🐼

哲学を専攻しています。文章を書く練習です。

🐼

哲学を専攻しています。文章を書く練習です。

最近の記事

向いていること、向いていないこと

今日の政治を形成しているのは、自由である。 フランス思想界最後の現象学者を誤読すること(東風に誤配と言えば良いのだが)からはじまった多様性の時代は、といってもその過程でより多くを占めるようになったのは政治性なのだが、そこで目指されているのが何かを自覚しないまま、各人をその無前提性において肯定するという途を辿ることになった。そしてこの肯定は、自由への肯定と同じ意味をもつものとして理解され、その反対側で不自由な人々の解放が叫ばれるようになった。 とは言うものの、実際に解放され

    • 解釈的不正義を是正するには?

      解釈的不正義とは、 英米圏の哲学者ミランダ・フリッカーが提唱した認識的不正義のひとつの形態であり、物事の解釈に関わる次元での構造的な不正義である。具体的には、かつての鬱病に対する思い込みだという発言のような、それを言い表す言葉や経験がないことを原因とする不正義のことを指す。このような解釈的不正義は、社会的経験と呼ばれる、社会に共通する経験の不足によって引き起こされることが知られているが、もちろんそれだけが原因ではない。 同じく英米圈の哲学者であるホセ・メディナは、解釈的

      • 「繋辞」と「構想力」

        be, être, sein など、SVC構文をつくる動詞の中で、SとCが同一の指示対象であることを示す動詞を「繋辞」(コプラ)という。例えば、「I'm Japanese」という文章は「私」を、人称の観点から「I」と、また国籍の観点から「Japanese」と言い表しており、そしてそれら二つの言葉が「am」という繋辞で接続されることで、「私」が「I」であり同時に「Japanese」であることが可能になる。 「私は学生である」、「私は男である」、「私は幸せである」、「私は20歳

        • 生きたことについて

          経験論と呼ばれる哲学の潮流では、人間は白紙の状態で生まれるとされる。が、例えば遺伝子のことを考えてみると、私たちにはすでになんらかの「文字」が刻み込まれている、とも考えられるのではないか。 聖地に刻まれた壁画が文字であるように、白紙に刻み込まれた文字は確かにそこにあるが、目で見ることはできない。にもかかわらず私たちはそこに文字が、意味が刻まれていることを理解している。それは差異の哲学者が語った「目と耳の間の経験」の如きものの、最初の実感なのかもしれない。 判読できないもの

        向いていること、向いていないこと

          本を読むことについて

          本を読んでいると、時間なんてものはないことを実感する。この実感に反して、部屋には秒針の刻む音が響き渡っており、昨日やり損ねた提出書類は今日こそはやってくれよと言わんばかりに机の上に転がっているが、しかしそうではない。 時間はしばしば、2つの別の意味で語られることがある。19世紀フランスで生まれた時間の哲学者は、いわゆる「時間」を「量的時間」とし、私たちが体験している「質的時間」と区別した。なるほど、確かに同じ1時間でもただベットの上で転がってる1時間と課題に集中して取り組ん

          本を読むことについて