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アジア、インドの意味するところは何か?

 アジア、私たちは自分たちの住む地域がそのように呼ばれていることを知っていますが、どういう意味を持つ概念なのか、起源は何かと問われると、あまり知られていないのではないでしょうか。何の語源的説明もなく、そう呼ばれているからそうなのだ、という感じで歴史も地理も進んでいきますが、それぞれの概念が重なる部分があり、意味するところが今ひとつはっきりしません。
 今回から、歴史的経緯も含めて地名、国名、都市名の語源について見ていきたいと思います。


アジアの意味

 「アジアAsia」とはいったいどのような概念なのでしょうか?アジアという言葉は、アッカド語で日が昇る方向、すなわち東を意味する「アスasu」に由来しています。
 紀元前のこと、メソポタミア地方にはアッシリアが勢力を誇っていました。現在のレバノンのあたりに住んでいたフェニキア人は、航海術に秀でていたため、地中海交易でアッシリアに貢献していました。フェニキア人はエーゲ海の西側にある地域をアッカド語で日の沈む方向を意味する「エレブereb」、東側をアスと呼ぶようになりました。やがて、現在のトルコに、アスに地名接尾辞-iaがついた、アシアという行政上の区分が誕生します。
 フェニキアについては以下のリンクで触れています。

 ローマ帝国の時代になると、アシアとされる地域が広がり、エーゲ海東部から地中海東沿岸まで含まれるようになります。ついには、ボスポラス海峡より東は別の大陸であると認識されて大陸の東端までその領域は広がっていきました。したがって、元々のアジアは現在のトルコの小アジア、アナトリア半島のことだったのです。

ヨーロッパの語源

 フェニキア人にエレブと呼ばれたエーゲ海の西側は、ギリシャ神話の登場人物「エウローペーEurōpē」に取って代わられます。フェニキアの王女エウローペーを見初めたゼウスは牡牛に変身して近づき、彼女が背中にまたがったところを、海を渡りクレタ島に連れ去ったとのことです。このエウローペーが「ヨーロッパEuropa」の語源です。
 17世紀半ばにはロシアがシベリアの東端まで到達し、ヨーロッパ大陸とアジア大陸は北方でつながる一つの大陸であることがしだいに判明しました。そこでヨーロッパ大陸とアジア大陸を融合させたユーロEuro+アシアAsiaで「ユーラシア大陸Eurasia」となったのです。
 ヨーロッパとアジアの境目は、ウラル山脈とウラル川からカスピ海に至り、コーカサス山脈、黒海、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡で区切られる東と西ということになっていますが、そもそも1つの大陸を2つの大陸と誤認したことと整合させようとしているだけの話なので、この境界にたいした根拠があるわけではありません。

インドの意味

 インドという言葉は、地理的概念にやたらに使われる言葉です。インドと何の関係があるのかまるでわからない地域にもインドという名前がつけられています。どこからどう湧き出てきた名前で、何をもってインドというのでしょう。
 インドとは、もちろん現在のインド共和国(自称はBhārat「バーラト」に変更された)を指す言葉でもありますが、歴史的にはサンスクリット語で川を意味するSindhu-、古代ペルシア語でヒンドゥは、インダス川流域を指す言葉でした。アレクサンドロス大王の東方遠征を通じて、ギリシャ人やペルシア人は「インダス」をインダス川より東方の地を指す言葉として語義を拡大しました。
 当時のヨーロッパの知識は、地中海を中心とした周辺地域までであり、インダス川よりも東の地域に関する地理的な知見はありませんでした。大航海時代に入り、地理的な知識が増えることでインドの領域は拡大していきます。
 一方でシルクロード交易を通じてシナという国があることは認識されていました。中華を統一した秦に由来するシナ(ラテン語Sinae)のことです。そこで、インドとシナに挟まれた地域は、インドシナと呼ばれるようになりました。ここもインダス川の東側なのでインドでもあります。
 日本では戦前、戦時中に中国のことを「支那」と呼んでいましたが、このシナに対する当て字です。今でも支那そばや支那竹というラーメン関係の言葉に残っていますね。英語の「チャイナChina」はシナから転訛したものです。
 また、インドネシアは「インドの島々」という意味で、概念としてはインドの延長線にあります。インダス川の東側をインドと呼んでいたら、その領域はとんでもなく広がってしまったのです。インド(パキスタンとバングラデシュを含む)、インドシナ、インドネシアを合わせた地域をここでは元祖インドと呼びましょう。

 インドの概念はここで終りません。次回の西インドという概念に続きます。


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