見出し画像

陶芸をやったことがある人なら誰しもが思う、同じものを2つ作ることの難しさ。
土の量を揃え、同じ手の動かし方でやれば出来そうなものなのに。
まぁできません。
トンボという竹を十字に組んだ道具で深さと口径を測り、サイズは揃います。
が、腰の張り具合はまた別の話。

結構から言うと、できないんでしょう。
それが手仕事である限り。

機械ロクロという、凹型のロクロ(実際はそこに石膏型などをセット)に土を押し込み、上からコテを押し当て同じようなものを作る手法もありますが、やはりこれでも無理かと。
土の量や位置、押し付ける圧力が微妙に違ったりもします。
言い出すと含まれる土の成分さえ、一致するものではないのだから。

もちろんその先にあるもっとオートメーション化された仕組みまで行くとより近いのかもしれません。

けれど果たして人は、完全には憧れはあるものの、本当に目指しているのだろうかと思えてきます。
丸は真円。
四角は真っ四角。
はたして、どこまでこれを追求しているのでしょうか。
そこまで完全に頑張ったとしても、その先にある焼成で歪んだりすることもあります。

そうなんです、いいんです。
そこら辺の差なんて、わずかなものです。

窯元での教えてもらったことの一つとして、揃えようとするあまり個性を殺すなと。
文言はこのままではありませんが、そういったことを言われたことを覚えています。
個々がしっかりと輝くような作品作りをしなさいということです。

型を使って作る方法も技法の一つなのですが、この型を作っていて思ったことがあります。
もともと第一弾でつくった型がありました。
そう、この型を使えばある程度同じものがたくさんできるのです。
がしかし、作業中に押し割ってしまったのです。
押し付ける作業を繰り返す性質上、修理はできません。
となるとやはり、作り直し。
作り直すことは全然苦ではないのですが、やっていて思ったこと。
前のより、もっと良いものにしたい。
そんな欲が出てくるのです。
そしてその通りにかっこよくなるのです。
が、しかし、よく考えれば同じではないのですね。
マイナーチェンジというかバージョンアップというか。
ある意味違うものになってるわけです。

ああ、そういうことか。
そこに人間の成長を感じたのなら、ご容赦ください。
こうして作り手も日々成長していくわけです。
自己都合な所もありますが、常に良いものを目指して。

よろしければサポートお願いいたします! 記事そして作品を充実させていきます。