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ヒモになる覚悟とマズローの欲求段階【和田 嘉弘#3】
教員には尊敬の念をいだきつつ、社会を良くしていく時間軸が長く、職業として教育を選択することはやめようと思ったまでが前回です。
ヒモになる覚悟とマズローの欲求段階
博士課程について大濱先生に相談したときに、いまでも強烈に覚えているのですが、「お前はヒモになる覚悟があるか」ということをいわれました。いまはわかりませんが、1998年当時は、文化系で博士になる道のりは遠く、かなり年齢が高くなってから、自分の人生の集大成的で博士になるという感じがありました。その間、大学に在籍してお金に苦労せず生活していく糧を得るのはかなり難しい。大学のポストもかなり少ない状況でした。
金も稼げない。ヒモになってでも学問の道を選ぶ気概がお前にはあるのかと。最近、大濱先生門下生の方から、大杉栄と神近市子を想起してこういう話をしたんだろうねといわれました。なるほど、確かに授業で日蔭茶屋事件の話があったような気がします。
お金は手段とはいえ、生きていくのにも困り、ヒモになるまでの覚悟はないなぁと。ある意味博士課程に落としてもらったのはラッキーだったかもしれません。
さて、どうするかということで、うんうん考えて、じゃあ、自分の欲求をちゃんと整理しようと思い立ち、マズローの欲求5段階を引っ張り出してみました。下位欲求は生理的欲求で食欲、睡眠欲、性欲とか次は安全の欲求、高次は自己実現になっていくあれです。
図を眺めながら、自己実現に時間を使えるために、どれだけ下位欲求を早く駆け抜けることができるか、ということを考えてみました。お金はその時間を短縮するための手段として捉えます。なかなかこれは筋がよさそうです。
じゃあ、自己実現でやりたいことはなんだろう。
2つ思い浮かんで、
1つは、社会課題(当時は社会性くらいな意味合い)の解決に取り組めること
もう1つは、自分がしたいことを研究(のようなこと、つまりはお金ならなくても動機があること)。
研究は先の通り、ヒモの覚悟といわれて、職業としては選択しないが、余暇的にやるのはいいだろうと落ち着けました。社会課題の解決は、アカデミックではなく、民間で取り組んでいる人たちってどういう人達なんだろうと調べてみると、どうも、アメリカでは一回おもいっきり稼いで、そこから社会課題にそのお金をつぎ込んでいる人が多そうに見えました(99年当時あたり)。ビル・ゲイツとか。
なるほどなぁ、とは思ったものの、いかにもアメリカっぽいというか、トレーダーがどこか後ろめたさをもって寄付する人が多いといったようなもので、資本主義、20世紀的な感じが強くします。分けて考えるのが個人的にしっくりきません。
日本的の社会課題への取り組みってもっと三方良しな考え方じゃないかと。もう少しみていくと、ソーシャルビジネスという単語を知り、これはとてもいいなぁと思いました(20年経ってこの考えがずいぶんメジャーになったと思います)。
マズローの欲求段階を使ってみた自分の欲求まとめ
下位欲求はマズローの欲求段階にあるとおり強い欲求で避けがたいのだろう。そこで労力はなるべくかけたくない。
ヒモになる覚悟はない。自己実現にはわりと強い思いがある。ここに行き着くのが若く、健康なタイミングでいきつきたい。そのためには早めに時間を短縮する手段としてのお金が必要である。
1回おもいっきり稼ぐという方法はあるらしい。が、日本っぽくないし、しっくりこない、割り切れる気もしない。ソーシャルビジネスという考え方はステキだ。
というところまで整理ができました。ソーシャルビジネス…。これはお金になるのだろうか!?もう少しここは整理も突っ込みどころもありそうです。
学んできたこと(学びたいこと)と働くことの紐付け
もう1つのこだわり、紐づけ問題。モノの見方や考え方、歴史の捉え方、相対的なモノの考え方などを学んだことは大きい。文系だから営業だとか、企画職だとかは嫌だ。インターネットはとても未来を感じる。
「インターネットは文化である」。日本の歴史を考える中で「ログが残る歴史」ということはとても意義深いことだ。インターネットに関わる仕事はわるくない。とこじつけました。
このこじつけには理由はあります。学校では赤い山川の教科書を使ってきた人が多いと思います。
筑波大学で学んだ歴史の見方として、中央の歴史だけでない歴史観があります。そして、日本の歴史書は世界と比較して、史実を都合よく塗り替えてきたところもあります。一例としては、黒塗り教科書などがよい例でしょう。
インターネットは「ログが残る」。そして、当時は匿名性というところも強く出ていて、私はあんまり好きではなかったですが2ちゃんねるのログも1つの文化だし、それがなんにしても消えないでたまり続けることから見えてくる歴史観、文化というものがあるだろう。そして、これはいままでの歴史上なかったアプローチで、かつ、日本では特に意味があることだ、と考えました。
インターネットは、シンプルに好きでわくわくするし、未来があると強く感じる。
下位欲求に縛られるのは嫌だ。自己実現の欲求は強そうだ。そこには社会課題を解決したいというような思いがある。インターネットで価値観が変わろうとしているなかで、20世紀的な価値観で下位欲求、お金を稼ぐのはどうも嫌だ。インターネットはわくわくする。インターネットはとても歴史的にも意義深いのだ、、たぶん。
もう少しインターネット周りを深ぼってみることにしました。
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