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なぜ朝ドラ『らんまん』は名作となったか

朝ドラ『らんまん』が9月29日、最終回を迎えました。

毎回、本当に素晴らしく、ドラマ好きの人にも歴史好きの人にも刺さった作品だったのではないでしょうか。

元来、歴史好きの人は朝ドラよりも大河ドラマを観る傾向があるように思うのですが、今回は幕末~昭和までを生きた植物学者がモデルということもあり、いつもの朝ドラよりも歴史ファンが観ていたように思います。
そして、そうした歴史ファンも満足する作品になっていった。
その理由を少し、考えていきたいと思います。


理由1:メンターとヒロインの存在が大きかった

まず、竹雄の存在が大きかったこと。
これはもう、圧倒的で、東京にいて一緒に暮らしてくれる仲間がいたという安心感に加え、常識のない万太郎を叱ってくれるメンターでもあったわけで(後に、実際に義理の兄になってしまうのもよい)。
特に、実際の牧野富太郎博士は金遣いが荒くて、それが原因となって家業の岸屋を傾かせてしまったと言われていますが、
竹雄は「峰屋は若の財布じゃない」と万太郎に復唱させたりしていました。
竹雄のみならず、周囲の人が万太郎を支えることで、共感を得にくい「孤高の天才」ではなく、みんなのヒーローになったのだと思います。

次に、ヒロインの寿恵子
モデルとなった寿衛は、子どもを13人産んで、借金取りを追い払って引っ越しを重ね、金の工面をするために待合茶屋を経営するも批判が集まって店を処分、最後は病気になってもお金がなくて病院のベッドから追い出されたとか、散々なエピソードが語られることが多く、今の時代にこうした状況をそのまま描いたら万太郎への非難が殺到したことでしょう。
ここに、「八犬伝」を持ってくることで、寿恵子が憧れていた世界観を描き、自分の意志で行動する主体的な女性にすることに成功しました。渋谷の将来性にチャンスを見出し、仕方なくではなく、経営をしたいから店を始めるというストーリーにした。
さらに、帝国大学内で研究室のメンバーの妻が如何わしい店を経営しているという批判が生じた際も、それで店をたたむのではなく、何なら万太郎が辞表を出してけりをつけたわけです(しかも、その理由に南方熊楠が問題視した合祀令の話を持ってくるところもスマート)。
妻が働いて、夫が職場を辞するというのも、かつての価値観ではありえない話でしょうし、これも今ならではの時代感を過去にうまく投影したなあと思いました(別に羨ましいと言っているのではないですよ笑)。
120円で買った店を5万円で売却して商売を終え、大泉に広大な土地をゲットするという、ビジネスセンス溢れる女性として描いていたのがお見事でした!
(また、綾も苦難を乗り越えて酒造りに成功したところで終えているのも、素晴らしい描き方でしたね)

最終週のスエコザサも、駆け足気味ではあったものの、万太郎の没後を描くことで、万太郎一人が取り残された感じを出さず、しかも寿恵子の味を親子丼で再現させるという、とても美しい最終週でした。
(ラスト二日、図鑑の編集作業の様子が『舟を編む』を髣髴とさせました。この時若干嫌な予感をした人も多かったでしょうが、そこはそうならなくてよかったです)

理由2:クレイジーさを抑えた

上記の竹雄の存在とも重なる理由ですが、暴走しそうになる万太郎を制御する支援者が多かったのも大きいと思います。
代表格が上記の竹雄ですが、常識人の徳永の存在も大きかったでしょう。
最初は東京大学への出入りに反対していた徳永でしたが、『植物学雑誌』発行を巡って次第に距離を縮め、万葉集の話で親しくなります。
その後、雑誌についても、欧米の学者が読みやすいように表記の工夫をアドバイスしたり、思いは届かなかったものの田邊教授への配慮をぬからないよう助言しています(文責を連名にしろ、まで言えばよかったのですが)。

そして、助言を素直に受け入れる性格であるということを自然に感じさせた、主演の神木隆之介さんの演技が、何よりも大きかったことは間違いありません。

加えるなら、後半で出てくる万太郎の助手の虎鉄くんが、南方熊楠からの手紙を読んだ時に「それにしたち、とんでもない御仁ですね。…しかし……この方の態度は」と熊楠に対して苦手意識を見せていましたが、そういう態度を取ることで、万太郎と熊楠のキャラクターの違いを際立たせる効果もあったと思います。

自分のやりたいことに全力で取り組むけど、誰とでも仲良くやろうとする「天真爛漫な」キャラクターも、万太郎を万太郎たらしめたのではないでしょうか。

理由3:群像劇であった

主人公は槇野万太郎は、日本中の植物を解き明かし、図鑑を出すことを目指して研究に励んでいましたが、彼一人の活躍を描くのではなく、周囲の人たちの物語も十分に描いたのが素晴らしかったと思います。
そう、彼だけの物語ではなく、彼をとりまく皆の物語だったのです。こうすることで、主人公のある種の強烈さが薄れる効果もあったのではないでしょうか。

とにかく、万太郎を応援してくれる人が多かった。
親代わりに育て上げたタキにはじまり、竹雄や綾のような身内以外にも、博物館の野田や里中、植物学教室の波多野や藤丸、岩崎や永守などの財界人など、万太郎はとにかく周囲の人に恵まれていたのです。
それは、ラスト二日目の図鑑制作で集まった面々を見れば明らかですね。広瀬佑一郎、丈之助、野宮さん…。まさに大団円でした。

目の前に立ちはだかる人物も、完全な悪人ではない。
万太郎を出禁にした田邊教授は、もとを辿れば万太郎の植物学教室への出入りを許可した人物。学内政治などに追われて闇落ちしつつも、美学は持ち続けており、仕事にかける真剣さは疑うべきもないわけで。
最後には奇しくも万太郎と同じ植物を追うことになり、勝利。その時のピュアな喜び方と、その後の悲劇も含めて、極めて魅力的や人物だったと思います。

理由4:時代と政治を描いた

近現代の歴史、とりわけ政治を描くというのは、
敵を作らずにやっていこうとすると、かなり勇気のいることでもあります。
しかし、そこから逃げなかったことで、その時代を生きる人ならではの苦悩を描くことができた。

江戸から明治に変わり、学問が必要になる時代。
名教館での学びの面白さと、そこから変わった小学校のつまらなさ。ここで中退して正規の教育ルートに乗らなかったことで諸々の不利益は被るものの、全てを引き受けつつ、自分の「好き」を貫きました。

自由民権運動が地方に訪れた時代。
運動に身を捧げる早川たちとの対話。
実際の政治への興味はまだそこまで感じられなかったものの、人間に植物を見る時の考え方をトレースし、大きく成長することができました。

急激な欧化を推し進めた時代。
そのために政府は酒蔵に重税をかけてきました。
また、鹿鳴館で寿恵子が感じた違和感。
急ぐしかなかった時代の雰囲気が伝わりました。

戦争を繰り返して「帝国」になっていく時代。
大学の役割も変わり、軍人に逆らえなくなった。
英語を使う田邊に対して、徳永はドイツ語。
日本の大学がドイツの影響を強く受けていたこと、帝国大学が国家の機関であることを象徴的に描きました。
台湾を訪れて万太郎が発見した植物に現地の言葉を使おうとした。
そのことで渋谷から𠮟責を受けますが、
雑誌に田邊の名前を書かなかったときの狼狽えとは異なり、
明確な信念をもって反論したのです。
そして、神社合祀令に反対して、大学を去ることを選ぶ。

極めつけは、関東大震災。
そこで起こった悲劇も語らせた。

そうした一つ一つから目を背けずに描いた誠実さが、歴史ファンの心も打ったのでしょう。

理由5:継承の物語に仕上げた

学問の世界は、厳しい。
ずっと追いかけていたことであっても、
少しでも先に誰かに発表された時点で、自分の成果にはならなくなる。
その厳しさに、藤丸は打ちひしがれ、大学を中退しようとまで思い悩む。
万太郎が徳永に助手として呼ばれた際も、徳永は「勝ち負けなんだ、槇野」と話す。
一方で、学問は先行研究を踏まえての、新たな蓄積でもあります。
いわば、継承されていくものでもあるのです。

標本と図鑑は、まさにその象徴。
最終日にできてきた図鑑の冒頭の前書きにある、謝辞。
今までの登場人物の記憶が一気に蘇りました。
そして、その中には、早世した長女の園子の名前もありました。

名教館

また、田邊が非業の死を遂げた後も、田邊の妻・聡子が蔵書を万太郎に譲ることを伝えにきました。これも、学問の思いを継承すること。
そして、聡子は田邊の子どもを身ごもっていた…。
一つ一つのエピソードが、とても丁寧な作品でした。

植物学という、社会の流れと一見全く関係なさそうな学問に打ち込んだ人の生涯を通じて、激動の時代を描き切った朝ドラだったと思います。脚本を書かれた長田育恵さん、神木隆之介さんはじめキャストの皆さん、制作されたスタッフの皆さん、感動を、ありがとうございました。

らんまんの放送終了までに、大学のソウルフード一覧を書ききればとか思ったりもしましたが、やはり間に合わなかったのが残念です(笑)。
次の『ブギウギ』終了までには間に合うか?
わかりませんが、日本の大学のソウルフードのフローラを解き明かせるように頑張っていきたいと思います!!

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