【帰ってきた・資本主義をチートする02】日本を貧しくした影の支配者とは
ずっと連載している「資本主義をチートする」のシリーズも、いよいよ3期(サードシーズン)に突入しており、今日もみなさまのお役に立つようなお金の話をぶちかましている最中である。
さて、今日はものすごい「陰謀論」めいたお話である。なんと、現在の日本のように、経済的に貧しい状況を生み出してしまった「真犯人」がやっと姿を表したので、そいつの正体に迫ろう!というスペシャルな企画なのだ。
なおかつ、今回ヨシイエは、タイトルに「影の支配者」と書いたが、善良なる僕たち私たちは、その「支配者」に心も体も支配され、服従させられているから、「お金を稼げない」状態や「貧乏」のままだ、ということがわかったのである!
特に、海外においては物価も上がっているが給料もはるかに右肩上がりになっていて、どんどん「良いインフレ」が進んでいるというのに、日本では原料高による物価上昇のわりに、給料が伸び悩んでいるという「悪いインフレ」が始まろうとしている。
このままでは日本だけがドン詰まりなのだが、それにはハッキリした真犯人がいるのだ。
これらは全部、「影の支配者」のせいだというから驚きである!
僕たち私たちは、まさに経済的に、この影の支配者によって「がんじがらめ」にされているのだが、お気づきだろうか?
実はヨシイエ、今回のこのテーマについて「気づいてしまった」時、多いに驚いた。そういえば確かに、僕たち私たちはふだん「誰かに支配されている」なんてことはあまり意識していないし、そんな相手がいることは想像していない。
「支配されている相手?」
と人に尋ねても、あるいは自問自答してみても、せいぜい
「じ、自民党?」
とか
「じ、上司?」
とか、そんなのしか思い浮かばないだろう。
たしかに、僕たち私たちは、毎日嫌な上司になんらかの命令をされ、ある意味牛耳られてているのかもしれないが、究極的には、そんなに嫌なら転職することだってできるし、人生のすべてをその上司に「支配されている」というほどは思っていないだろう。
自民党や政府というのも、一見するとそれっぽいが、「僕は一生を自民党に支配されてて、自民党の奴隷なのです」と思っている人は、たぶん、1億2千万人の日本人のうち、一人もいないと思う。
「けっ、議員なんてどうせ裏ではあんなことやこんなことをしてるのだろう」
と、愚痴を言えるくらいには、僕たちは自民党からは自由だと思われる。
政府だって同じであり、なんなら、市町村長や市町村議員に支配されていると思い込んでいる人間がいるなら、その人はまず病院に行ったほうがいいかもしれない。
大丈夫だ。とりあえず僕たちは、政府や市町村に「支配されている」わけではないことは確認しておこう。
だから、アベシンゾーが役職を下りれば、別に怖くはないし、スガさんなんて下の名前が「ヨシヒデ」だったことを大半の人は忘れているくらいだ。
その程度には、僕たち私たちは、やっぱり「支配されていない」と断言できるのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、確かに僕たちは国家権力には抗えず、税金をしこたま取り上げられたりしているが、それは権力だから仕方なくそうしているわけで、別に「忖度して、その支配に怖れおののいて上納している」というレベルには達していないだろう。
しかし、本当に身も心も支配されていると、その相手には別に命令されなくても「忖度して、自ら従ってしまう」という行動を取りがちだ。一種の「洗脳」めいた感じもするが、それほどまでに真のヤバい「支配者」というものに、僕たち私たちは、恐れおののくのである。
この、「恐怖を抱きながら、支配される」という感覚は、江戸時代に置き換えて見ればよく理解できる。
たとえば、農民は年貢を納めなくてはならない。あるいは参勤交代の時に「下にい、下に」の声がかかると、土下座して顔を上げてはならない。年貢だけでなく、藩や代官の命令には従わないといけないし、商人だったら「御用金である」の一言で強制的に金を取られる。
となりの地域に旅するにも「通行手形」がいるし、関所でチェックされたりもする。災害対策は藩の命令で、有力な町人やら農民やらがやらされる。
もし、藩政に対する不満を口にしようものなら、「無礼である」と殺されるかもしれない。市中引き回しの上、打ち首獄門なんてことだってあるわけだ。
もちろん、現代の政策と江戸時代の政策には共通点もあるから、「年貢と税は同じ」とか、「罪と罰はある意味共通」とか、そういうふうに考えることは可能だ。
しかし、そのベースに「上位の存在に対する恐怖・畏怖」があるのか、それとも「上位の存在への畏怖というより法の遵守という感覚」があるのかはまったく違うだろう。
ソ連とかロシアとか、共産主義国家の支配下や、帝国主義日本の支配下や、あるいは北朝鮮や某国よりも、現代日本ははるかに生きやすいが、それは「恐怖や畏怖をベースにしていないから」と言ってよいだろう。
というわけで中間まとめである。現代人にとって、「上のもの」とか「上位の存在」というのは極めて薄いものになってしまっていることを押さえておこう。
つまり、平たく言えば、僕たちにとっては
「怖い存在というのは、ほぼいない」
のが現代の日本社会なのである。
怖いもの、怖い存在、上位の存在つまり、支配者めいたものがいないのが現代の日本だとすれば、僕たち私たちは、本当はかなり自由なはずである。
だって恐ろしい支配者や代官などがいないのだから。もっと言えば、戦後になると「天皇陛下」ですら、恐ろしい相手ではなくなってしまったわけで、現人神のように畏怖・尊敬する対象ですらなくなったのだから、これはすごいことである。
けれど、現実の僕たちはちっとも自由ではないし、何かに追われ、何かに抑圧されている。うつ病がはびこり、会社には行きたくないし、仕事はしたくないし、人生はしんどい。
一体全体なぜこんなことになっているのだろうか?僕たち私たちは、何ものかの支配からはまったくの自由だってのに!!!
政治家も怖くないし、「おまわりさんに叱られるよ」というはるか昔のおかあちゃんの言葉も、もはや上滑りしている。「先生に叱られる」も現代ではピンとこないだろう。暴言体罰教師のほうが罰せられるくらいなのだから。ましてやチコちゃんに叱られるくらいでは、なんのダメージもない。
では、現代に生きる僕たち私たちは、いったい何に怯え、何に支配されているのか?
その答えを、ズバリ解き明かすのが、この記事の真骨頂なのだ。
では、いよいよ「謎の支配者」「影の支配者」の正体へと肉薄していこう。
実はこの「支配者」たちには共通の暗号があるのだ。だからその暗号を読み解いてゆけば、僕たちを苦しめているヤツらの正体が、表に現れてくるというしかけである。
(まさに陰謀論っぽいけど、チャンネルはそのままでね!)
よーく思い出してみよう。江戸時代に、善良なる農民や町人をキリキリと絞り上げていた恐ろしい支配者はどんなヤツらだったか。
藩主、奉行、代官、侍、しいていえば徳川幕府、将軍、そういう連中である。
彼らに共通の暗号・符号は、その呼び名に隠れている。
「殿様」「お奉行様」「お代官様」「お侍様」「将軍様」「上様」
この不思議な共通項はなんだ?と、あなたも気づかないか?
そうなのだ。江戸時代、庶民は支配者を「様」をつけて呼んでいるのである。
このことそのものは、「え?別に普通のことじゃないの?」と思われてしまうかもしれない。
お殿様だから「殿様」と呼ぶ。将軍様なので「上様」と呼ぶ。時代劇でもお馴染みの光景で、そこに何か陰謀が隠れているとは思えないだろう。
けれど、違うのだ。
この「様」には不思議な力があって、僕たち私たちは気づかないうちに、「支配者、権力者」のことを「様」をつけて呼んでしまうくせがついているのである。
だから逆に言えば、「様」をつけて呼んでしまう相手こそが、現代の日本で僕たち私たちを影で支配している「本当の敵」ということになるわけだ。
この「様」がつく相手には、畏怖し、忖度し、「抗えない」と思い込んでおり、思い込まされている。これはとても恐ろしいことで、簡単には拒否できないようになっている。まるで殿様やお代官様には逆らえないと思い込まされたように、だ。
〜〜〜〜〜〜〜
さあ、答え合わせである。僕たちは通常、政府関係者や国会議員を「様」をつけて呼ばない。「岸田総理がさぁ」とか、呼び捨てである。これは彼らの支配を受けていないことを意味する。
上司や社長ですらそうだ。「うちの上司の誰それが」とか「社長のバカが」とか、揶揄することすらあれど、基本は「様」をつけない。
だから、政府や企業に、僕たちは支配されていないことがわかるのである。
ところが、よくよく、ごくごく一般的に、僕たち私たちが自然に「様」をつけている相手がいる。それは
「お客様」
だ。「お得意様」でもいいだろう。仕事の中で、販売の対面で、僕たち私たちはよく「お客様」と呼んでいる。これは支配を受けている証だ。
だから営業マンは、お客様、顧客の望であろう価格に忖度し、お客様、顧客の望むであろうサービスに近づけようと努力する。これは実は、洗脳されているのである。
「お客様は様であるから、その方が喜ぶように、自ら自発的に奴隷的行動をとらねばならない」
と、企業も上司も、そしてあなたも思い込んでいるのである。なぜなら、「様」には支配されているからである。
そのほか、「保護者の皆様」とか「地域の皆様」とかにも、ついつい忖度しがちで支配されがちだ。本当は奴隷でもなんでもないのに、彼らの意向を無視できない。ほら、もう洗脳され、支配されているのだ。
ついでに「お局様」にも勝てない。敵に回すと恐ろしい。仕事が回らないし、あらぬうわさを立てられるし、忖度しておくに限る。
うちの「奥様」だってそうだ。これはもう間違いない!支配されている。財布だって握られてしまっている!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とまあ、「様」をつけて呼んでしまう相手(殿様上様お客様)には、「三波春夫の”お客様は神様です”」ではないが、まさに神や支配者そのものとして、僕たちは隷属してしまっていることに気づかされる。
ぶっちゃけ、日本の経済が低迷しているのは、本来であればどうってことのない「完全なるモブ、完全なるザコ、完全なる庶民」であるはずの顧客層を「様」だと勘違いしているところにある。
彼らは「様」ではないのだ。彼らは本来的には、支配権も、命令権も、人を動かす権力も持っていない。ただの「モブ」である。
ところが、民主主義になり、戦後の経済発展の中で「お金を落としてくれるヤツには従う」という風潮が蔓延したせいで、多大なる誤解が生じたのである。
彼らは従うべき「様」である、との誤解が!!!
資本主義をチートする視点では、この「様」たちを「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」のように見立てる。
カオナシは、本来はほとんど力のない陰キャのモブみたいなヤツだが、ふとしたことから欲望を増大させ、湯屋をしっちゃかめっちゃかにする。
その欲望を増大させたのは、湯屋の従業員であり、彼が落とす「金(きん)」のつぶほしさに、サービスをどんどん増長したわけだ。
カオナシは当然、どんどん要求をエスカレートさせるし、従業員はどんどん隷属する。金を落としてくれるからだ。
しかし、結果的にはカオナシはすべてを吐き出して、無一文で湯屋を去ることになるのである。
「お客様」が増長する理由は、ごくごくシンプルで、それは経済が右肩上がりだったからだ。高度経済成長というベクトルでは、ぶっちゃけ
「お客さまを増長させたほうが、金のつぶが落ちてくる量が増える」
のは当然であった。だから、世間が「お客様」をおだて上げたのは、別に間違ってはいない。
その分のリターンが、ちゃんと返ってくるからである。
ところが、高度経済成長が終わり、バブルがはじけ、人口が減少し、経済が右肩下がりになると「お客様」は、実はモブへと戻ろうとするのだ。
だってそうだろう。金がどんどんと落とせなくなるのだから、すべてを吐き出して元の陰キャのカオナシに戻ってゆく過程なのである。
ところが、僕たち私たちはそれでも「金」をねだり、「様」とおだて上げることで、最後のひとつぶまで絞りとろうとした。そうして、ヤツらはメンタルだけが肥えふとり、実際には金のない「モンスターカスタマー」になったのである。まさにカオナシの姿そのものだ。
そして今、その「お客様」に踊らされ続けている企業と上司が、あなたを責め立てる。あるいは「お客様」本人が、面と無かってあなたを支配しようとする。
メルカリでは「値段を下げろ」とお客様が命令してくる。政治家や公務員にだって「サービスしろ、金を配れ」と欲求を募らせるのだ。
彼らはもう怖い者はない。なぜなら、一番偉い、支配者側の「様」になってしまったからである。「様」は無敵なのである!
「お客様」であり「保護者の皆様」であり、「地域の皆様」である、ヤツらは、身のまわりの誰もを支配しようとする。それは従業員であるあなたにも降りかかるし、企業の社長のあなたにも降りかかるだろう。
そして、今度は、本当は一介のモブキャラに過ぎない僕たち、私たちが、「お客様」の立場になった瞬間、権力振りかざし、値段を下げさせ、サービスを要求するのだ。
だからカオナシの「様」はヤツらの姿でもあり、僕らの姿でもある。
この繰り返しが、現代の日本だとすれば、地獄のカオス以外の何ものでもないだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜
だから、今すぐ志あるものは気づくべきだ。お客様は神様ではないし、そもそも、僕たち私たちは、ありとあらゆる「様」から自由であるべきなのだ。
彼らを肥えふとらせてもいけないし、僕ら自身が「様」を振りかざしてもいけない。
さあ、戻ろうじゃないか。心穏やかだった頃のカオナシに。
そうすれば、必ず幸せはやってくる。経済的にも適正な発展が待っているのだ。
(おしまい)