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『ぼくのPlayStationClassic』part.6 ダービースタリオン~思い出の競馬ゲームシリーズ~

まず、死ぬほど時間が空いてしまったことをお詫びさせてください。
(ブログ投稿自体が1ヶ月、このシリーズは2ヶ月)

moon』が自分の中で結構大きな区切りでちょっと気が抜けてしまいました。これからもこんな感じで抜けてしまうかもしれませんが、ゆるりとお付き合いいただけると幸いです。

本稿は、思い出の20本のプレイステーションソフトについて紹介・思い出語りをするコンテンツです。

※他のタイトルはぜひこちらの【予告編】を御覧くださいませ。

5作目は「ダービースタリオン」(アスキー)

※懐かしすぎワロタ

『ダービースタリオン』シリーズは日本の競馬ゲーム史上最も成功したシリーズと呼んで過言ではないでしょう。

たった一頭の繁殖牝馬、狭い牧場から始めていき、種牡馬を選び調教をし、レースに出しGIを目指す。そうして強い馬を作っていくのが目的のシンプルなシミュレーションゲームです。

※こういう血統表を見てワクワクする人は間違いなくダビスタやってます

その中で本作はシリーズ最多の170万本を売り上げたヒット作。

これにはいくつかの要因があると考えています。

1.リアル競馬の盛り上がり

本作が発売された1997年はリアルの競馬も花盛りの時期でした。

前年の1996年には「シャドーロールの怪物」ナリタブライアンの引退というニュースはありましたが、まだまだ盛り上がりはしぼむことはなく、サンデーサイレンス産駒の大活躍というニュースがありました。
ジェニュイン・ダンスパートナー・バブルガムフェローなど名の知られる名馬たちが日々スポーツ新聞誌上に名を飾りました。

また、サクラローレル・マヤノトップガンなどの古馬もまだまだ元気な年でしたし、この歳に2歳だったスペシャルウィーク・グラスワンダー・セイウンスカイなどは翌年のクラシックを大いに盛り上げました。
(ローレルとマヤノトップガンはこの年引退でしたが……)

また、悲劇の名馬サイレンススズカのデビューの年でもあります。
(実際に活躍するのは翌年。あの天皇賞・秋はリアルで見ていたので今でも思い出せます)

もちろん最近の競馬がおとなしいというわけではなく、今はJRAも新たな層を取り込むべく頑張っている印象が大いにありますが、このあたりは本当に盛り上がっていた印象です。

事実、JRA資料によると1997年は

・平成以降で最も開催場入場人員が多い年
かつ
・馬券の購入額は統計史上最も多い年

でもあります。いやあ、いい時代でしたね。

2.PlayStationの盛り上がり

また、今まで論じていたとおり、この歳PlayStationは覇権ハードとしての歩みを着実に進めていました。

本作が発売された7月段階ではある意味頭ひとつ既に抜けていた状態。
1997年6月30日時点での売上台数は790万台と、同世代の他ハードの総売上台数を既に超えています(参考:ゲームハードの売上wiki
※数字はまあネットの海のものなので真偽は君の力で確かめてくれ

つまり、

史上最も流行っていた競馬
×
最も力のあるハード

の配合なわけで、そりゃ強いわけです。
強いものに強いものを組み合わせると強い、至言です。

3.「ダビスタ」独自の盛り上がり

それを踏まえてダビスタ独自の盛り上がりですが、このゲームの盛り上がりを論ずるにあたってはブリーダーズカップという他のユーザーが作った馬と対戦できるシステムが欠かせません。

友人と対戦するのはもちろんですが、当時『ダビスタマガジン』というムックがあり誌上での作った馬の自慢大会が開催されていました。
ダビスタマガジンには、その出走馬データも付属のCDでついてくることもあり、全国の猛者達が作ったクソ強い馬と自分の馬を走らせてボッコボコに負ける、ということを経験することもできました。

「ホーク○○」とか「セリカ□□」とか「ビガー△△」とかを友達が使ってきて負けた記憶がある諸兄、それはほぼ間違いなく他人のデータだったことを22年の歴史を経て認識してもらいたい。

4.思い出語りパート

本稿を書いているうちに思い出したのは父のことです。

私と競馬の出会いは正確にはもっとずっと前、1992年の夏の函館だったはずです。競馬好きの父に連れられて行った函館競馬場。適当に選んだ馬が勝ち子ども心に嬉しかったこと、馬が走っていることがカッコよかったことを記憶しています。

その後スーパーファミコンの『ダービースタリオンIII』が我が家に導入され、父と私が主にプレイしました。
父は他のゲームはあまりしませんでしたが、ダビスタだけはやっていたのです。競馬好きだったので。

ゲームに関しては自分の方が詳しいし上手い、と子どもながらに思っていましたが、競馬に関しては父の方に一日の長があったのか、おおよそ父のほうが強い馬を作っていました。結構本気目に悔しかったけれど、自分では勝てないレースを穫る馬を作る父に、「お父さん割とすごいな」と素直に思った覚えがあります。

その後「96」を経て本作を触るようになりました。

その頃には父はもうプレイしなくなっていましたが、リアルの競馬を一緒に見たり、GIの予想合戦をしたりと「競馬」は我が家の会話のツールの一つだったのです

時は流れて2015年の12月27日。私は水道橋の場外馬券売り場にいました。
重い病で入院中の父から、グランプリレース有馬記念の馬券の購入を依頼されたのです。

人波にごった返す中売場に行き、父の分と私の分、予想した馬券を買いました。子どもの頃は自分では買えずに父に買ってもらった馬券ですが、このときには私が父の予想した馬券を買う立場となりました。状況は全然違いましたが。

病室に戻り、一緒にレースを見ます。ふたりともハズれ、「なんだよ」と残念半分、笑い半分の絶妙な空気が病室内を包みました。しかし、決して悪いものではありませんでした。

「まあまた次買ってとりかえそう」なんて言っていたと記憶しています。

そして、父が翌年の有馬記念を見ることは叶いませんでした。
翌年の春に、息を引き取ったのです。

棺には当日購入した馬券を入れました。
当たり馬券を入れられれば六文銭の代わりになったかもしれませんが、残念ながら当たらず。
初めてのときには当たったんですけどね。ままならないものです。

5.本稿を書くにあたって感じたこと

ゲームの話をするつもりが、家族の話になってしまいました。
でも、こんなことをふと思い出せるだけこのゲームには思い入れがあるんだな、とも思います。

もしかしたら、手をつけられなかったのも無意識に封印していた部分もあるのかもしれません。本企画なしにはもしかしたら気づかなかったことかもしれないので、過去を振り返るって大事ですね。

これからも、沢山の思い出を振り返り、同時に沢山の思い出を作っていきたい、改めてそう思います。

※おまけ

ダービースタリオンは現在スマホゲーム「ダービースタリオンマスターズ」が稼働中。私は過去プレイしており現在はプレイしていませんが、とてもいい出来のゲームです。

※競馬ゲームの大本命は伊達じゃない

ぜひぜひプレイし、配合の妙を味わってみてください。

本日はこんなところで。
次回はこれまた育成ゲームの金字塔「モンスターファーム」でお会いしましょう。

(了)



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