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選ばれないことに慣れている

noteのコンテストやお題企画はだいたい投稿するようにしている。

このページに載っているものだ。

最近だと、「#推薦図書」「#美しい髪」「#お金ライター」「#自己紹介」「#秋にやりたいこと」「#noteでよかったこと」を書いた。

少し前はこれ。

本気で旅行券が欲しいから、11テーマすべてに投稿した。10万円分の旅行券が貰えたら、双方の両親を温泉に招きたい。

だけど、落選しても私はまったく傷つかないだろうな、と思う。

なぜなら、選ばれないことに慣れているからだ。

最近なら、「#平成最後の夏」「#8月31日の夜に」というお題企画に投稿したけどまったくピックされなかった。

だけど、ピックされないことで悲しいとか悔しいといった感情は特にない。

以前も書いたけど、私は受賞した経験よりも落選した経験のほうがずっと多い。

noteを始めるずっと前からいろいろなコンテストに応募しているし、25歳までは小説を書いて新人賞に応募していた。

だけど、受賞に至ったのは数えるほどしかない。選ばれないことには慣れっこなので、もういちいち傷つかなくなってしまった。

たまに、落選しても悔しがらない私を、「ハングリー精神がない」と評する人がいる。

私はそうは思わない。よく「悔しさをバネに頑張る」と聞くけれど、悔しさだけがバネの材質じゃないだろう。悔しがらなくても、頑張っているつもりだ。

選ばれなかったときに、そのことでいつまでも落ち込んだり、(私から見れば過剰に)悔しがったりする人を見ると、

「この人、選ばれないことに慣れてないのかなぁ」

と思う。

ってことは、今までの人生で、選ばれることのほうが多かったのかなぁ。いいなぁ。

そんなふうに思ってしまう。

別に、悔しがることが悪いとは思わない。

ただ、「自分とは違うなぁ」と思う。


専門学校生のとき、小説ゼミの先生が飲み会にある作家さんを連れてきた。文芸誌の新人賞を受賞してプロとして書いている方だ。

その方はある文学賞の受賞を逃したばかりだった。

受賞者が発表されるまで、ノミネートされている作家は編集者と待つらしい。ダメだったとわかってすぐ、その方は家に帰って次回作を書きはじめたという。

それを聞いて、「私だったら、ヤケ酒飲んだりふて寝したりしそうだなぁ」と思った。

このエピソードに感銘を受けた……というわけでもないのだけど、それからことあるごとに、この話を思い出す。

思い出すと、そのときだけは少し背筋が伸びる(すぐに忘れてしまうけど)。

もちろん報われたいのだけど、報われなかったとしても、淡々と書きつづけられる人でありたい。




平成最後の夏


8月31日の夜に


旅する日本語



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