見出し画像

【49日】

1月7日に一足早めの会長の49日の法義を身内のみで行なった。仮仏壇で30分、新調した仏壇の前で15分、おっさまにお経を唱えて頂いた。

49日のお経は通夜や葬儀の時よりはだいぶ長く、自然と長いお経となったのは、身内以外の人がいないからなのか、それとも成仏するためには長めのお経が必要なのかと考えたりしていたが、後で聞くと簡略されたお経の選択などはなかったとのこと。

お経を唱えている間は特にすることもなく、顰蹙を買うのは承知であり、お経を読んでくださるおっさまが最も大変であるが、スマホを操作したりするというのはどこまで許されるのか、一見非生産的な儀式に対してどう意味を捉えるべきかということを不思議に思った。スマホを操作するという行いがどこまで許されるかというのは決まりというものがなく、法事の場での非常識な行動は最も避けられるべきものであるが、そう考えると、織田信長は父親の葬儀の場で焼香を投げつけたというのは特異な人であったのだとか考えたりした。


お経の間、考えることしかできない時間を過ごすと、何か生産的なことを見出そうとして、いろいろと考えた。お骨は仏壇の前にあり、会長の肉体の一部は身近にあることはできないから会うことはできない。そのことにより、自分がいかに普段から生産的なことばかり考えているということを認識させられた。散歩は運動という生産的な行動を伴う点では少し違うが、自然と考える時間を持てるから似たものでもあり、毎日そんな考える時間を大事にしたくなった。

人間は全員死ぬのだからそこは平等として、全て何か物質的なものになり、それは不変だとしても、地球がなくなれば、そういった物質的なものもなくなる。そして、宇宙の起源は何かというところまで考えが行ってしまった。それは無であるというところに行くしかなかった。考えてみると、無から始まるということは当然のことで、そこから何か始まったというのも当然のことのようにも思えた。結局、人間が脳で想像できることは限られていて、人間の知らないことは無限にあり、時間の概念も人間が感覚として持っているだけのものであり、そう考えると死は恐れるものでもなく、いつか会長に会えるのではという期待もよぎる。最終的にはやっぱり人間の意識というのはどこにあるかということで、そこの解が出てしまったらどうなるのだろうということも考えた。

学生時代には部活などを休む理由として、法事がよく使われてよく疑われもしたが、今となっては法事で休むという理由も信憑性が昔よりも小さくなってきているのではないかということもふと考えた。いずれにせよ、こういったことは忙しくなく、ぽっと時間を与えられると考えてしまい、やっぱり死を考えるのは怖くなってくるから、忙しくありたいとも同時に考えた。後で、以前の49日はもっと親戚が集まって盛大であったという話を聞き、いかにそういった一見非生産的な時間を費やす時間が減ったというのは何か我々に欠ける部分が出てきたのではないか、生産的なことを追い求めてもキリがなく、悟りのようなことも必要になってくるのではないかとも考えた。

会長も生きていた時にはそんなようなことも考えていただろうとも思ったりした。話は全く飛ぶが、ひとときの損害などは大したものではなく、結局、苦労も喜びもしかるべくしてあり、それを受け入れつつも、やはり大きな極端な苦しみは避けるよう努力すべきではないかと会長も悟っていたのではないかと自分なりに想像したりもした。

こうやって亡くなった人から少しずつ教えられながら、勉強していって、残された我々が教えられたことを活かし、自分の人生を楽しむしかないとも思う。よって、最後の方には自然とこんな一見非生産的なことをすることが、修行であり、人生をよりよくしていく、そしてそういったことこそ仏教など宗教の教えのようなものでないかと自分なりに解釈して、今後も一見非生産的な行いを増やしていきたいと思った49日であった。次の大きな法事は、初盆と一周忌であり、そんなことを考える大事な機会にしたいと思った。

#法事 #法義#49日#仏壇#会長#仏教#浄土宗#宗教

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?