あんみつを食べながら

仕事の帰りに、喫茶店であんみつを食べている。

夫と帰りに買い物に行く約束をしているのだけれど、まだ夫の仕事が終わるまで時間があるから、時間つぶし。

自宅の最寄り駅前にあるスーパーの中にある、昔ながらの喫茶店のようなレストランのようなところ。
ふと、母を誘ったら喜ぶだろうなぁ、と思った。

母はあんこが大好きだ。
病気で体がどんどん動かなくなって、起き上がるのも寝返りをうつのも嫌がっていた時でも、食べることは嫌にならなかった食いしん坊な母。

母が嬉しそうにあんみつを食べるところを思い浮かべて、なんだか幼い頃の感覚になった。

とにかくお母さんが笑ってると嬉しい。

私の記憶の中の母は、ちょうど今の私くらいの年齢の母から始まる。いつも眉間に皺を寄せていた母。
褒めてくれることはあまりなくて、忙しくてちゃんと話を聞いてないか、子どもながらに良かれと思ってやったことを気づかないか、「余計なことをして」と叱られることも。

お母さんに怒られると、この世の終わりのように悲しかったし、それでも褒められたい、笑って欲しいと思って頑張ってみたりした。

思春期になって、その報われない頑張りが捻れていって、二十歳頃、私の心は崩壊してしまった。

母の言葉は全て命令に聞こえ、従うのも疲れたし聞きたくなくなったけど、従わないのも大きな罪悪感に苛まれる。でも自分で決めると必ず何かしら文句をつけられると思い、何もできない。
仕事を決めることから、誰と遊ぶのか、今日何を着るのか、何時に起きてどこにいて何を食べるのかさえも。
私は半年くらい、ひきこもりのような生活をしていた。

そんな大きな衝撃(姉からすると、遅れてきた反抗期だそうだ)を経て、ちょうどその頃くらいに2人目の姉も家を出て、父も定年になり、少しずつ母は穏やかになって妙に私に世話を焼くようになり、私も無理やり社会に出て、大人の心の距離感のとり方をおぼえ、それから十数年も実家にいたけれど、いつのまにか、母の言動に振り回されることは無くなっていた。


それでも、今も変わっていないんだな。

お母さんが笑ってると嬉しい。

褒められなくても平気だけど、今ならあんみつくらいはご馳走できる。

まぁ、今いる場所は誘ったからと言ってすぐ来られる距離ではないのだけれど。

月一度は実家に帰るようにしていたのに、この夏は新しい仕事を始めてバタバタしていたら、2ヶ月帰っていない。
お盆に帰省とかいうほど、そんなに遠いわけでもなく。気づけばもう8月も終わり。

来週あたり帰ろうかな。



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