「正しい日本語」?

6月6日土曜日 

何だか最近、昼家にいるのが嫌なので、14時くらいからは近所のスタバへ出かけ、そこでずっと本を読んだり考え事をしていた。

俺の好きな国語学者に大野晋氏という人がいる。 もう故人であるが、昔たまたま「日本語練習帳」本を古本屋で200円くらいで買って以来、この人の著書を何冊も読むようになってから、氏の日本語論に魅せられている。家を出る前に何気なくこの「日本語練習帳」を鞄に入れて出た。 

俺は日本人として、日本語をもっと大切にしたいという思いがある。 

俺は今世、日本人として、日本で生まれ、日本で育ち、日本の文化の中で生きてきた。この文化に愛着があるのは当然のことで、日本が大きく崩れつつある今、日本語こそが日本を日本たらしめる最後の砦だと思っていたりする。 

日本の政治には本当にうんざりしているが、日本語さえしっかりと生きていれば、日本は必ず復活できるだろうという希望が俺にはあり、それが俺の日本語学習のモチベーションともなっているのだ。

私はなんとなくこの本の後半の敬語に関する章を読んでいたのだが、なんと衝撃的なことが書いていた。

引用開始

デスはもともと、『てにおはす』からきたと思われますが、ニテは名詞を受ける助詞ですから、デスも『山です』『本です』『私です』など、名詞につくのが大部分です。

それはうれしかったです。 とても悲しいです。

など、名詞でない語に付く形は、昭和の初め頃までは普通ではなく、例外的にか使われませんでした。

中略

「高いです」のような形は、方言としては、西日本の大部分の地域で早くから使われましたし、東日本でも使う地域が増えてきました。私などは、どうもこの形は違和感があって使いません。しかし、これの代わりの形は、例えば「うれしい」なら「うれしうございます」「うれしうございました」しかなく、云々

~引用終わり

私は、外国人に時々日本語を教えているが、教科書には形容詞の丁寧語表現として

「高い」であれば「高いです」「高かったです」

「美しい」であれば「美しいです」「美しかったです」

とお教えるように書いている。

でも昔は

「高うございました」

「うつくしうございゐました」

と言っていたということだろう。 

しかし何とも、なかなか衝撃的な話ではないか? 

昭和初期といってももう80年か90年くらいまえになるのでかなり前のことだといえるが、標準語としての日本語の成立がいかに新しいものかというのがわかる。


そもそも、江戸時代までは書き言葉と話しことばは全然ちがったとのことで、それで明治以降に「言文一致運動」というのがおこった。 


そのおかげで今私達が普段読んでいる日本語の文体が出来上がったらしいのだが、夏目漱石などが多大な貢献をしたそうな。


まだ日本が開国、近代化して150年しか経っていない。150年だけで日本語自体かなり変わった。


「正しい日本語を残そう」というのが、俺が日本語という自国の言葉を改めて勉強させるにいたった動機だったのだが、そもそも「正しい日本語」という概念は時代時代に変わるものなんだろうと、頑固な俺の頭がガツんと殴られた気がした。


ただそれでも、俺の願いとしては「旧仮名遣い」を正当な表記として欲しい気持ちは相変わらずあるんだけどね。


夜は、ヒップホップの映画を立て続けに2本も観たので、そのことにもついて書こうかと思ったけどそれはまたにしよう。今日はここまで


では、また!



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