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深刻に考える人に神の助けは少ない

最近は、時間があることもあって、神社によく参拝するようになりました。 

福岡市に住んでおりますので、市内の代表的な神社である、全ての住吉神社の始祖福岡の住吉神宮、元寇のときに神威によって「神風」を吹かせた筥崎宮、そして明治維新から大東亜戦争までの戦死者をお祀りする福岡縣護国神社には参りました。 

そして、住んでいるところがバレるので言いませんが、近所の、埴安神(はにやすのかみ)を祀る近所の神社、紫国の総鎮守である宝満宮竈神社より御分霊を勧請して祀っている神社、そして家からは少し離れますが、全国の龍神が集うと言われている(本当か!?)志賀島の志賀海神社にも参拝いたしました。


神社を参拝する理由ですが、前の記事にも書きましたが「倒産企業の80%には神棚がなかった」ということを知り、神様という靈的なエネルギーは本当にあるのではないかと信じ始めてゐること、また古事記を読んで改めて日本の原初以来の歴史に興味を持ったことと、またやはり神のパワーを授かりたいという下心があります(笑)。


「神話を教えない民族は例外なく滅ぶ」と、アーノルド・J・トインビーは言ったらしいです。

暗いことを言いたくはありませんが、TPP水道事業の民営化外国人の日本の国土の売買などを目のあたりにしている今、「日本が滅ぶ」という言葉が現実性を帯びてきてますよね。

どうしてこんば馬鹿げたことが行われているのか、理解に苦しみますが、日本人の根本的な靈性がガタガタになってしまっているからではないかという氣がしてきました。 

それは単純に

「神話(=古事記)を教えないから」

というつもりはありません。 

戦後あらゆる伝統が壊されていったことや、月並みな言葉ですが「経済を全てにおける最優先」としたことなどが主な理由だと思っていますが、それでも古事記や日本書紀など、我が国の成り立ち(=神話)を教えず、自分達(日本民族)がどのような民族で、自分たちの住む国(日本国)がどういう風に今の形をつくってきたかという「根本」を教えないことも、やはり一つ原因があるのだと思います。


根本がしっかりしていない人は、何事も右往左往し、強者の恐喝に簡単に恐れをなしますよね。

国とて同じことです。

私は日本人であることに、これ以上ない誇りを持っておりますが、外国ではそういう人こそ尊敬されるそうです。

私は神話を読んで日本に誇りをもったわけじゃありませんが、神話を学ぶことはその強固な土台を造るのは間違いなさそうです。

日本人が日本人の手で日本人の為につくった、最初の成文法ともいえる鎌倉時代の「貞永式目(御成敗式目)」にも

「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」

と書かれてあります。

これに則って言うならば、もし神の力が本当にあるとしたら、日本人が自分達の神様をしっかりとお祀りすることは、日本の神々の「威を増す」ことになるはずです。

日本は2000年以上そうやって栄えてきました。

私はそう思いながら、日本がもっと良い国になるよう、最近は神社を参拝します。もちろん、コロナで仕事を失ったので、自分自身も神の力を授かりたいという願望もあってのことですが(笑)。


神社にいくと、何か憑き物がとれたかのように、ふと軽くなることがあります。 あの空間の清浄な空気感がとても心地良いです。 

そして、「俺はどうでも良いことを抱え込んでいたんじゃないか」という氣になって、そういう重々しいものが取り除かれていく氣がしてきます。


ちなみに、さっき、龍神様に関する本を読みました。

龍神の助けを借りるには、心が軽いことが大事だと書いておりましたが、なんでも深刻に考えすぎるきらいがある私は、考えさせられました。

陰謀論が好きな私は、人に恐怖を与え「重々しく」させるような話をよくしてしまいます(過去の記事にもそいういうことを沢山かいておりますw)。

この前も同僚に、コロナウィルスの陰謀論を話していたのですが、余計な恐怖を植え付けるように感じて途中で止めました。


恐怖が潜在意識にこびりつくと、意識の顕れであるこの現実世界もそれ通りになると言いますからね。

なので、ツイッターもあまり見ないようにしております。

なんか、最近話がスピリチュアル系になりつつありますが、そういうブログにしようという氣はさらさらありませんので(笑) 

まあ、そのときそのとき、個人的に興味あることを書いているつもりですが、今後ともお付き合いくださいませ!





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