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国・文化による発想力はこうも違う

横浜国立大学での私の授業の一つ「Business accounting simulation」のクラスは、主に留学生を対象に英語で進めています。チャレンジ精神旺盛なガッツある日本人も、少数ながらその多国籍環境の中で頑張っています。


今年出した、期末試験でのプレゼンの課題はこちら:

スマホ向けゲームアプリビジネスを始めることになりました。そのための投資家が納得できる5年間の収益モデルを作り、プレゼンしてください


最終的には個人間の差だと思いますし、必要以上に「日本人vs非日本人」というステレオタイプを助長することは本意ではないものの、やはりそれまでの教育や文化による発想の違いを目の当たりにすると、色々考えてしまいます。


わかりやすい例がこちらです。

これは、日本人学生のプレゼンです。授業で習ったやり方に忠実に沿って、一切計算上の間違いなく正確に利益計画を算出しています。「習ったことに対する忠実度」という意味では100点満点です。一方で、学生のプレゼン内容は、何をどう計算したのか、というSpreadsheetや計算内容の説明が主体です。”与えられたものを与えられた通りに忠実に実行”する実行力は素晴らしいものの、「で、あたなは何を訴えたかったのか」という要素はほとんどありません。


これとは裏腹に、(特に欧米系の)留学生は、全く同じお題を与えられながら、そのプレゼン内容は次のようなものが出てきます:

プレゼンの前半、そして大半は「私はこういうビジネスをやりたいと考えており、その理由は背景は・・・・」という説明です。最後に、収益モデルの計算結果に言及して、「ほら、数字上もプラスでしょ?」という流れです。

もちろん、人によって、その計算の精度や前提の置き方に粗さが残ることも多分にあるものの、彼らの視点はあくまで「自分の思いや考え、発想があり、それを相手にぶつける」ところがメインです。ときに突拍子もないアイデアを無理くりぶつけるケースもなくはありません。


私は、どちらが良い(優れている)かどうかということよりも、発想の違いが、それまで生まれ育った環境や教育環境でここまで大きく異なることを事実として認めざるを得ないと感じています。

理想を言えば、先の両者の発想が両方できることを目指してほしいところです(企業ではそれができる人がポテンシャルが高い人とみなされるでしょう。そして成果を上げられることでしょう)。


そして、私の考えはこう続きます。

では、一体どちらが、この理想形に近づき易いのだろうか?


あくまで一般論としてですが、与えられたものを与えられた通りに忠実に正確に答えを出せる人が、自分の意思(ポリシー)をもって、それを相手にぶつけることを身に付けるのは、価値観や性格、考え方そのものを大転換する必要があり、かなりハードルが高いと感じます(少なくとも相当な時間と訓練が必要でしょう)。


一方、自分の意思をもって相手に伝えることの必要性ややり方を下地に既に持っている人が、その手段を身に付け精度を高めるには、方法論を学び実践することで到達できるという点で、先のケースよりもハードルは低いように感じます。


私の横国での授業は正に後者のケースであり、私の発想力なんてものを既に大きく超えている学生に、その実現手段としてのスキルを伝授しています。本当にマスターできれば、彼らのポテンシャルはものすごいと、プロの実務家としても思うのです。

頑張ってね!

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