011『迷途町案内』ショートショート(2417文字)

 迷途町駅前には、案内屋の屋台が軒を連ねていた。取引先へ行くにはここで「案内」を買う必要があるが、さて、どれにしたものか。
 案内人、案内小町、案内犬、案内猫。生き物もいれば、案内提灯、案内杖、案内手毬など道具もある。さすが不思議の町だ。
 しかし一番興味が惹かれたのは、案内鯛焼という暖簾だった。鯛焼って、あのタイヤキだよな。少し離れて観察していると、常連と思しき男がひとつ買っていった。正真正銘、アンコの詰まったあのタイヤキだ。それに糸が括り付けられていて、なんと、宙を泳いで男の前を進み始めた。これはすごい。これに決まりだ。
「すみません、ひとつください」
「あいよ。……って、お客さん、見ない顔だね。この町は初めてかい」
「ええ。仕事で取引先へ行くところです。案内が必要だと聞いて」
「この町の道は生きてるからね。少し目を離した隙に動いちまう。だがねお客さん、素直に案内人とかにしといたほうがいいと思うぜ。ほれ、あそこの案内小町なんて可愛いじゃないか。あっちにしときなよ」
「妻から、人買いみたいな真似はするなと釘を差されてまして」
「なら犬とか猫にしなよ」
「動物は嫌いなんですよ。なんですか、そんな頑なに」
「タイヤキは玄人向けだからね」
「さっき買っていった人を見ましたよ。ついていくだけじゃないですか」
「そんなに簡単じゃないんだがね。まあ、どうしてもっていうならいいけど。あっしは止めやしたからね」
 不承不承という感じで、店主は焼きたてをひとつ手渡してくれた。すでに糸が括られていて、風船のようにぷかぷかと浮いている。すごい、実に不思議だ。
「目的地を言い聞かせれば、案内してくれるよ。けどねお客さん、こいつらをあまり信頼しないほうがいい。とくに、曲がり角を右にばかり曲がるようになったら、反対の道を選びなさいよ。こいつら、こんな姿になっても、本能ってもんがあるんでさ」
 鯛は右回りの習性でもあっただろうか。
「ご忠告どうも、それじゃ」
 糸を引くと、タイヤキは私の前を泳ぎだした。取引先の社名を伝えると、弱い力で先導していく。その不思議な光景をうっとりと見ながら、私はタイヤキの後をついていった。
 それから数十分は歩いた。この迷途町というところは同じような景色が続くばかりで、道が変わるという不思議を抜きにしても、すぐに迷ってしまいそうだ。
「まだ着かないのかなぁ。約束の時間までもう一時間もないぞ。なあタイヤキくん、まだ着かないかなぁ」
 先ほどから同じところをぐるぐる回っているような気がしないでもない。似た建物ばかりでそう錯覚させられているだけかもしれないが、店主の言っていたこともある。右回りが続いているわけではないが、タイヤキに逆らって道を変える必要もあるだろうか。
 そんなことを考えていたから、私は周囲に迫る気配に気付けなかった。急に物陰からふらりと小さな人影がいくつも現れて、いつの間にか取り囲まれてしまっていた。
 みすぼらしい格好をした、小汚い子供たちだった。見るからに孤児か浮浪児といった感じで、彼らはギラギラとした目を私に向けていた。逃げ道は……ない。
「物乞いか」
 タイヤキに気を取られて、いつの間にかスラム街に来てしまっていたらしい。うんざりした気分で懐から財布を取り出し、紙幣を何枚か抜き出して放り投げた。
「ほら、これでいいだろ。私は忙しいんだ、道を開けろ」
 だが、子供たちは金には目もくれずに私を見上げている。睨んでいるといってもいい、凄みのある目だった。思わず後ずさってしまう。
「おい、お前ら……まさかとは思うが、私をどうにかするつもりか? やめたほうがいい、こちとら護身用にこいつがあるんだぜ」
 隠し持っていたピストルを取り出し、銃口を向ける。威嚇に一発、地面に向かって撃ってみたが、ガキどもは怯むどころかじりじりと包囲を狭めてきやがった。
「おい! おい! それ以上近づくな!」
 じりじりと壁際まで追い詰められたとき、とてつもない素早さで私の手が払われた。銃を持っているほうの手じゃない。糸を掴んでるほうだ。あっという間にタイヤキが掠め取られて、ガキどもはそれに群がった。
 小さなタイヤキに、何人もの子供が我先にと食らいついて千切っていく。おぞましい光景だった。そんなに空腹だったのだろうか。しかし、このままでは私まで同じように食われそうな危機感に背筋が凍る。ガキどもがタイヤキに夢中になっている間に走り出した。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
 全力疾走なんて、学生以来だ。痛む腹をさすりながらガキどもを撒いたことに安堵して……しかし、別の不安が私に降り掛かってきた。
「どこだ……ここは……」
 案内タイヤキを失った私は、それから何時間も彷徨った。その過程で、さきほどのガキどもと同じように腹をすかせた者を何人も見かけた。それは子供だけでなく、大人もいれば、女もいた。
 日をまたぐ。一回。二回。五回。十回。気づけば、私も立派な浮浪者になっていた。
 その間、かつての私と同じように、案内タイヤキを連れた通行人を見かけることがあった。タイヤキだけでなく、案内ドーナツ、案内天ぷら、案内寿司など、案内食は意外と多種多様らしい。
 それらがあれば帰ることができる。私はかつてやられたように、通行人から案内食を奪い取った。だが駄目だ。そいつらは決まって、空腹具合が限界を迎えたころに来るものだから、奪った矢先に食い尽くしてしまう。いつまで経っても元の世界に帰ることなどできやしない。
 案内焼き鳥をむしゃむしゃ食べているときに、ふと案内鯛焼の店主が言っていたことを思い出す。
『こいつらこんな姿になっても、本能ってもんがあるんでさ』
 そうか。食い物の本能は案内などではなく、食われることだったか。
 食われるために、腹をすかせた者を嗅ぎつけて向かうのか。
 そんなことが今になって分かっても、もう遅い。
 私も、常に腹をすかせた餓鬼でしかない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?