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【川の流れのようにする】

会長の初盆を終えて思うことがあったと言えば、あれだけ生きるのに必死だった会長も、長渕剛のガンジスの歌詞ではないが、死んだら灰になるだけ、という虚しさだった。

何か長渕剛が富士オールナイトライブの鶴になった父ちゃんを歌う前に、両親を亡くして自分が透明人間のようになってしまったと言ったのは少しわかり始めてきた。

会長がよく考えていろいろ行動していたということを今になるとよりわかる気がしている。亡くなった人はより神格化していくというのもあるが。

そうやってどうせ死ぬのだから、執着せず、いいこと悪いことどちらがいいかもわからないし、素直に受け入れて、あまり重く受け止めなくてもいいと思うようにもなった。

比較的、成功したとも捉えられる会長に生きている時に、成功の要因は何かと聞いたことがあり、運と言ったことがあるのは印象に残っている。

一生懸命に努力すれば、運がより多く舞い込んでくるとも思うが、人生不確定要素が大きく、運の要素が大きいとも自分では今は思う。そんな感じで、やる気がなくなったというようにも捉えられるとも見られるかもしれないが、人生は川の流れのように任せることしかできないのではとも思う。そこでいかに没頭して楽しめることを見つけられるか。昔の自分からすれば大きな変わりようでもある。

そして、善悪を自分の心の中に問うてみて引っ掛かることがあればやっぱり辞めたほうがいいのではとも思うようになった。例えば、従業員の長所を消して自分の思うように変えようとすれば、それは自分にほとんどが悪い結果として、返ってくるし、それは周りが教えてくれる。

そんなこんなで、初盆を終えて、やる気がなくなったというより、周りの状況も変わってきて、必死に生きるのだけれども、何か俯瞰して見るようになったのは、歳を重ねてきたのだろうかと思った。親を亡くすというのは人生のうちでやっぱり大きいことなのかもしれない。

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