少女
今日、駅の階段に頬をつけてみました。
階段は埃っぽく冷たく、しんなりとした匂いがしました。
あたくしは目を閉じ、ここが駅ではなく、夏の和室だと想像しました。
あたくしは、畳に頬をくっつけています。その部屋は夏だというのにひんやりと涼しく、薄暗いのです。簾をめくると、窓の外の世界は馬鹿げて眩しく暑いのですが、あたくしの部屋は蝉の声すら聴こえません。
この部屋にはテーブルがひとつあるきりです。テーブルの上には金魚鉢がひとつあるきり。金魚鉢の中には金魚が一匹泳いでいるきり。
あたくしは金魚鉢の中に手を突っ込み、金魚の肌に触れます。小さく、赤く、ぬめっとした金魚。あたくしはそれが入った掌にぐっと力を込めました。
あたくしがうとうとしていると、いつの間にやらあなたが枕元に座っています。
あなたはふうわりと優しく笑い、あたくしの首筋に口づけをします。そうして白いワンピースに手をかけるのです。
あたくしがおさげを解くと、そこは埃っぽい、もとの駅の階段でした。
あたくしはあなたの顔も名前も思い出せず、それどころか、あなたが確かに存在したのかさえもわかりません。
だから帰り道、薬局でさくらんぼ色の口紅を一本買いました。
あなたの名前がどうしても思い出せないので、薬局の名前をとって『マツモトキヨシ』さんにしました。この口紅は、お父様の外国のお土産ということにしましょうね。
あたくしは日傘をくるくる回して、おうちに帰りました。
鏡台の抽斗にそっと仕舞ってある小壜には、小さな白い粒が沢山入っています。振ると、カンラカンラと拙い音がします。
小さな白い粒が見せてくれるのは、夏祭りの出店のようなびい玉のような、きゅるきゅると甘く懐かしい世界。
あたくしはくふくふと笑いながら、唇をさくらんぼ色に染めようと鏡を覗きます。
あたくしは明日、十五になります。
けれど、鏡に映るあたくしは老婆の姿をしています。
初めは鏡を見るたび泣き叫んでおりましたが、慣れとは恐ろしいもの。最近は、鏡の中の老婆に口紅をひいてやるのです。
鈴がちりんと鳴りました。
あらあらまあまあ、マツモトキヨシさん、ようこそいらっしゃいました。あたくし、とっても淋しかったの。
あなたは、お豆腐です。あたくしは、手毬麩です。
あたくしたちは手をつなぎ、味噌汁の中をたゆたいます。いつまでも、いつまでも、たゆたいます。
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