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へびとブーメラン

人の不幸のうえに成り立っている

「じっとしていてくださいよ。絶対顔出したりしないでくださいよ」
「分かっているって。大丈夫、心配するな」
 今日は、太郎さんと一緒に会社に来ている。
「おはようございます」
 そう言って会社に入った。なぜか緊張する。太郎さんを営業カバンの中に入れているからか。メールボックスに新しいパンフレットが入れてあった。心不全の予防効果に関する新しいデータが出たので、それの宣伝用パンフレットだ。
 データの見かたが分からないので、隣の先輩に聞いていると、離れた席にいた係長が説明してくれた。説明しようとしていた先輩の面目丸潰れである。係長はよく人の話に割り込んでくる。特に、製品データや臨床データの話を しているとそうだ。書類作成等の内勤業務を終えて会社を出た。
「さっきの人、自分が知っているということを示したいんだろうな。それで優越感に浸っているのかもしれへんな。思いやりの精神あれば、すなわち先輩に対する思いやりがあれば、彼の面目を潰すこともなかったやろうに。この手の人は高学歴の人が多いという印象があるね」
「いつもなんですよ。ああいうこと。あの人が噂の係長ですよ。でも、どうして係長が高学歴って分かったんですか?」
「高学歴でプライドの高い人に多いんや、ああいう人。会社に入ったら一流大学も三流大学もスタートは一緒だよな。それが頭で分かっていても感情では分からへんのや。おれは受験戦争の勝ち組、負け組のやつらとは違うってね。でも普通、年を重ねるとそういう感覚は薄くなっていくんだけどなあ」
「その点、僕なんか四流大学だから大丈夫ですね」
「そんなことで、いばるな!普通の人なら分かることも周りの人に聞いて、迷惑かけているんちゃうか?」
「そうかもしれません……。でもなんか、悲しくなってしまいますね。そんなことでしか、自分を主張できないなんて」
 助手席で、営業カバンから太郎さんが体を半分くらい出して外を眺めている。
「気持ちええなあ」
「あんまり目立たないでくださいよ。見た人がビックリするでしょう」
「隣の車のおばさん、ハトが豆鉄砲くらったような顔していたで!」
「だめでしょう! 首をもう少し下げてくださいよ」
 太郎さんをカバンの中に押し込んだ。
「こら! そんなことしたら、外が見えへんやないけ!」
 担当の病院に着いた。医局前の廊下は各社のMRであふれていた。皆、自分の目当てのドクターを待っている。この病院では、医局の中にはドクターと一緒でないと入れない規則になっているためだ。僕は、主力製品の高血圧治療薬の宣伝のために循環器担当のドクターを待っている。
「MRがいっぱいいるなあ。なつかしい光景やなあ」
 太郎さんがつぶやいた。
「昔は〝壁のシミ〟って言われてたんや」
「〝壁のシミ〟?」
「そう、壁のシミ。黒いスーツのMRが壁に沿って並んで立っている、まるでシミのように。それで誰が言い出したかは分からへんけど、MRが自分自身のことを壁のシミって言ってたんや」
「壁のシミ、なんか分かるような気がします。目当てのドクターが来るまで、ほとんど黙って立ってるだけですからね」
「あのMR、スーツがしわだらけだなあ。『人は見た目が9割』って本、なかったか?」
「ええ、ありましたね」
「若い時は高いスーツは買えへんやろう。でも、しわにならない工夫はできるで。例えば、車に乗る時は上着は脱ぐとか」
「そうですね。気を付けます」
「だらしない格好をすると、行動までだらしなくなるんや。逆に格好をビシッとすると、行動もビシッとなるんや。スポーツ選手がユニフォームを着ると気持ちが引き締まるっていうだろ。それとおんなじ」
 自分のズボンを見ると少し折り目が消えている。今日からズボンプレッサーで折り目を付けよう。
「手を後ろで組んで立っているやつが多いな。手を後ろで組むと、背筋が伸びて姿勢が良く見えるけど、ホントは良くないんやで」
 僕もよく手を後ろで組んで立っている。姿勢が良く見えるからそうしているんだが、間違っているのか。
「聞いた話やけどな。戦国時代に相手に殺意がないことを示すために手を前に組んだんや。なぜやと思う? 後ろに小刀を隠し持っているかもしれへんやろ。そんなことしてませんで、ということを示すために手を前で組んだんや。知らんかったやろ」
 そうなんだ。知らなかった。
「あいつ携帯でメール見ているな。こんなところで見ないで、他の場所で見ろよな。俺の部下だったら怒鳴っているところや!ドクターが見たらどう思う?」
「あんまりいい気持ちはしないでしょうね」小声で答える。
「そうやろう。携帯って便利な分、マナーには気を付けんとあかんな」
 目当てのドクターが医局に戻ってきた。
「お疲れ様です。セントラルファーマです」
「やあ。今日は何?」
「はい、弊社のアンチプレスの新しいデータが出まして、その紹介に参りました。少しお時間よろしいでしょうか?」
「ええ、いいですよ」
 僕は、ドクターと一緒に医局に入って、今日届いたパンフレットのデータを紹介した。特に、難しい質問もなく、ドクターは「心不全の心配な患者にむいているってことですね。そういう患者さんがいたらアンチプレスを検討しますよ」その後も循環器系のドクターに対して同じようにデータの説明をした。
 太郎さんは何も言わない。病院を出てから、僕は太郎さんに聞いた。
「どうして黙っているんです? 何かアドバイスくださいよ」
「データの説明はええんちゃう」
「では、何が不足しているんですか?」
「心不全の予防効果があることはよく分かるけど、そもそもさっきのドクターは心不全を気にしてるんかなあ」
「どういうことです」
「心不全を気にしていないドクターに、いくら心不全の予防効果を訴えても効果ないやろう。車を必要としてない人に、車の性能をいくら言っても響けへんのと同じや。まず、車の必要性を訴えへんと」
「そうですね。まず、ドクターが心不全を気にしているかどうか確認しなければならないのですね」
「そのとおり。これは薬の営業に限ったことではなく、すべての営業に共通することやで」
 なかなかいいことを言う。僕は感心して太郎さんを見ていると、
「こらっ!気持ち悪いから見つめるな」と言われてしまった。
 2軒目の病院は精神科の開業医だ。この医院は、うつ病治療薬の売り上げが、大幅にアップしている。いろいろな患者さんが座って診察を待っている。そわそわして落ち着かない人、「統合失調症」か?あそこでコーラを持っている、身なりがだらしない患者さんは間違いなく「統合失調症」だろうな。良くなるといいのに。
 手首に多くの傷跡がある女性、「境界型人格障害」俗に言うボーダーラインの患者さんだろう。元気がなく無表情の婦人、うつ病だろうか。ひとり、全く病気に見えない患者さん(?)がいる。うつの患者さんで、薬で元気になった患者さんだろうか?うちの薬で良くなったのならいいのになあ。そんなことを考えながらドクターとの面談を待っていた。
 すべての患者さんの診察が終わると、「セントラルファーマさん。」やっと呼ばれ、ドクターと面談ができた。ドクターに自社製品の特長を改めて紹介し、面談を終えて医院を出た。
「なんかあっさりしてたな」
「ええ、ここは調子いいんですよ。最近うつの人って増えているでしょう。それで、うちの抗うつ剤もよく売れているんですよ」
 僕は少し上機嫌で言った。
「お前、うつの患者が増えて喜んでんのか?」
「いや、別に患者さんが増えて喜んでいるわけじゃないですが……」
「今、うつの患者が増えたから売り上げが上がった、って言ったやんけ!ええか徹、極端な言い方をすれば、医薬品業界ってのは人の不幸のうえに成り立っているんや。みんなが健康で病気になれへんかったら、医薬品業界は存在せ〜へんのやで」
「でも、患者さんが増えたから売り上げが上がったのは事実ですよ」
「心の中で〝患者がもっと増えろ〟って願ってへんか?」
 少し考えてから、
「正直言って、もっと増えたらいいなって思っていました」と答えた。
「それって、不幸な人が増えることを願っていることにならへんか?」
「そうですが……」
「営業マンだから、売り上げが増えたのを喜ぶのは当然だが、患者が増えたことを喜ぶのは間違っていると思うな。矛盾するけど」
「そうですね。患者さんが増えて喜ぶってのはよくないですね。気を付けます。でも、どうして太郎さんはそういうふうに思うようになったのですか?」
「むかしプロパーって呼ばれてたころ、俺は抗がん剤の営業をしてたんや。数字に追われててなあ。医局にオペ(手術)のオペ表(予定表)というのがあって、そこにがん患者の名前とがんの種類、ステージ(進行度)、術式、主治医の名が書いてあったんや。ちっさな病院でな、あんまりがんのオペなかったんや。そこに久しぶりにがんのオペが入ったんや。それを見て俺は思わずガッツポーズをしたよ。この患者に使ってもらおう、ってな」
 太郎さんはここまで言うとひと息ついた。
「けど、ふと俺はなんて恐ろしいことを考えてるんだろう、って思ったんや。だって、当時がんて言うたら、死の病やからな。俺はこれから死ぬ可能性の高い人が来たことを喜んでたんや。恐ろしくないか?」
「ええ」
「それからオペ表を見ないことにしたんや。見ると、どうしてもそこに書かれている患者に使ってもらおうと考えてしまうからなあ」
 僕は反省していた。うつの患者さんが増えて喜んでいたからだ。
「製薬会社ってのは、人の不幸のうえに成り立っているんや。そのことを忘れたらあかんで」
「はい」
   会社に戻って日報を書いていると、「おーい、田中。先月の平成病院での成功、成功例として報告するから、簡単にポイントまとめてメールで送ってくれるか?」フロア全体に聞こえるくらいの大声で係長が僕に言った。
「はい、分かりました」
「面倒だけど、こういう事の積み重ねでプロセス評価が上がるからな。お前の報告に俺がコメントを書いて課長に提出しておくから。お前のためだからな!」
「ありがとうございます」(俺のため? よく言うよ。自分のためだろうが! このパフォーマンス野郎が)
 僕は心の中で叫んだ。
  「あなたのためだから」テレビのコマーシャルだ。
「お〜い、徹。このコマーシャル、おまえんとこの係長と同じこと言ってるで」
 太郎さんがテレビの前で叫んでいる。
「嫌なこと思い出させないでくださいよ」
「ええやんけ、徹のポイント上がるんやろう」
「でもあの人、僕のこと思ってやっているんじゃないですから」
「そんなこと気にせ〜へんかったらええやんけ。自分に都合ええように考えれば楽やで。気にしない、気にしない」
「そうなんですけどねえ……」
「気にしないを超えて、気にならないってなれば最高やな。あっ、まさみちゃ〜ん」
 長澤まさみがテレビでインタビューを受けている。
「長澤さんは、苦手なものってありますか?」
「私、ヘビが大の苦手なんです。見るだけで鳥肌が立ってくるんですよ」
 長澤まさみが両手を前に組んで寒そうな仕草をした。
「……」
「太郎さん、自分に都合のいいように考えればいいんでしょう」
 僕は笑いながらたずねた。
「嫌い嫌いも好きのうち、って言うやんけ」
 太郎さんは力なく答え、仰向けに倒れた。
 数週間後、僕は見事に成功例報告者として表彰された。その数日後、後輩の藤田が近寄ってきてこう言った。
「田中さん、中島係長が『田中の成功例表彰、俺が田中の報告書に少し色を付けて出してたんだ。俺が取らせたようなものだな』って言ってましたよ。ホント嫌なやつですねえ。そんなこと、言いますかねえ。信じられませんよ」
 あの人のことだから陰で何か言っているだろうと想像していたが、まさかそこまで言っているとは、はなはだ呆れてしまう。
「あ〜疲れる!日報ってホント疲れますよね」
 日報を書きながら僕がつぶやいた。
「上司に報告しなければと思って日報を書いていると、そりゃ疲れるわ」
「じゃ、疲れないようにするにはどうすればいいんです?」
「今日一日の行動を振り返るつもりで書くんや。でも反省のためだけに書いていたらやっぱり疲れるわな。そうやなくて、今日はこんなことができたとか、今日一日の良かったところを見つけるようにするんや。そして、明日はこうすればもっと良くなると思いながら書くと、日報が楽しくなるで」
「でも課長のコメントは、あれができていない、これができていないって悪いとこ探しばかりですよ」
「そんなコメント、さっさと読んで忘れろ。こんな言葉があるの知ってるか?〝気分のいい部下は良い仕事をする〟」
「知りませんけど、分かります。気分がいい時は仕事も楽しいですからね」
「そうやろ。好きこそ物の上手なれ、っていうやろ。あれだよ、あれ。徹、できそうか?」
 僕は黙ってうなずいた。
「自信のほどは?」
「震度6くらいですかね」
 太郎さんが固まっている。
「おい、徹。おれが変温動物ってこと忘れたんか?そんな寒いギャグ言われると動けなくなるやろ」
 太郎さんはしばらく固まったままだった。
「今の、なかなかいけた洒落だと思うんですが」
「徹のギャグのレベルは低いなあ。そんなので笑いが取れるとでも思ってんのか?」
「いいんです!笑いなんか取れなくても」
「MRの格言に〝処方は取れなくても、笑いの取れるMRになれ〟っていうのがあるの知らんか?」
「初めて聞きましたよ、そんなの」
「そりゃそうだろ。俺の格言だから。ドクターはいつも薬の情報がほしいわけじゃないやろ。時には、気分転換したい時なんかもあるわけや。そんな時にドクターが笑えるようなことが言えるMRは重宝されるんやで」
 確かに、疲れているドクターに薬の宣伝をするのは気まずいし、たとえ宣伝しても効果はないように思える。笑いを取るかあ。でも、どうしたら笑いのセンスってつくんだろう。
 今日は、ドクターと食事だ。俗に言う〝接待〟だ。別にこちらから誘ったわけではない。ドクターから依頼があったのだ。
「あ〜なんか気が進まないなあ。ドクターって給料いいでしょう。美味しいもの食べたかったら自分で行けばいいのに」
「ドクターをそんなふうにしてしまったのは、メーカーやぞ。メーカーが接待をするからドクターの感覚が狂ってしまったんや。でも、昔に比べたらかわいいもんやけどな」
「メーカーにたかってストレス発散しているんですかね」
「そうかもな。あと、自分のお金では食べられない高いものを食べたいとか。昔なんか、2次会で高級クラブとかに行ってたんやで。それがステータスなんだって。でもステータスって自分のお金を使って初めてステータスって言 うんじゃないかと思ってたけどなあ」
「そう考えると、なんか哀れですね」
「そうやなあ。〝他人の振り見て我が振り直せ〟っていうやろ。徹はそうならないようにしたらええんや」
 課長から、「今月、あと十例使ってほしいとお願いするんだぞ」と言われている。
 しかし、僕はそう言うつもりはない。なぜなら、接待で処方を買うようなことはしたくないからだ。だから、「いつも薬を使ってくれているお礼に一席設けさせていただきました」と言うつもりだ。
 接待は無事に終了した。ドクターは上機嫌で帰っていった。もちろん帰りのタクシー代はこちら持ちだ。接待中、「いつも薬を使ってくれているお礼に一席設けさせていただきました」と言おうか、「今後もっと処方をお願いしたくて一席設けさせていただきました」と言うか悩んだが、結局、前者にした。自分の信念を曲げたくなかったからだ。月曜日、課長には課長が言ったとおりにお願いしたことにしよう。
 少し酔って帰ると、太郎さんの姿が見えない。
「徹、酔っ払ってるね。接待は無事終わったんか?」
 上のほうから声がする。声の方向を見ると、太郎さんがカーテンレールに絡まっている。
「そんなとこで何してるんですか?」
「運動不足解消のためや。たまには運動せんとな」
 そう言いながら太郎さんはカーテンレールから降りてきた。
「で、接待は無事終わったんか?」
「ええ、無難に終わりました。酔った勢いで、うちの製品使うからって言ってくれましたよ」
「でも、そんなので処方が決まるって患者さんは知らんやろうなあ。まあどの薬使っても大差ない時に、接待されたからとかで処方されるんやから、患者さんには大きな害はないやろうけど」
「そうですよね。接待されたってことで、本来一番効果のある薬が選ばれないってことがないとは言いきれないのが恐いですね」
「そうやなあ。あとはドクターの良心に任せるしかないな」
「なんで動物園なんかに行くんですか? 僕、昨日接待で少し二日酔いなんですよ」
「他のヘビを見てみたくてな。それに少し歩いて汗をかくと二日酔いも良くなるで」
 今日は、太郎さんと天王寺動物園に来ている。男ひとりで動物園っていうのは恥ずかしい。
「男ひとりで動物園なんて変ですよ。他は家族連れかカップルですよ」
「俺がいるからふたりやろ」
「他の人から見るとひとりなの」
「独り言しゃべっていると、また変態に間違われるで」
「この前、女の子に変な目で見られましたからね。今日は太郎さんが話しかけても返事しませんからね」
「冷たいね〜、徹く〜ん。一緒にお喋りしようよ」
 そう言って太郎さんはバックパックから顔を出してきた。
「中に入っていてください!」
 太郎さんの頭を押さえて、バックパックの中に押し込んだ。
「こら! 乱暴に扱うな! もう、首の骨が折れるかと思ったやんけ」
   ヘビがいる爬虫類館に来た。ミドリニシキヘビがいる。太郎さんはじっと見ている。ミドリニシキヘビもじっと太郎さんを見ている。話ができるのだろうか?
「話ができるんですか?」
「いや」
「見つめ合ってたじゃないですか」
「なんでお前は外にいるんだよ!って思ってるんじゃないかな。俺もどうせ生まれ変わるんなら、あんな綺麗なミドリのヘビが良かったな」
「そうですね。それなら僕がペットとして飼ってあげるのに」
「徹なんかのペットにはなりたくないね。かわいい女の子のペットがええな」
「女の子でヘビなんかペットにする子って、相当珍しいんじゃないですか」
「まさみちゃんのペットがええな〜」
「この前、あの子『ヘビ嫌い』って言ってたじゃないですか」
「……」
 両生類のコーナーに来た。カエルが1種類しかいない。
「美味しそうなカエル」
「あんな大きいの飲み込めるんですか?」
「ビッグマックが飲み込めるんやで。あんなのかるいかるい」
「じゃ、今度カエル捕りにいきますか? トノサマガエルでいいですか?」
「ウシガエルがいいな。あれは人間も食べるだろ。中華料理なんかで出てくるで」
「僕は食べたことないですし、食べたいとも思いませんよ」
「でもあのカエル、俺を見てもなんともなかったな。ヘビににらまれたカエルは体がすくんで動けなくなるっていうけどなあ」
「もともと、じっとして動いてなかったじゃないですか」
「徹も課長ににらまれたら、動けなくなっちゃうんやろ?」
「そ、そんなことないですよ」
「そうか、徹の顔ってなんかカエルに似ていると思うんだけどなあ」
「ほっといてください!ところで今日は何を僕に教えるためにここに来たんですか?」
「何か教えるって言ったか?俺はただヘビを見たかっただけだけど」
「え!」
 僕はどっと疲れがでた。

〝平成病院の近藤先生が常盤病院に異動になるそうです。常盤病院の平田先生からの情報です〟
 コバンザメ係長のメールだ。僕の担当の先生の異動情報を教えてくれたのだ。これが僕だけに教えてくれたなら問題ないのだが、課長にもメールを入れている。自分が平田先生とどれだけ親密か言いたいのだろう。
 ホントにパフォーマンスの好きな人だ。パフォーマンスするのは結構だが、人に迷惑かけないでほしい。これでは、担当者が自分の担当ドクターの異動情報を知らなかったとなり、僕の面目丸潰れだ。このことを太郎さんに話すと、
「それは災難やったな。でも、それは逆恨みちゃうか。徹が、担当ドクターの異動情報を知らんかったことは事実やし。これから、コバンザメ係長より先に情報を手に入れるようにしたら、もうこんなことはないやろ」
 確かに太郎さんの言うとおりだ。
「でも、コバンザメ係長も確かに大人げないな。人というのは、他人に認められるために存在してるんではないんや。それがコバンザメ係長には分からへんのやろうな」
 他人に認められるために存在してるのではないかあ。じゃ、なんのために存在しているんだろう。
 次の日の仕事帰りにケーキを買った。特別意味があるわけではないが、なんとなくモンブランが食べたくなったからだ。太郎さんの分と2つ買った。店員さんは何か勘違いしているようだ。
「ただいま」
 太郎さんはいつものようにテレビを見ている。
「お帰り。あれ、なんか機嫌良さそうやな。何かええことでもあったんか?」
「いえ、なんとなくケーキが食べたくなったから買ってきたんですよ。太郎さんの分もありますから一緒に食べましょう」
「なんか気持ち悪いなあ」
 モンブランを机の上に置いて、ケーキにビールじゃ合わないから紅茶を淹れた。太郎さんがケーキを見ている。
「徹、美味しそうなキリマンジャロやんけ。俺がキリマンジャロ好きなの知ってたんか」
 何がキリマンジャロだ。おやじギャグの典型ではないか。
「あれ、徹どうした。何固まってるんや」
「あまりにも寒いギャグなので……」
 そんな僕の言葉を聞いているのかいないのか、太郎さんは既にモンブランを飲み込んでいた。

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