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「天皇」の称号は北極星に由来する

 公家の上下の発生源は天皇にいかに覚えめでたくお側にいることができるのか、頼られるのかです。公家の格付けの話をする前に天皇について見てみましょう。


天皇という称号

 まず、「天皇」という称号はどこから来たのかについてです。
 これは、「北辰(北極星)」を神格化した天皇大帝「てんのうたいてい」という呼び名が語源であるとするのが有力説です。天は北辰を中心として回転しており、つまり北辰こそは宇宙の中心であると考えられたためです。
 緯書の春秋合誠図に「天皇大帝北辰星也」とあり、道教では北辰には太一(たいいつ)という天地を統べる神が住んでいると信じられていました。太一は「太」=「至高」、「一」=「唯一、根源」で至高にして唯一の存在という意味であり、やがて天皇大帝と同一視されました。

左はなぜ偉い?

 官職において左大臣>右大臣のように「左」が上位であるとする思想は、唐の影響によるものです。唐の時代に「天帝は北辰に座して南面す」との思想があり、この状態では天帝の左手が東方になります。太陽の昇る方角である東は尊いという考えが、左が上位であるという思想と繋がります。
 平安京の左京と右京逆のように感じてしまうのは、北を上にして左と右を考えているからです。平安京においては内裏を北に置いて、天皇は南面するので天皇から見て左京が東、右京が西という配置になります。
 左と右の上下関係は支那の時代によって変化するので、「左遷」という言葉に表されるように左が右よりも下とする言葉もあって上下が一定していません。

スメラミコト

 天皇には、外にもいくつかの呼び方があります。
 日本古来の天皇の呼称に「スメラミコト」があり、「天下を統御まします」に由来する「統べる尊」という意味です。その他の説では、スメラを「澄む」と結びつけて王の清澄、神聖性を表すとするものがあります。または、スメラは仏教の世界観である須弥山(しゅみせん)(スメル山)に由来していると指摘する説もあります。ミコトは「御言」のことで、スメラが発する言葉のことです。
 さらに、皇「スメラギ、スベラギ、スメロギ」、皇御孫「スメミマ」という呼び方もあり、スメラギは「統べる君」の意味です。帝「ミカド」は宮門「みやかど」がつづまったものです。
 天皇の御座所にちなんだ「御所(ごしょ)」「禁裏(きんり)」「内裏(だいり)」という呼び方もあります。天皇の后妃となることを入内「じゅだい」といいますが、これは女御として内裏に入るからです。この大婚の儀に相当する女御入内を模したのが雛飾りであり、お雛様の最上段に飾られる「内裏雛」は天皇と后妃です。

天皇の氏名、名字

 天皇や皇族には氏名(うじめい)や姓、名字はありません
 氏名は豪族が氏族名として元から持っていたり、天皇から賜ったりします。天皇は日本で最高の存在であり、誰であるかは明らかなので氏名はいらないのです。氏名は朝廷側から、その者はどの血統の誰であるかを判別するものだったのです。
 姓は天皇から授ける格付けだったので、これも朝廷との関係で称するものです。
 名字(称号)は氏名が固定化したことから新たに自発的に居住地名などを基礎として名乗るようになったものであり、氏名同様に天皇が名乗る必要性はありません。
 皇族には、現代でも戸籍がありません。皇族は皇統譜に登録され、名字(法律上の用語では「氏」)の存在を前提とした戸籍法の適用対象外となっています。皇籍を離脱したときから戸籍法の適用対象となり、名字が必要となります。

天皇の諡号

 私たちが教科書や一般書籍で知っている、「○○天皇」の○○の部分は名前のように思っていますが、あれは何であるかご存知でしょうか。
 実は、○○の部分は漢風諡号あるいは単に諡号と呼ばれるものです。諡号とは死後に贈られる「おくりな」のことなので、つまり生前にこのようには呼ばれることはありませんでした。
 例えば、神武天皇について見てみましょう。神武天皇の神武は漢風諡号であり、和風諡号は神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)です。諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、磐余彦尊その他多数です。
 神武天皇のあとで諱が伝わっているのは第15代応神天皇以降です。応神は漢風諡号であり、諱と和風諡号はともに誉田別(ほむたわけ)です。第54代仁明(にんみょう)天皇まで和風諡号がありますが、それ以降の天皇は漢風諡号のみとなっています。

 さて、以上のことを踏まえると今上天皇に元号名をつけて呼んではいけない理由の一端がわかるのではないでしょうか。明治以降は1世につき1元号とされていて元号がそのまま諡号となる可能性があり、例えば昭和天皇がご存命中に「昭和天皇」と呼んではいけなかったのは、それが諡号だからです。
 もっとも元号と天皇の諡号の一致については単に明治、大正、昭和と3代たまたま続いただけで法的根拠があるものではありません。先代の諡号は新天皇が決めるべきことであり我々が口を挟むべきものではない、という立場が政府答弁で何度も確認されています。
 江戸時代以前は元号と諡号が一致することはありませんでしたので、むしろ歴史的に例外事例が続いている、というのが現状です。

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