分。何だか嘘をついているようで、寂しい。

深さの違う会話が続く時。
人によって会話スタイルはそれぞれで、大切な人とでも会話の深さは違う。もちろん雑談やライトな会話も必要だ。でも、それがずっと続くと空しくなって、帰り道は空虚感でため息が出る。
会話しながら自分を探ったり、相手はどう考えるんだろう?のやり取りをしたいんだろう。知りたがりの本来の気質が現れる。

寂しさを因数分解して見えた正体

寂しさを因数分解していくと、
私は自分の本当の想いや感性にフタをして、我慢が続くと寂しいと感じるようだ。
自分の想いや感性=自分自身。
これにフタをするのは、自分自身を知らんぷりしている事。
自分が拗ねてしまっている状態。
これが冒頭の¨自分自身との距離感¨ということなんだろう。

感情は、辻褄合わせの合図

私の場合、本当の自分は「おい、無視するなよ。拗ねちゃうよ」の気持ちだったんだろう。
「本当はね」の自分⇔それにフタをしている表向きの自分。
この矛盾こそ、寂しさの正体らしい。

そのままでありたい私の身体や想いは、こういう矛盾の辻褄を合わせるために、色んな感情を発して私に合図を送っているんだなと気づく。

そうはいっても、この「寂しさ」の正体がわかったからといって、消えるわけでもない。
一緒に歩いていくと、この寂しさは消えるんだろうか。
自分の感性のフタを解放して好きなようにやっていると、心が満たされてくる。
その時、私は私と仲良く手をつないでいるんだろうか。

感じて悪い感情はひとつもない。
すべてに意味がある。
感情は難しいけど、不思議で面白い。
引き続き観察していこうと思う。

・自分が寂しいと思うときはどんな時?
・寂しさの正体は本当の気持ちとの矛盾
・感情は矛盾の辻褄合わせをしようよの合図

という話でした。

以上

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