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忘れられない本

先日、「忘れられない映像」というエッセイを投稿したのだが、今回はその姉妹編というか、幼い頃に読んだどうしても忘れられない本について書いてみたい。再び1970年代の話だ。
 
私が幼い頃から忘れられない本は2冊しかない。一冊目は、ネットでやっと探し当てた。民話と伝説シリーズ「世界の美しい話」偕成社(1970年)だ。大石真の編集で絵は藤沢友一による。
 
当時、私は7歳だったと思う。図書館でみつけた偕成社、世界の「民話と伝説シリーズ」にどっぷりとはまった私は、1キロ離れた図書館に1人で歩いて通いつめた。
 
50年前の日本で、小学生の私は、徒歩で自転車で、どこにでも自由に行った。親にも何も言われなかった。2024年の現在、私はカナダで子育て中だが、こちらでは、7歳の子供の1人歩きなどは御法度だ。時代が変わった。
 
それはさておき、シリーズには美しい話の他に、ゆうれい話、こわい話、ざんこく話、こころをうつ話、まほう話、悲しい話等々があり、全て民話と伝説に基づいていた。残念ながら、これらの数冊の本の内容は「美女と野獣」以外は何ひとつ覚えていない。ただ夢中で読んだことだけは覚えている。小学生の頃は海外文学の翻訳物ばかりを読むようになったのも、こんな体験があったからかもしれない。
 
シリーズの中で、なぜ「美しい話」ばかりを何度も何度も読んだのかというと、その表紙に心を奪われてしまったからだ。それは藤沢友一画伯による、「美女と野獣」をモチーフにした表紙だった。バラ園に悲しそうにただずむ美しいベルの後ろに、彼女を見つめる野獣がファンシーな宮廷服を着て立っている。2人の背景にはエレガントな中世の城が佇んでいる。この表紙は50年たった今でもはっきりと覚えている。
 
2冊目は、正確に言えば本ではなく、子供向けの百科事典だった。今の子供は、何それ? と思うかもしれない。
 
50年前は、子供に百科事典を買ってやることが流行っていた。百科事典のセールスマン、セールスウーマンが、一軒一軒家を訪問し、主婦を相手に子供に百科事典を揃えてやることの重要性を語った。親はローンを組んででも買った。
 
そういえば、昔はちり紙交換のトラックがよく近所に来た。夕方、主婦たちが道端で世間話をしていると、豆腐売りのオジサンがラッパを吹きながら木製の大きな箱を乗せた自転車でやってきた。冬の夜は、遠くのラーメン屋の屋台や焼き芋屋のトラックから、客寄せの声が風に乗って微かに聞こえてきた。
 
さて、70年代に出版された子供向けの百科事典をネットで検索してみた。あるある! 当時の百科事典の写真がずらりと。
 
私の事典は、装丁はよく覚えていないのだが、1巻から10巻ほどあって、1巻目は「むし」だったような気がする。「のりもの」、「しょくぶつ」、「どうぶつ」など、1巻ずつテーマが違っていたと記憶している。
 
そういう条件を絞って検索を続けると、私が幼稚園の頃、毎日飽きずに眺めていたのは、恐らく学研の「学習ずかん百科」だったと思う。当時はまだ、5,6歳だったから、私は、「読んで」いたのではなく、「見て」いた。10巻の内容は1つの項目を除くと全く覚えていない。しかしその1つの項目が、幼い私に与えた影響は計り知れない。
 
その項目は、「しゃかい2:むかしといまのくらし」の巻に入っていただろうと思う。文章なしの絵だけの項目で、人類の歴史がテーマだったと思う。ここにできるだけ正確に思い出してみようと思う。
 
まず、最初の見開き2ページには広大な草花のない茶色の荒削りな土地に、大きな川が悠々と流れている。ところどころに集団で狩りをする原始人がいる。槍を持って数人で、毛がモサモサのマンモスを倒そうとしているグループもいる。地平線上には激しく噴火中の山々がみえる。
 
次に覚えている見開きは、明らかに戦国時代のものなので、時代が飛び過ぎているのだが、恐らく私が忘れてしまった見開きのページもあるのだろう。戦国時代の日本人が、大きな川が流れる広大な土地で敵と味方に別れて戦っている。鎧に身を包み、馬上から戦う者もいれば、徒歩で槍を持って戦う者もいる。地平線上に見える山々は、もう煙を吐いていない。
 
最期に覚えている見開きは現代を描いている。広大な土地一面は建物で埋め尽くされ、川は暗渠(あんきょ)の下を流れ、暗渠の上は歩道になっている。地平線上に山々が見える。
 
6歳の子供は、考古学も文化人類学も歴史も地理も知らない。幼い私は、ただこれらのページに魅せられて、毎日飽きずに、時代ごとに土地の風景が変わっていく様を眺めていた。

人間が、ある土地に生き続けていくという、あまりにも profound なテーマも、こんな方法なら子供にも分かってもらえるという、いい例だと思う。

今振り返ってみると、「時間の経過」というような概念について、ぼんやりとでも考えさせられた、初めての体験だった。
 
次に日本に行くときは、古本屋を巡ってこの2冊を買い求めたい。しかし、事典は、セットで売りにでているものを、1巻だけを買うのは不可能かもしれない。

2冊だけだが、どうしても忘れられないような本に出合えた幼い私はラッキーだった。
 
 
 

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