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人生レベルでのつながりと体験を創る。これが私の”はたらく”理由。

この記事は、ourly noteリレー企画の記事です。 前回は私と共同生活をしている砂川さんが、「全社員で、唯一意志なく入社した私のWhy in ourly?」というタイトルにて、これまでの紆余曲折あった人生を綴り、ourlyにかける想いを表現してくれました。(砂川さんとはourly創業当時から一緒にやってきた身として感慨深いものがありました。是非読んでください!
次は、同じ組織開発チームの関根さんです。 彼は料理人から未経験でITスタートアップに入社するという経歴を持っています。はやくも記事化が楽しみです!

この記事は、弊社のVALUEの1つ【“はたらく”にこだわろう / Why in ourly?】をテーマとしており、
・今までの人生において、何を考えて、どんな目的を持って、どうやって過ごしてきましたか?
・これからの人生において、どうなりたいですか?
を書いています。

内省するとても良い機会だと思うので、今後関わる方々との事前ご挨拶用としても活用したいと思います。(そのためメイン画像はそれなりにシックにしてみました。)
かっこつけず等身大で書いてみたので、このnoteで少しでも自分を知ってくれたり、何かの会話や繋がるきっかけになれたら嬉しいです。

【~18歳】自分で意思決定したことがない

小学校の同級生は4人でした。(田舎あるあるですね)

友を笑かすことだけ意識した365日

初手から強めの見出しですが、どんな目的を持って生きてきたか?と問うと、正直18歳まで大きな決断は自分でしたことがないです。
ただ、覚えていることは、ひたすらに周りの友人を笑かすことだけ意識して365日過ごしてました。 (雨天日のグランド整備すると言って校庭にドラえもんを描き、校長先生に怒られるなど)

簡単に18歳までの体験を列挙すると、こんな感じです↓

<富山県のど田舎で生まれ育つ>
・お寺の家系で生まれた(3世代前で途絶えている?らしい)。
・長男絶対王政で、次男は悪い意味ではなく放置。
<片親となり、横浜に引っ越し>
・絶対王政の関係性は続投され、兄が父親的存在、私は1人っ子ポジション。
・受験、スポーツ、趣味、ファッション、髪のセットすべて兄の真似。世界一兄がかっこいいと思っていた。
<大学で兄が1人暮らしを始め、母と二人暮らし>
・たまたま受かって入学した大学で流れのままに1年目を過ごす。

ほんとうに母と兄から愛情を注いでもらったな…と感謝の気持ち思でいっぱいなのですが、自分で意思決定してこなかったなと反省しています。

母の一言で人生が変わる

そして、大学1年の後半にターニングポイントが起きます。
ある日突然母から「起業家交流会に行ってみたら?」と提案を受け、後日参加してみると、自分と同世代で意思を持って活動している方々と出会い、何も意志なく生活している自分と比べて、深く情けない気持ちになりました。

翌日には意志を持った人間になりたい、という一目惚れに近い感覚で、掛け持ちしていたアルバイト先に辞める電話をして、長期有給インターンに挑戦しました。 (選考時に学歴フィルターがあり、私の所属大学はそこに足りていなかったが、熱量先行で突破できたのもいい思い出です。)
それが人生ではじめて自分で意思決定した瞬間で、そこから巡り巡って下記のような体験をしました。

・出会って数日の友人と1ヶ月初海外旅行。死に際を3回ほど体験し、自己効力感が醸成。
・憧れのファッションデザイナーに会うために1人でハワイに出国。ラブレターを書いて帰国したらDMをいただいた。
・自分が好きなリアリティショーに出るため、番組ディレクターを銀座300コインバーで出待ち。結局出演できなかったけど、ディレクターには会えた。

などなど。
今でも母から18歳を機に性格が変わったと言われます。

【20代~】名指し評価をどれだけもらえるか

「タイトル:厳しい船出」:学生時代に油絵コンクールで入賞し台湾で表彰されました。

サービスリリース前の会社をファーストキャリアに

18歳で性格が変わった私ですが、ご縁をいただき、長期インターン2社目のourlyをファーストキャリアに選びました。

当時のourlyは事業構想段階で、サービスがない状態で飛び込んだので、正直事業に共感したというよりは、こんなサバイバルな環境でこのメンバーでやっていけば、なんか面白いことが起こるだろうというワクワク感が理由で入社決意しました。(入社プレゼンではかっこよく最高のストーリーを描きますと宣言したような…)
まったく根拠のない自信でしたが大きな希望を持って入社したことを鮮明に覚えています笑

厳しい船出

しかし、船出は厳しいもので、(ここで見出し画像の回収)営業職としてキャリアをスタートしたものの、1年半受注がうめずに本当に苦労しました。
営業で売上残せないって、生きた心地しないです。ほんとに。

そこから
・役員の営業トークをWordに書き出し&印刷して、休日返上で音読
・深夜(もはや早朝?)まで役員に付き合ってもらい、提案書レビュー
・夕食後は、母、叔母ちゃんをお客さんに見立ててロープレ
など試行錯誤した結果、初回受注にて、同日2社契約(当時社内初)をいただき、それ以降はコンスタントにご契約をいただけるようになりました。

名指し評価をどれだけもらえるか

本題ですが、ourlyでの活動を振り返ると、「目の前の顧客の組織をより良くなるには」×「自分の介在価値は何か」にこだわって”はたらいて”きました。

特に後者には強いこだわりを持っていて、弊社は自社システムをもっているので、自分の介在価値がなくてもご契約をいただけたら、セールスとしての役割を全うしていると思います。
ただ、せっかくはたらいているならば、吉房寛詠という人間が関わったことによって成功したと言ってもらいたいです。(SaaSビジネスの理想的な拡大とは逆行する思想ですが)

それもあって自分が受注したお客さんを自分で成功まで手がけたく、3年目にセールスからカスタマーサクセスに異動希望を出しました。(現在も社内で唯一異動した社員となっています。)

嬉しいことに、最近では自分のキャリアをおもしろがっていただき、「自社の若手社員に話してほしい」と講演会登壇の機会をいただいたり、お客さんやそのご家族と休日にキャンプしたりなど、取引関係を超えて人生レベルでの関係性を築けているお客様もいます。

今後もその思想は変えず、せっかく”はたらく”なら、自分だけしかできない仕事をして、人生レベルでお付き合いできるつながりや体験をourlyでしていきたいですし、その体験を後押ししてくれる経営陣がourlyにはいることに改めて感謝をしたいと思います。

これが私の“はたらく”にこだわる、です。


少しでも共感していただけたり、気になる箇所があれば、是非お話ししましょう!


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