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むかしの匂い

「これね、むかしの匂いがする」

猛烈にキーボードを叩いていた私は、娘の声にハッと顔をあげた。パジャマ姿の娘が匂い袋を手に取りクンクン嗅いでいる。その三つ連なった小袋は数年前に私が縫ったもので、中には香木店で買った詰め替え用が入っている。しばらく住まいの裏口に掛けていたが、模様替えをした際にダイニングへ移したのだった。

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小さな人のまっさらな心に、白檀や桂皮、丁子の混ざった香りはどう映るんだろう。俄然興味が湧いてきた。時刻は22時を回っている。5歳の娘には遅い時間だったが、今この時にしか話せないことだと思った。

──少しお話ししようか。

そう言って私が座りなおすと、娘は嬉しそうに微笑んだ。

──その匂い、好き?
「うん!素敵な匂いだよね」

──Yちゃん(娘)の言う“むかし”って?
「うんとね……すごーくすごーく遠いところ。車でもいけないほど遠くて、うさぎとか蛇とか怪獣とかがいて、ブラックホーム(ブラックホール)があってなんでも吸い込んじゃうところだよ」

思いがけず壮大な話だ。
「これは山の匂い、これは葉っぱとか木の匂いがするの。それからこれは花の匂い。どんどんお部屋をね、お花に変えちゃうの。ぜーんぶお花に変えちゃうの。それでね、世界中がお花になっちゃって、地球からでて宇宙にもお花がさいちゃうの。それでね、仏様がお花に包まれるの!」

三つの匂い袋を一つ一つ手にとって話してくれた。そして、娘の最後の言葉にドキッとした。すっかり忘れていたことを思い出したのだ。

──この匂い袋が宇宙にまでお花を咲かせて仏様を包むか……それはすごいね。そうか、Yちゃんはこの匂い袋の秘密がわかったんだね。実はこの匂い袋には秘密があるんだよ。
「なになに??」
小さな人は目を輝かせた。

──お父さんがお仕事で木を削って仏様を彫るでしょう?
「うん、仏像さんをなおしたりもするよ!」
──そうそう。でね、彫るときに木の小さなかけらがいっぱいできるんだけど、お母さんはその木のかけらも仏様だなぁって思ってね。そう思うともう捨てられなくなっちゃって、この匂い袋に入れたの。だから、ここには仏様がいらっしゃるんだよ。

娘は私の目を見たまましばらく何かを考えたあと、大きな声で言った。
「もう一回そのお話しして!」

請われて、匂い袋に仏様のかけらが入っている話を二度三度と続けた。娘が、幼い頭の中に、あどけない心の中に、何か一生懸命インプットしている。とても大事な時間を過ごしているような気がした。三度同じ話をすると、今度は娘がゆっくり話し始めた。

「お父さんはね、一生懸命ね、仏像さんや神様(神像)を直したり、作ったりしてるよ。お寺さんに行ったりもするよ。私ね、お父さんを応援してるの。心から」
何かを確かめるように続ける。
「それでね、この匂いはね、うっとりいい気持ちになるの。仏像さんが入ってるからだね。それでね、神様と仏像さんはね、私をずーっと守ってくれてるの」
うんうん、その通りだと思う、と真っ直ぐな娘の目を見ながら頭を撫でた。

「……お母さんありがとう」
──こちらこそありがとう。またお話ししようね。さぁさぁ、お布団に入ろう。
「うん」

そう言って素直に寝室に行こうとした娘が、ひょいと振り向いて言った。「匂い袋のお話……美しかった」

私は誰と話しているのか分からなくなっていた。目の前の小さな誰かの、ただ真っ直ぐな明るい心に触れて胸打たれた夜だった。

あどけない姿
自由に心をあそばせ想像する心

語られないまま消えて行った星の数ほどの物語。
これも、その中のひとつ。

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以来、しょっちゅうクンクンしています

【連載】ほりごこち
仏像が日本にやってきてから1500年の間、御像の数だけあったであろう幾多のエピソード。仏像を造ったり修復したりする造佛所で、語り継がれなかった無数の話。こぼれ落ちたそんな物語恋しい造佛所の女将がつづる、香りを軸にした現代造佛所私記。
前回の記事:異香ただよう

【著者】吉田沙織
高知県安芸郡生まれ。よしだ造佛所運営。看護師と秘書を経験したのち結婚を機に仏像制作・修復の世界へ飛び込んだ。夫は仏師の吉田安成。今日も仏師の「ほりごこち」をサポートするべく四国のかたすみで奮闘中。
https://zoubutsu.com/

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