作者と作品にほどよく距離があるエッセイが好き
何度でも読み返したくなるほど好きなエッセイがある。
私の好きなエッセイを3つ挙げて、その共通点を考察してみた。
たとえば、生湯葉シホさんのこのエッセイ。
たとえば、向坂くじらさんのこのエッセイ。
たとえば、のでこさんのこのエッセイ。
この3篇のエッセイの主題はそれぞれだけど、共通して「辛いエピソード」が登場する(でも「辛さ」がメインテーマではない)。
じゃあ私は「辛いエピソード」が出てくるエッセイが好きなのか? と言うと、まったくもって、そんなことはない。
むしろ、辛い話を読むのは苦手だ。
◇◇◇
私は辛い話を読むと胸が苦しくなる。
「胸が苦しくなる」は半分は比喩だけど、半分は本当だ。
辛い話を読むと、私まで辛い気持ちになる。辛い気持ちになると、「左右の鎖骨の下あたりを中央に向けてぎゅっと握られるような感覚」になるときがある(ならないときもある)。
極端に他人の感情に左右されやすいのだ。
夫は私のこういう気質を「エンパス」だと言い、姉は「HSP」だと言う。105個の質問に答えたら「共感力が高い」と診断された。
話が逸れたけど、私はとにかく辛い話を読むのが苦手だ。
だけど、先に挙げた3篇のエッセイは大丈夫。読んでも辛くならない。それどころか、大好きだ。何度でも読み返したくなる。
読んで辛くなるエッセイと、大好きなエッセイ。
その違いはなんだろう?
ここ数日、そのことについて考えていた。
◇◇◇
考えて、ある結論にたどり着いた。
両者の違いは、「作者と作品の距離」じゃないだろうか。
エッセイという文芸ジャンルは、その性質上、作者と話者がイコールだ。つまり、作者と作品の距離がとても近い。
そして、この「作者と作品の距離」は作者によって違うと思う。
作品との距離がものすごく近い人もいれば、遠い人もいる。
読者は、作品を通じて作者と対面する。ということは、作者と作品の距離が近ければ近いほど、作者と読者の距離も近いのだ。
で。
私は「いきなり距離が近い人」が苦手だ。嫌いというよりは、怖い。「身を守らなきゃ!」と思う。
だから、作者と作品にほどよく距離があるエッセイが好きなんだと思う。
【作者と作品の距離が近い】
【作者と作品にほどよく距離がある】
※この図は夫が書いてくれました。
私のイメージだけど、生湯葉シホさん、向坂くじらさん、のでこさんのエッセイは後者だ。
作者と作品がほどよく離れているから、安心して鑑賞できる。
文体は淡々としているけど、中身が冷えているわけではない。むしろ中身はアッツアツなのに、読者(私)は触れなくて済むから火傷しない。
◇◇◇
私はどちらかといえば感情が「アッツアツ」の人間だし、そういった感情こそ文章にしたい。
だからこそ、読んでくれる方に火傷を負わせないように。
文章との間には、ほどよい距離を保っていたい。
その距離を意図的にコントロールすることが、今後の課題だと思っている。
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