『生産性』にごまかされるな!もっとシンプルにこれからは『購買力』だ。
個人の感想かもしれないが、私は「生産性」という言葉があまり好きではない。どうもこの言葉は「誤解を招きやすい」というか、「恣意的に用いられている」というか、あやふやな部分があって、スッキリしないからである。
たとえば、「生産性が高い」というと、ついつい「コスト/パフォーマンス」のことを想像してしまいがちだ。それはつまり「これだけのコストをかけて、これだけの結果が得られるならおいしい」という話であり、そうなると単純に「コストが安ければ安いほど、おいしい」とイメージしてしまう。
我々のような庶貧民だと、「ラ・ムーの280円弁当は、コスパがいいぞ」と思ってしまうし、企業経営者からすれば、「時給950円で労働者をコキ使えるなら、コスパがいいぞ」ということになりがちである。
ちなみに「ラ・ムー」というのは大黒天物産という会社がやっている激安スーパーなのだが、幸福の科学の信者さんらしく、関連会社にやたら「神様」の名前がついているのが特徴だ。ラムーは太陽の女神らしい。
ところが、世界の経済界のお話を聞きかじると、「生産性が高い」とはどうもそういうことではないらしい。
海外では、「一つの商品を売って100円もらうより、1000円もらったほうが生産性が高い」とか「俺様が1時間働くと、1万円もらえるんだぜ、庶民より俺様のほうが生産性が高いのだ」という意味で使われているようなのだ。
だから、日本の丸亀製麺で働くと、時給は1000円くらいだが、海外の丸亀製麺で働くと、「月収40万円」になるのだそうである。そりゃあ、スイスのマクドが1000円するのも納得である。たしかに生産性が高い(笑)
このように丁寧に見てゆくと、「生産性」という言葉を使っている以上は、我々は「ごまかされる」可能性が高いことに気づく。だからこの言葉は使わないほうがいい。
しかし、単純に「給料」などに置き換えると、今度は単に「俺は給料が高い」「あいつは給料が低い」というこれまで使い古された別のニュアンスが生じてしまうから、これまた問題である。ただ単に給料の高低だけでは、説明不足であり、何かいい視点はないものだろうか、とハタと困ってしまうわけである。
失われた20年とやらで、日本が「生産性が低いまま」とされてきたその中身は、実はかなりシンプルで、「給料が低い」と言い換えても問題はない。いやいや、たったいま「給料が低い」では言葉足らずだと言ったばかりだが、ちょっと立ち止まっておさらいをしておきたい。
https://www.fnn.jp/articles/-/258682
そこで、デービット・アトキンソンさんによる、面白い話が載っていたので、これをとっかかりにしよう。
概要は「日本人の給料が安いのは、自業自得」ということなのだが、この記事では、とてつもなく重要な話をしていることに気づいてほしい。
もちろん、表面的には「給料が高いか、低いか」の話なのだが、これはもっと奥があるのだ。
それは
「給料が安いと、物が買えない」
というシンプルな図式である。
これ、実は庶貧民な消費者の話ではない。一見すると、給料が安い労働者が、貧しくて困っている話に聞こえるかもしれないが、そうではないのである。
これは
「企業の購買力が落ちている。なぜなら、商品代金を充分にもらっていないから」
ということなのだ。
生産性、つまりコスパにばかり気をとられていると「一円でも払いたくない」という気持ちになる。そして、同時に、消費者は「一円でも安いほうがいい」と感じ、企業も「一円でも安くしないと買ってもらえない」という気持ちになる。
これが日本病の一番の問題点で、そんなことばっかりしているうちに
「モノを仕入れてくる購買力が、無くなった」
のである。
普段から商品代金を満足に貰っていないので、仕入れ値が上がるとヒイヒイ言わざるを得ないのが、現代日本の病である。
ここ20年で、これまで日本人が楽に買い付けできた商材が、軒並み中国やらアジアやら、世界中で取り合いになり始めた。競りの基本は「一円でも高い者が落札できる」のがセオリーだから、「一円でも安い金額しか提示しない日本人」は、もはや落札できない。
よって世界の市場で、日本人は買い付けできる購買力がなくなっているのである。
仕入れの現金が足りないのだ。圧倒的に。
アトキンソンさんの話は「労働者の給料」に目が行くように出来ているが、それはぶっちゃけ二次的なもので、実はポイントはそこではない。
労働者に充分な給料をやるために、価格を上げなくてはいけない、というのはあくまで副産物で、この話の本丸は
「価格を上げていないと、次の買い付けができない」
ということなのである。日本人の10倍もいる中国人とオークションで競り合わねばいけないのである。普通にしていたら、まず勝てないのはアホでもわかるだろう。
この視点をしっかり見ていると、韓国のように「一次的な目的として労働者の最低賃金を上げる」と施策がなぜ失敗したのかわかる。
最低賃金を上げても、購買力は上がらないからである。
ここに1万円の売上金があって、5千円は給料として支払い、残りの5千円を次の仕入れに使う場合、労働者への給料を6千円にしてしまったら、残りは4千円しか残らない。だから企業は儲からないし疲弊する。
では儲かるにはどうしたらいいのか。簡単シンプルである。売上を1万1千円にしたらいいのだ。1万1千円で、売りつければいいのである。
1千円売値を上げれば、購買力が上がる。さらにもう1千円上げれば、労働者にも分け前をやることができる。
いや、実はそうじゃない。それよりもっと面白い。
労働者はコストではなく、次の「購買者」なのだから、給料を1千円アップすれば、「労働者の購買力も上がる」のだ。
WIN-WINの関係なのである。
企業の購買力が上がり、労働者の購買力が上がれば、どちらもお金がよりいっそう回る。本当はこれを持って「生産性が上がった」と言うのである。
しかし、これまで日本のメディアでこんな話が語られなかったのは、「値上げが日本を救う」なんて書いたら読者の批判、庶貧民の反感を買うことが必至だからである。何より「安いことは善」とみんなが思い込んでいるので、「生産性」といったわけのわからん言葉でごまかしてきたに違いない。きっとそうだ。これは陰謀だ(笑)
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私は建築業界のすみっこで働いているが、この秋から冬にかけて、世界規模でものすごいことが起きている。ウッドショックどころか、コロナ禍で世界中のサプライチェーンが分断されてしまったために、
「すべての建築資材が約2割値上がりした」
のである。
2割ってすごい金額で、我々が給料を持って帰る時、所得税で1割、モノを買うとき消費税で1割払っているので、「所得税と消費税が倍になった」くらいの衝撃だ。
だから建築業界では、もう「ローコスト」の建物など建てられない。一括仕入れなどの節約術が吹き飛んでしまうくらい、購買力が企業にも、家を買う個人にも求められるのである。
これからまっさきにつぶれてゆくのは、「工事業者」であることは疑いない。なぜなら、建築代金を値上げできない業者や下請けは、購買費用を賄えないないからである。
かなりの数の業者が、廃業を選択する可能性が高い。
こんな風に嫌が応でも我々庶貧民は
「購買合戦に巻き込まれる」
のだが、もはやこれからは
「購買力をアゲていこう!」
以外に選択肢はないのである。
購買力を上げる公式はたった一つだ。それは
「商品価格も、アゲアゲ〜」
のみである。
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