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筑波大学入学とネットとの出会い。つながりっぱなしの世界へ【和田 嘉弘 #1】

2000年6月にインテリジェントネット株式会社のボードメンバーとしてジョインして、2019年1月時点で19年目も後半に差し掛かっています。そろそろ20周年を迎えることや、自分が40代になったいま、自分のコアになっているモノの見方や考え方、そこに影響を与えたものを言語化して、未来にもっていくものを見定めようという試みです。

自分に向けた内省であり、壮大な自己紹介であり、会社や同じコミュニティを共にする仲間へは私の価値観の共有ができたらお互いにとっていいのかもしれないとも。

筑波大学日本語・日本文化学類というちょっとかわったところに入学

生まれと育ちは北海道の北広島市という札幌と千歳空港の中間にある街。広島県人が明治17年に移住してきたことから北広島といいます。北海道稲作に貢献した街で、最近だと日本ハムファイターズの新球場ができることで少し全国ニュースになった札幌のベッドタウンです。ちなみに、広島らしく少年野球は少年カープになります。

94年に筑波大学の日本語・日本文化学類(通称日・日(にちにち))と少し変わったネーミングのところに入学しました。学類とは他の学校でいう学部のようなもので、日・日は日本語教育者の養成を目的に作られました。

本当は同じく筑波大学の比較文化学類を前期試験で受験したのだけれど、センター試験の結果が悪く落ちてしまい、後期で日・日を受けて合格したので入学しました。筑波大学全般だったかはわからないけれど、日・日の後期試験は、答えがあるテストというより小論文など考え方を見られるものでそちらのほうがうまくはまりました。

比較文化学類と日・日は同じ第2学群で、筑波大学は他学類の授業も単位として認めてもらえる割合が高く、浪人するのも嫌だったので入学を決めました。文化や歴史関係の授業を主に取っていけば近しいことは学べるんだろうなと。

北海道からつくばにきて、18歳でひとり暮らしを始め、友達も徒歩10分圏内にみんな初一人暮らし。なにもかもが新しい体験の中、まだつくばエクスプレスもなく、最寄り駅まで車で20分ほどかかるという牧歌的な立地。なんとなく東京とは違うんだろうな、けど関東出しなという感覚は大きくハズレて、東京の大学生とはだいぶ異なる大学生活。けれど、私には楽しめる環境でした。90年代後半の大学生なのに昭和的に麻雀、音楽、車やバイクなどにいま思うとまぁまぁな時間を使っていました。

自己紹介のホームページなんて誰が見るんだ!?場作りへの目覚め

94年入学なので、翌年にはWindows95が発売。なんとなくインターネットという言葉は聞こえてきたけれどよくわからないという感じでした。転機となったのは、97年に3年生になり、卒論を書くことになるのだが、手書きかワープロどちらがで書きなさいと。

手書きで書くのは流石にないし、まわりもその選択をしなかったけれど、ワープロを買う友人が多かったなか、私だけPCを買ってWORDで卒論を書き始めました。97年とはいえ、ワープロかよって思われる方もいると思うけれど、ちょうどこんな記事もあがってきたとおりリアルタイムにいるとなかなか俯瞰して見られないものです。

「ワープロはいずれなくなるか?」という質問に30年前のメーカー各社はどう答えた?|@DIME アットダイム https://dime.jp/genre/644604/

私がかったPCは、OSが最初95で98アップグレード権利がついていたような気がします。ちなみに、さほどPCにも興味があったわけではなく、中学生のときには親に無理をいってPC98を買ってもらいましたが、ゲームソフトのイースくらいしかやってない高級ゲーム機にしてしまったほどでした。ごめんなさい。

いざインターネットにつないでみると、97、8年の日本のインターネットは日に日にWebサイトは増え、新しいサービスが立ち上がり、徐々に盛り上がりを見せてきていました。とはいってもまだGoogleもない時代。まだまだインターネットはとても狭かった。

徐々にネットにはまる中、自分でもホームページを作ってみようかと思い立ち、本屋にいくと、自己紹介のホームページを作りましょう、というような本が並んでいる。私には当時書きたい文章もUPしたい作品もありません。今も昔もcontent is kingですが、当時は技術フォーカスの書籍しかありませんでした。いろいろ考えて、当時Webチャットをよくしていたこともあり、自分でも、「場」を作ろうと思いました。

個人が発信する、つながりっぱなしの新しい世界へ

レンタルサーバーを借りて、フリーのCGIプログラムを見よう見まねでinternal server errorを出しまくりながらWebチャットを作って、コミュニティを作っていきました。結果的には、割と流行って、24時間誰かしらチャットしてるような場になりました。その当時、ネットにハマってる人はこんな人が多かったと思います。

・可処分時間がむちゃある。主に学生。当時、主婦(主夫)はそこまで多くはなかった感触があります。
・なにか(主に睡眠)を犠牲にして時間を費やす人。
・リアルからの逃亡(まぁまぁ初期は特に多かった)。

お金はともかく、いまのようにスマホでスキマ時間というのではなく、デスクトップPCに向かって時間を圧倒的に費やすということなので一定のフィルタリングがされていた人たちだったと思います。

インターネット、Webは目に見えて凄まじい勢いで広がっていきました。情報は今までのようにマス発ではなく、「個人」が発信、コミュニケーションしているログは、従来ニッチで取り上げられることもなかったような情報でも、世界をみれば仲間がいるような世界。これはすごいことになるのだろうなという感覚がありました。

自分がつくったサイトで会話する人たちも10代から30代くらいまでを中心に、地域、職業は多様な人て、このつながっている感覚がとてもワクワクしました。

この「場」をつくるという体験、多様な人とつながっている感覚をこの時期に(時期というのは結構重要だと思う)経験したことがその後の考えに大きな影響を及ぼしました。つながりっぱなしの世界という、まだよくわからないけれど、新しい世界、価値観が生まれていく変わり目にいるんだということを強く感じました。

#就職活動 #起業 #人生 #生き方

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