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水戸黄門の「黄門」は「中納言」

 今回はこれから名前の解説を進める上で重要な官職名についてのお話です。この話は避けて通れないものの、単体では退屈な説明に終始するので、後から戻って読むことにしていったんさらっと目を通すくらいの感じで読んでいただければと思います。
 官職名は格式の高い通称として使われます。

律令制下の官職名

 日本は白村江の戦いの敗北を受けて部民制を廃止し、唐の制度を取り入れて中央集権国家を目指したのが飛鳥浄御原令や大宝律令です。公地公民制は、基本的にすべての土地と人民は朝廷に帰属するとした制度です。これを実現するためには、どこからどこまでが朝廷の土地で、誰が公民なのかを把握する必要があり、戸籍制度などが生まれました。戸籍に登録するには、その人の名前が確定されている必要があります。また、中央の政治を担う官僚制度を整備し、官職を定め、地方の管理体制を整えていきました。
 律令制は、制定後100年ほどはうまく機能しましたが、やがて形骸化が進み、徐々に崩壊していきます。しかし、このときに定められた官職は、明治の世になるまで尊卑格付けする役割で機能し続けます。それは武士のみならず、農民、商人、職人の通称にまで大きな影響を与えるようになるのです。

中央官制

 官制について、概略と特に名前として使われるものを紹介しましょう。
 まず、中央官制は二官八省一台とされています。二官は神祇官(じんぎかん)と太政官(だいじょうかん)で、太政官の下に様々な省などが置かれています。
 太政官の構成は、最上位に太政大臣(だいじょうだいじん)、その下に左大臣、右大臣、内大臣(ないだいじん)が置かれ、その下に大納言(だいなごん)、中納言が置かれます。大納言の下には左弁官局、右弁官局、少納言局が置かれます。
 左弁官局は、中務(なかつかさ)省、式部(しきぶ)省、治部(じぶ)省、民部(みんぶ)省を管轄し、右弁官局は兵部(ひょうぶ)省、刑部(ぎょうぶ)省、大蔵省、宮内(くない)省を管轄しました。大蔵省は2001年まで省庁名として残っていましたし、宮内庁は今でも同じ名前ですね。一台は弾正台(だんじょうだい)のことです。
「省」は省察吟味を意味します。

中央官制

官の職掌

 太政大臣は最上位の官職ですが、具体的な職掌はありません。則闕(そっけつ)の官[1]であり、唐名は「相国(しょうこく)」「太師(たいし)」です。
 左大臣は太政官の政務を統領し、宮中の儀式を総裁する、現代の首相のような役職です。右大臣の職掌は左大臣と同じであり、左大臣が欠けたときや出仕しないときに左大臣の職掌を代理で行いました。内大臣の職掌も左右大臣と変わりなく、代理職です。副首相が序列をつけて二人いると考えればよいでしょう。大臣の唐名(とうみょう)[2]は「丞相(じょうしょう)」です。左大臣、右大臣はまたそれぞれ左相府(さしょうふ)、右相府(うしょうふ)と呼ばれることがあり、これを略して左府(さふ)、右府(うふ)と言います。これに倣って内大臣も内府(ないふ)と呼ばれます。徳川家康を内府殿と表現する書簡がありますが、これは家康が内大臣だったからです。
 大納言の職掌は、「庶事に参議し、敷奏(ふそう)[3]、宣旨(せんじ)、侍従(じじゅう)、献替(けんたい)[4]を掌」ることです。つまるところ、大臣の補佐です。納言(なごん)とは「下の言を上に納れ、上の言を下に宣べる」という意味です。大納言の唐名は、「亜相(あしょう)」といいます。中納言の職掌も大納言と同じで、唐名は「黄門(こうもん)」です。水戸黄門でよく知られている官職名ですね。少納言は「詔勅宣下を掌り、天皇印と太政官印を取り扱」います。
 大納言と中納言の下位に参議が置かれていますが、組織図には位置づけられていません。参議は「宮中の政に参議する」という意味で、唐名は「宰相」といいます。

左右大弁は、支配下の太政官内のことを監督する役目です。
中務省の職掌は、禁中の政務を掌ることです。
式部省の職掌は、礼式や文官の人事考課、叙位を掌ることです。
治部省の職掌は、戸籍、雅楽(うた)、僧尼、山稜、外交を掌ることです。
民部省の職掌は、諸国の戸口、田畑、山川、道路、租税などを掌る、現代の農林水産省や国土交通省、自治省、国税庁、財務省などを合わせたような組織です。
兵部省の職掌は、兵士、軍事一切を掌ることです。
刑部省は裁判を行い、罪人の処刑を掌る、現代の裁判所、法務省のような組織です。
大蔵省の職掌は、貨幣、金銀、珠玉、雑物を掌ることです。
宮内省の職掌は、天皇の御料地の管理や宮中の大小の御用を勤め、宮中のすべての土木工匠を掌ることです。
弾正台の職掌は、風俗を取締り、内外の非違の弾奏を掌ることです。逮捕権はなかったようですが、警察と検察を合わせたような役どころでしょうか。
 ここまでの説明で「あれ、摂政や関白はどこ?」と思ったかもしれません。摂政及び関白令外官(りょうげのかん)といって律令制に定めのない役職です。太政大臣とどちらが上なのかは一概には言えませんが、事実上摂政関白の方が上に位置づけられました。ちなみに内大臣、中納言、参議も令外官です。

職・寮・司、諸衛、諸使

 各省の下に職「しき」、寮「りょう」、司「つかさ」が設置されています。職は省より下で、寮は職の下、司は寮の下という位置づけになっています。寮は官舎を意味します。
 全組織を紹介することが目的ではないので、ここでは人名に関係しそうな官名のみ紹介しましょう。

 中務省の配下には、大舎人(おおとねり)寮、図書(ずしょ)寮内蔵(くら)寮内匠(たくみ)寮縫殿(ぬいどの)寮があります。
 治部省の配下には、雅楽(うた)寮玄蕃(げんば)寮、諸陵(しょりょう)寮があります。
 民部省の配下には、主計(かずえ)寮主税(ちから)寮があります。
 兵部省の配下には、隼人寮(はやとりょう)があります。
 大蔵省の配下には、織部司(おりべつかさ)があります。
 宮内省の配下には、大膳職(だいぜんしき)、木工寮(もくりょう)、大炊(おおい)寮、主殿(とのも)寮、掃部(かもん)寮、内膳司(ないぜんし)、采女司(うねめのつかさ)、主水司(もんどのつかさ)があります。

 また、太政官の埒外にも同様に職・寮・司・坊等が設置されており、修理職(しゅりしき)、馬寮(まりょう)、兵庫(ひょうご)寮斎宮(さいぐう)寮[5]、検非違使(けびいし)庁、諸衛、諸使、蔵人所(くろうどどころ)、院司(いんし)、春宮坊(とうぐうぼう)があります。馬寮には、左馬(さま)寮右馬(うま)寮があります。

 諸衛(しょえい)(六衛府(ろくえふ))には、左近衛府(こんえふ)、右近衛府、左兵衛府(ひょうえふ)、右兵衛府、左衛門府(えもんふ)、右衛門府があります。衛門府のことを「靫負(ゆげい)[6]」「靱負(ゆきえ)」または唐名で「金吾(きんご)[7]」といい、通称としても使われます。番長という役職は、交替勤務する諸衛の各番における長のことです。不良少年グループのリーダーを番長と呼びますが、諸衛の番に由来する言葉だったのです。
 諸使には、勘解由使、造寺使、遣唐使などが含まれます。院司は上皇におつきの役人で、その護衛役に武者所があります。

四等官

 いずれの省・職・寮・司・諸衛・諸使にも、四部官が定められ、四等官とも言います。四等官は長官「かみ」、次官「すけ」、判官「じょう」、主典「さかん」という4つの役職があり、それぞれに定員が定められていました。省や職・寮・司により異なる漢字が設定されていますが、一律に「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」と呼ばれます。一部には、漢字どおりの別の読み方が存在するものもあります。下の表では別の読み方があるものについては、そちらのふりがなを振っています。
 また、太政官は大臣が「かみ」、大納言、中納言が「すけ」、少納言、弁官が「じょう」、史(し)、外記(げき)が「さかん」に相当するものの、「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」とは読まないので、例外的です。

中央官制の四等官

 この表に合わせて、官名+「の」+四等官のように読むのが通常です。例えば式部大輔であれば「しきぶのたいふ」、主水正であれば「もんどのかみ」と読みます。ただし一部に例外があり、斎宮寮頭は「さいぐうりょうとう」と読み、「の」は入れず、「かみ」とも読みません。

 「光る君へ」では右大臣や左大臣、春宮坊などが頻出し、「烏は主を選ばない」では式部省や図書寮などの名前が出て来ましたが、すべて律令制の官名です。
 次は地方官制と名前の具体例を見てみたいと思います。


[1] 適任者がいない場合には欠員でもよいとされる官職。
[2] 唐の相当する官職名のこと。律令制は唐の制度を真似したので、各官に唐の官職名に相当する名前がある場合が多い。
[3] 天皇に意見を申し上げること。
[4] 主君を補佐し、善を勧めて悪をいさめること。
[5] 斎宮とは斎王の御所のこと。斎王は伊勢神宮及び賀茂神社それぞれの最高の巫女であり、天皇が即位するたびに未婚の皇女から占いにより選ばれた。斎宮寮は斎宮の従者である。
[6] 矢を入れる道具である靫(ゆき)、または靭を負う者の意味。
[7] 不祥を避ける金色の鳥の名前。天子が行幸する際に先導する役割を担う。

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