ゲストハウスなんくる荘8 七夕と信長
あらすじ:那覇にあるゲストハウス・なんくる荘にやってきた未夏子。「滞在は、一週間かもしれないし一年かもしれない」と話す彼女の生き方とは?
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◇
織田信長が何をした人なのか、あたしは知らない。
いや、嘘だ。知ってはいる。知ってはいるけど、あたしが会ったこともない信長の存在を知っていることが、どうにも不思議に思えることがある。
あたしは、信長のことは知っているのに、まだ出会っていない生きている誰かのことは知らない。
それってなんだか、不公平なようなもったいないような、うまく言えないけど、「いや、信長なんかどうでもいいから、そうじゃなくて!」と思ってしまう。
思ってしまうというか、実際に、口に出していた。あたしは酒のせいで頭の芯をぐらんぐらんさせながら、「いや、信長なんかどうでもいいから、そうじゃなくて!」と、うちわで床をばしんばしん叩く。
すると、あたし以上に酔っ払っているまどかちゃんが「下克上だ!」と叫び、笑いながら床に倒れた。まどかちゃんの突然スイッチが入るような酔い方には、みんなもう慣れた。
七夕の夜にやってきた台風は、翌日の今日も、一日中雨を降らし続けている。
台風が猛威をふるっているため全員仕事が休みになり、急遽、一日遅れの七夕パーティーをすることになった。
マナブさんの他に、あたし、まどかちゃん、アキバさん、ジンさん、モンちゃん、ヒロキ君という長期滞在メンバーが全員顔を揃えるのは久しぶり。いつも誰かがバイトでいないからだ。
初めは、短期滞在中のおじさんや女の子グループも一緒に飲んでいたのだが、みんな日付が変わる頃部屋に引き上げていった。長期滞在組だけが深夜三時になってもまだ飲み続けている。
長期滞在者とそうじゃない人の間にうっすらと分断が生まれていることを、いかがなものかと思う。だけど、そのことについて話し合う覇気もないまま、分断が深まっていくのをただ傍観している。全員がだ。
「なんで信長なの?」と、もうとっくにアルコールからウーロン茶に切りかえて酔いを醒ましているマナブさんが言う。
「いや、信長じゃなくても、歴史に名を残してる人なら誰でもいいんだけど」
泡盛のビンを持ち上げると空だったので、すっかりぬるくなったオリオンビールの缶を開ける。
「あたしが死んだらさ。あたしが死んで、あたしの子供や孫やひ孫も死んだら、あたしが存在していたことを知る人はいなくなるじゃん。だけど、信長は違うじゃん。百年以上先も、やっぱり多くの人々が信長を知ってて。あたしのひ孫の子供やそのまた子供も、あたしのことは知らなくても、信長の存在は知ってるじゃん、きっと」
「それってさ、ミカコちゃんも歴史に名を残したいってこと?」
少し離れたところで話を聞いていたアキバさんが、眼鏡をずり上げながら言う。アキバさんは全然酔っていないようだ。
「そうじゃなくて。あたしが死んで、あたしのこと知ってる人もみんな死んだとしても、あたしは存在してたじゃん。あたしだけじゃなくて、信長みたいに後世に語り継がれなかったどっかの誰かが、いたことは変わりないじゃん。でも、あたしはそれを知ることはできないから、なんか……」
自分でも、何を言っているのかよくわからなかった。
だけど、アキバさんは「なるほどね」と納得したように言った。
すると、もうとっくに酔いつぶれて眠っていたモンちゃんが突然大声を上げた。
「西表ッ! 石垣ッ! 宮古ッ! 久米ッ!」
みんなが一瞬にして静まり、モンちゃんに注目する。モンちゃんは少しだけ眉間にしわを寄せながらもすこやかな寝息をたてている。あれだけの大声だったのに、モンちゃんの隣で眠っているヒロキ君はぴくりとも動かない。ちゃんと息をしているだろうか。
「モンちゃん、どんな夢見てんのかな」
マナブさんが言い、みんな優しい笑いをかみ殺す。
場が急に静かになったことで、建物を包む雨の音がはっきりと耳に入ってくる。
「雨、さっきより弱くなってきてる気がする。音が」
ジンさんが言い、窓辺まで行ってカーテンを開ける。暗くて雨の様子はわからない。
カーテンの裾が窓辺に置かれたアレカヤシの鉢植えに触れ、葉がさわさわと揺れた。今日のアレカヤシは、カラフルな短冊で彩られている。みんなのお願い事をまとったアレカヤシが、その責任の重さにビビって震えたように見えた。
「うん、弱まってきてる。朝には通過するよ」
「つまんない。台風、楽しかったのに」
まどかちゃんは泣き出しそうだ。
そうだね、楽しいね。不謹慎だってわかってるけど、非日常ってわくわくするよね。
廊下でお腹を出して眠っていたネコンチュが起き上がり、リビングへやって来た。そして、モンちゃんとヒロキ君の間にごろりと寝転がった。
「川の字だ」
アキバさんが呟いた。
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