泳ぐ、自傷行為のような①
静かに、でも力強く姿勢を低くして水の中に全身が浸かると、途端に世界が変わる。音がくぐもり、わたしは透明の水色の中にいる。思いきり壁を蹴って、底にうつるきらきらした光を辿りながら向こう岸を目指した。
不意に誰かの足、知らない人の足が斜め前に見え、その骨ばった足の甲を見ながら、こんなふうに知らない人の体の一部を、ふだんは靴や靴下に覆われて見えないようなところを間近に見てしまうことに恥ずかしさを覚える。
妻だって、その足を見ているんだろうか。ひらひらと前をいく足の裏を見ながら、できるだけ呼吸を我慢する。もっと水の中に浸かっていたい。水から顔を出した瞬間現実に引き戻されるから耐えられるところまで耐えて耐えて、意識が遠のきそうになるところで顔をあげる、ひとくちの呼吸ぶんだけ。
ふたたび水に入ったら、あのふやけた足の裏はもういなかった。静かで、生ぬるい。ふだんこんなに全身をばたばたと動かしていたらばかみたいだろうが、水の中なら許される。思いきり蹴っても思いきり手を伸ばしても、誰にも迷惑をかけない。わたしは遠くの遠くの水に触れようと、めいいっぱい手足を伸ばした。
小学校のプールでさえなにかと理由をつけてズル休みしていたわたしがなぜ水の中にいるのか、わたしにもよくわからない。毎年夏になれば子どもを連れてプールや川に行くけれど、顔をプールの中に潜らせたのは20年……へたすると30年ぶりくらいだった。
「中を見たら楽しいから、ゴーグルしなよ」
ある日8歳児が執拗に勧めてきて、うーんとか、そうねとか濁していたものの、逃げられなくなったのがはじまりだった。渋々つけて、ゴムがちょっと痛いなあとか思いながら鼻を摘んで潜った。すると世界は透明に満ちていた。こんなに美しい景色がわたしの顔から下で繰り広げられていたのか? 潜ってじゃんけんしている子どもたちや、お母さんが子どもの腹に手を当てて泳がせているようすが見える。
苦しくなって顔をあげると、8歳がきらきらした目でわたしを見ていた。
「どうだった?!」
「……すごかった」
それ以来わたしは肌寒くなってもお正月が来ても雪がふっても、雨でも。プールに通っている。いちばんに自分用のゴーグルを買い、次に海用だったひらひらのではなく黒く目立たない水着を買った。ただ水に潜りたかった。はじめは、ビート板に腕をのせてバタ足をしながら顔をつけ、水中で行われていることを眺めた。底につきそうなほど深いところを泳いでいる人がいた。壁際で、ぐるぐるとでんぐり返しするようにターンの練習をしている人がいた。
そのうちに気づいたことがあった。クロールをしている人たちの足が、止まっているように見えるのだ。わたしのイメージではバタバタと忙しく足を上下に動かして進んでいくものがクロールだったが、そんなふうにしているのは子どもだけ。まるで人魚の尻尾のようにふわっふわっと上下に揺れるだけで進んでいる。どういうことなんだろう……。あんな適当な足漕ぎでなぜ早く進んでいるんだろう。
その日帰ってきてすぐに、「クロール 泳ぎ方」と調べた。コナミの泳ぎ方動画を見てみると、どうやらお飾り的役割だと思っていた腕を使って前進しているようだ。むしろ足の方がお飾りなのかしら。そこまできたらもうやってみたくて仕方がない。朝がくるのをわくわくして待ち、一時間だけと決めて朝いちばんにプールへ行った。
まず、見よう見まねでクロールのような泳ぎ方をしてみる。息継ぎをしたことが人生で一度もないので、とりあえず息継ぎはおいておこう。腕をぐるぐるまわして足をゆっくりバタバタ。一応進む。でも苦しい。息継ぎしていないせいもあるけど、動いているわりに進んでいないからだと思う。途方に暮れて、またビート板に戻る。しばらくしてもう一度チャレンジしたときに、ななめ前を泳ぐクロールの人がいて、しばらくけのびを繰り返してあとをつけた。明らかに違うことがあった。
わたしの手足は沈まないために動いている、ということだった。当たり前っちゃ当たり前なのだけど、とにかく沈むのが怖い。顔が水面から出なくなってしまうのが怖い。だから手足はもがいているのだ。泳ぐではなく、もがく。
一方クロールじょうずな方の手足は、進むために動いている。沈むわけないさ、という優雅さで、前へ前へ。上へ上へと掻いているわたしとは根本が違う。だから進まないし泳げない、のではないかという仮説をたてた。ならばどうするか。もちろん、わたしが、沈むわけないさ、と思うことがいちばんなのである。うーん。どうかな、そんなことができるんだろうか。しばらくプールの隅に立ち尽くして考えてみる。
別に、足がつかないわけじゃない。ここで溺れるイメージもない。けのびだってできるし、自分が浮くことも知っている。ならば水がわたしを浮かせてくれると信じて委ねられるのではないか。
苦しかったらやめる、を合言葉に、わたしはいったんけのびだけで行けるところもまでいった。大丈夫。手足を動かさなくても沈まない。つまり手足を動かしたって沈まない。考えすぎの頭が重くて沈みそうだが、まずは手をまわしみる。いちにいとまわしたところで苦しくなって立った。うん、できそう。
今度は手をまわしながらバタ足。あくまでもけのびの延長線上と考えて、足もゆるゆると動かすだけ。これがとてもうまくいき、わたしはけのびクロール、みたいなものができるようになった。
(続く、いつかに)
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