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【現実での疑問が勉強に向かわせる】

仕事をやっていて、たまに経済で言う、独占や寡占の状態にあるのではないかということを感じることがある。これは、デフレマインドが抜けて、それに便乗して独占や寡占になりやすい状況も生まれているのではないかとも思う。独占や寡占であるかは定かではないが、インフレを良しとする風潮は良いのだけれども、そのチェック機能も経済の不効率が生まれるのでおろそかにするべきではないのではと思う。

そこで、独占や寡占をインターネットで調べてみると、独占や寡占が起こると、市場の価格調整機能が効かなくなり、失業や景気循環、インフレーション等、マクロ諸病理の原因の一つであるとのこと。

経済学を一応触れたことにあるものとして、独占や寡占はミクロ経済学かマクロ経済学かどちらで習ったことがあるか記憶が定かでないが、調べてみると主にミクロ経済学で取り上げられているようだった。そして、マクロ経済学では座標軸を使った説明は今のところ自分の持っている過去の教科書では見つけることができなかった。

教科書を読んでもどんな経済の不効率があるか理解できない部分もあったので、AIであるCopilotに聞いてみると、主に生産の抑制による価格上昇により、生産量は小さくなり、需要が減退するということであった。ミクロ経済学の本では、生産者余剰が発生して、Deadweight Lossすなわち死重損失が発生すると書いてあった。

調べていくと、この寡占というのは、ゲーム理論でよく取り上げられ、囚人のジレンマでよく説明されるナッシュ均衡が生まれた時に、その両者が高利益を獲得するためにその均衡点を選ばずお互い結託するのは独占禁止法は禁止するのだが、暗黙の強調という形をとるかもしれないとも書いてあった。だから、この寡占に対するゲーム理論の話では、その均衡点というよりも、それを選ばないための協調ということを取り上げて説明されていた。

意外にも普段に起こっていることは学問的に説明されており、まさに歴史は繰り返すということから昔の人は同じようなことを考えてきて学問を築きあげてきたということで、現実の世界で不思議に思ったことを学問に問うてもいいのかもしれない。

こうやって現実に起こっていることを少し調べて考えるというのも勉強であり、それが一番モチベーションを生むとも思われる。それこそ本当は勉強であり、勉強という言葉がとっつきにくくしている点もある。ただそういったことだけでは深い追求はできないから、研究機関や大学などの専門的に追求する機関があるのであるが、どうしても言葉という世界で追求する空想上のことにもなりやすく、続けて同じことを学ぶ忍耐力と興味の継続が必要だろう。

現実世界に飽きた人達がそういった研究機関で没頭する人もいるし、その逆もあるである。どちらが良いとか悪いとかいうことではなく、どちらも大事で、仕事で壁にぶち当たることにより、勉強に向かわせるということは一つの手段であり、いかに現実で行動を起こして何かを成そうとするということがエネルギーを産むのだと感じたのであった。


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