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文系で学んだことと仕事、就職の紐付けに悩む【和田 嘉弘#2】

前回はこちら。

卒論を書くために買ったPCはすっかりインターネットマシンと化していたが期日はくる。そろそろ本格的に取り組まなければと思い始める4年生の春頃。普段の授業はともかく、卒論はちゃんとチャレンジしようと思っていました。

大学で学んだ3つのこと

優しい先生が多かった日・日(にちにち)でしたが、卒論は厳しい大濱 徹也先生つきました。(年末からこの文章を少しずつ書いていたところ、2月9日に訃報が…。残念すぎます。)単位を取る上や勉強不足の学生にとってはとても怖いのだけれど、1年生で概論を受講していたときから、社会性がある話、私たちが山川の教科書で学んだこととは違う歴史観は好きでした。

大濱先生の授業は難しいし、テーマそのものがど真ん中で好きというわけではなかったですが、歴史の捉え方や研究するということについて、モノの見方と考え方といったような俯瞰的なところを学ばせてもらったことがとても大きかったです。

大学時代の授業そのものの中身はすっかりわすれてしまってることのほうが多いけれど、3つなにかあげるとすると結局こういった見方、考え方、捉え方のようなものが浮かびます。

1:相対的なモノの見方と考え方
2:俯瞰的なモノの見方と考え方
3:中央、地域、個人の歴史の考え方、捉え方(勝手口の視点、追体験・想像力、原風景)

ずいぶん抽象度が高い3つですが、歴史を学ぶことなど、文化系の学問は抽象度をあげないと今回のタイトルどおり、仕事とか未来に紐付けられないということでもありました。

歴史を勉強していることが仕事、就職に紐付けられないモラトリアム


なぜ歴史を学ぶのか。
歴史を学ぶことの意義は、未来を考える課題を発見するため

というように考えました。

多様性、ダイバーシティといわれたりするのは相対的かつ俯瞰的に物事を捉えなければならないし、多様であることは中央ではなく、地方、地域、個人単位で歴史を見ることなどから捉えることができます。

イシュードリブン、イシューからものを考えるというのはとても大事ですが、こういったことに転換できるモノの見方、考え方そのものについて考えたり、歴史的アプローチものを見たり考えることについての手法そのものは血肉になってきてるなと思います。

と、いまでこそこんな風に考えら得るのですが、、、当時は大学での学びを「就職活動」「会社選び」にどう活かしていいのか全くイメージできないところから始まりました。そもそも、4年になっても就職するということすらピンとこない始末。

まわりでは、大学院に進む人、就職する人、教師となる人が多かったような気がします。就職は2/3くらいか。就職先は様々ではあるけれど、銀行、通信会社で企画系に進む友人なども。けれど、どうしてそうしたの?という話をしても、私にはどうも腹落ちしません。

大学で学んできたなんでもいいんですが、なにかと会社選びの理由がリンクしているように思いたかったのです。同期にもめんどくさいといわれますが性格なので仕方がありません。イメージがつかないので、就職活動はまったくしていないし(冷やかしで当時は視力がめちゃよかったからパイロット試験にはがきを出したら一次が通ったが二次は行かなかった。ひどい学生だ)、どうにかして大学に残って、もう少し考える猶予を持とうということで、卒論ベースで博士課程を受けてみたりもしたが落選。

卒業はして、大学に残る理由を教員免許を取るという理由にして、あらたに科目等履修生という形で2年間大学に残ることを親にも了承をもらい(といっても宣言に近い)、残らせてもらいました。

私の親は両親ともに教師で、筑波大学はもともと東京教育大学なので、教職員という道はわりときれいな道です。そして、本当に教員には興味はあったのだけれども、日・日では国語しか教員免許が取得できず、社会ならなぁと思いつつ4年間では教職向け授業を全く取らず、卒業後、科目等履修生という仕組みで社会の教員免許を取りました。おかげで卒業したばかりなのに、すぐにかなりの単位数を取る羽目に…。

科目等履修生時代は、相変わらず2/3はネットにはまり、1/3は教員免許の単位を0ベースで取らなければならないので割と授業にも行っていました。この頃、卒業した自分にとって、学類生の授業はなにかいきなり違う世界のように違和感もあったのを覚えています。

教育の道ではないことがわかった。リミットいっぱい

教育実習も終わり、免許も取得。次は本当にどうするかのタイミングが近づいてきたのですが、今の教育現場に教員としていくのはちがうなと思って免許だけとって試験もうけずにやめちゃいました。

ちがうと思った一番の理由は、「教育」ということが社会を良くするという結果につながる時間軸が長いということからです。なにを今更当たり前のことをいわれそうなのですが当時はそのタイミングでしか思えず。中高生に教えてその子達が社会にでて活躍しだすのが仮に23歳くらいだとしても、7,8年かかる。大学生への教育と考えるとまた少し違ったかもしれないですが私の人生観、価値観だとそこのサイクルで結果を出していくということは長過ぎると感じました。

父親は養護学校で小学生、中学生に現場教師と最後は校長を担当し、引退後は大学でも少し教鞭をとっていたのでずっと教育ということについては近くで見てきました。養護学校というさらに特殊な環境において、私がこの時間軸での判断をしたときに、今までで一番父親がすごいなと思ったことを覚えています。一方で、教育にはやはり興味があるし、教師じゃない形ではなにかしら関わりたいなということもはっきり思ったタイミングでした。

もっと早く、社会に対しての問いかけやアウトプットを直接的に出してみたいとうことがわかり、教師という選択肢が消えました。2年間残らせてもらった大義名分でもあったので、自分や親も含めていよいよ納得できる働き方や人生観をすぐに決めなければならなくなりました(おそい)。タイムリミットいっぱい。

#就職活動 #起業 #人生 #生き方

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