高橋マサエさんのエッセイは、勇気と励ましに満ちている
私のアイコンは、三つある。
プロフィールで紹介している、こちらのアイコン。
このアイコンを描いてくださったのが、イラストレーターの高橋マサエさんだ。
マサエさんはnoteもされていて、最近、イラストやイベントの案内だけではなく、エッセイも書かれている。
このエッセイが、とてもいいのだ。
お人柄が現れる優しいタッチのイラストそのままに、繊細で、どことなくしっかりとした芯を感じる文章。
これまでコツコツと努力を重ね、頑張ってきたことが、ちゃんと表に現れている。
今回のエッセイは、特に、読む人に勇気を与えてくれるエッセイだ。今まさに一生懸命頑張っている人の背中を押すような、励ましに満ちている。
みるみるうちにスキが増えているので、おそらく「バズって」いる。
それもそのはずだろうと思う。
今、マサエさんは、イラストレーターとして「駆け出し」というよりは、すでに実力派として大きな仕事を受注されているし、お忙しい日々を送っていらっしゃるはずだ。それでも、フリーでお仕事をするのは、とても大変なことだと思うし、日々、研鑽を重ねていることが、Xのポストなどからも伝わってくる。
このエッセイは、マサエさんが初めて「売り込み」をした時のお話だ。そのときの緊張と心もとなさがじかに伝わってきて、こちらまでドキドキしてしまう。そして、ともすれば後ろ向きになる気持ちを必死に抑え、勇気を出して立ち向かったことで大きな糧を得た、その過程が、つぶさに、手に取るようにわかる。心にまっすぐ響いてくる。
ぜひとも、読んでみて欲しい。
創作をしている人なら、自分の作品を売り込んだ経験のある人は多いと思う。本業として頑張っている人はもとより、趣味として始めた人でも、ある一定のラインを越えたら、売り込んでみたい、誰かに自分の作品を伝えて、採用してもらいたいと思ったことのある人は多いはずだ。
昔から日本人は相手に対し「粗品です」「粗茶です」と謙遜しへりくだる文化を持っていて、それを良しとされてきたから、どうしても「私の作品はとてもよくできていますのでどうです、使いたくなりましたね」というような押しの強いアピールに抵抗がある。でも、実際の社会では「たいしたものではないのですが」と言われたものを「そんなことないでしょう、たいしたもののはずです」とは言ってくれない。ここに、強いジレンマが発生する。
もちろん、得意・不得意はあって、自己アピールや売り込み営業に長けている人もいると思うが、どうだろう。やってみようとしても、そう簡単にできないのではないだろうか。営業を得意とする人でも、「会社」や「企業」の名前があるからできている人も多いのではないだろうか。個人の、自分ひとりの名前で、どこまで、売り込めるだろうか。そう考えると、ひとりで自分の作品を売り込むということが、どれほど勇気が必要か、わかろうというものである。
私とマサエさんは、不思議な縁で結ばれている。
知り合ってから初めて会うまでに、だいぶ長い時間を要したし、会ってすぐに、相手のことを良く知ったり、さらには沢山お話ししたり、という機会がなかった。今、書いていても本当にミステリアスな関係だなと思う。
今ようやく、私たちはお互いを知り始めているような気がする。
私はそのことが、とても、嬉しい。そしてきっと、そのことを喜んでくれる人が、あの世にもこの世にもたくさんいると思っている。
マサエさんにアイコンをお願いして、本当に良かった、と思う。
犬の時も「そっくり」と言われたものだが、ヒトの姿を絵にしてもらったら、そちらも「すぐわかりました!」と言われるくらい、そっくりだと言われる。私の本や吉穂堂のことを語る時に、なくてはならないものになっている。アイコンをお願いしたやり取りをしたときも、本当に優しく誠実で、そしてまた真剣にお仕事に向き合われていることが良く分かった。
私は、これからも、ずっと、マサエさんを応援していく。
そしてこのエッセイを読んだら、あなたもきっと、マサエさんを応援したくなるんじゃないかな、と思う。でも結局は、このエッセイで、みんなが、マサエさんに応援されてしまうのだけれども。