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四月ばかの場所12 依存

あらすじ:2007年。メンヘラで作家志望のキャバ嬢・早季は、皮肉屋の男友達「四月ばか」と一年間限定のルームシェアをしている。トリモトさんという変わった男性と知り合った早季は彼が気になり、ついにデートする仲に。

※前話まではこちらから読めます。

八月になると「今年は記録的な暑さ」という声をよく聞くようになった。毎年そう言っている気がする。去年の暑さがどれほどのものだったかを忘れてしまうので、毎年新鮮に暑いと感じる。

北海道生まれのあたしと四月ばかは毎日「暑い暑い」とくり返していたが、こうも毎日暑いとそれが当たり前になってきて、お互い何も言わなくなった。

「流しそうめんやりたい」と、あたし。
「いいね」
「なんか滑り台みたいなの、あるかな」

ふたりで部屋の中を見回す。

「あ、あんたの笛は?」

四月ばかはディジュという、木でできた大きな筒状の笛を持っている。

「あれ、長さも太さも丁度よくない? スコーンって縦にまっぷたつにしてさ」

「おい、ふざけんなよ!」

そう言いながらも四月ばかは笑っている。あたしも本気で言ったわけじゃなかったので一緒になって笑った。

結局、ドンキホーテで流しそうめん器を買ってきた。大きな楕円形の洗面器みたいな中を流れるプールのようにそうめんが泳いでいくのを、箸でつかまえる。

「うわ、取りづれぇ」

食べながら甲子園を見た。この家でテレビをつけるのはごく稀だ。

「未だに高校球児って年下に思えないんだよね」
「高校球児から見たらお前はオバサンだよ」

ふたりとも、北海道を応援するでも東京を応援するでもない。どのチームを見ても地元と思えないまま、なんとなく見ている。

「高校球児からしたらさ、あたしって色っぽい大人の女って感じかなぁ。こんなお姉さんと付き合ってみたいって思うかも」

「いや、あっちはプロになったら女子アナと結婚できるから。眼中にないでしょ、君のことは」

四月ばかから想定どおりのツッコミを引き出せて、あたしはひそかに満足する。

お盆のさなかの日曜日、四月ばかと海に来ている。

お尻を浮き輪にすっぽりはめてぷかぷか浮く。首をのけぞらせて上を向くと、日差しが眩しくて目をつぶった。目を閉じていても、まぶたに太陽を感じる。水の中は落ち着く。

四月ばかはエアマットに上半身だけ乗せて浮かんでいる。海パンがずり下がっておしりの割れ目が見えそうになっていた。

「尻はじめ、見えてるよ」

四月ばかは海パンをずり上げながら尾てい骨を指し、「ここの部分、尻はじめって言うの?」と言う。

「言わない?」
「言わない」

そりゃそうだ。あたしが今適当に言っただけだもの。

「尻はじめってさ、ローライズ穿いてるお姉さんがしゃがんだりしたら思いっきり見えるよね」
「ローライズの醍醐味だな、尻はじめは」

だんだん面白くなってきて、ふたりで尻はじめを連呼していたら、大きな波が来てぐらりと揺れた。

それほど深くないのに(しかも泳げるのに)、咄嗟のことで「うわ、わっ」と言って手をばたばたさせる。四月ばかは「うわ、だせ」と笑って沖に向かって泳ぎだした。

浮かんだまま、トリモトさんのことを考えた。

トリモトさんとは今までどおりメールでのやりとりが続いている。彼はお盆も海も日焼けも無縁の生活をしているらしい。

頼んでいた名刺は先週、店長から受け取った。薄むらさきに近いピンクの地にワインレッドで「さつき」と書かれ、その下には筆記体の「satsuki」の文字。名前より少し濃い色の蔦が名刺全体に絡まっていた。

今頃も冷房のきいた事務所でマックに向かっているだろうトリモトさんを想像すると(きっとヘッドフォンで大音量のメタルを聴いている)、無性に会いたくなった。

あたしはお盆も関係なく、日曜以外は店に出ている。

四月ばかは五日前から姿が見えなかったけど、あたしが仕事から帰ると、リビングで煙草を吸っていた。帰ってきた四月ばか。

「おかえり」

今、仕事から帰ってきたばかりのあたしが言う。

「ただいま。おかえり」
「おみやげは?」

あたしも座って煙草に火をつける。四月ばかは冷蔵庫から缶ビールを二本持ってきた。一本を差し出す。

「はい、おみやげ」
「いや、そこのコンビニで買ったやつでしょ」

そう言いながら受け取り、さっそく飲んだ。

「東北は星が綺麗だった」

四月ばかが言う。東北に行っていたのか。

「久々に星見ながら寝た」
「どうやって?」
「テントなし野宿」

さすが。

「でも、羊蹄山のふもとには敵わないな。昔、羊蹄山のふもとで野宿してさ。夜になると、電気なんか何もないのに明るいんだよ。本物の星明り。流星群でもないのにあっちでもこっちでも星が流れてて」

「想像つかない」
「でさ、銀河鉄道が走ってた」
「うそだよ、それはない」
「マジだって。手振ったらさ、ジョバンニとカムパネルラが手振り返してくれたもん」
「葉っぱやってたんじゃん」
「やってねーよ、そん時は」

四月ばかはビールの空き缶をキッチンのゴミ箱に捨てると「やっぱうちが一番だなー」と言いながら自分の部屋に引き上げていった。

うちが一番。

ちょっと意外だった。今まで放浪を繰り返してきた四月ばかでも、そんなこと思うんだ。

四月ばかは、自分の居場所を定めたくないのだと思っていた。だから、どこにいても居場所を感じられないあたしは、彼に出会って安心したのだ。居場所なんてなくていいんだ、と思えたから。

すすきののバーで四月ばかに出会った16歳のあの日から、あたしはたぶん、四月ばかの生き方に影響を受けている。認めたくないけれど、彼をロールモデルとし、彼の生き方をなぞることで安心している。

それは、依存と呼べる関係かもしれない。

ルームシェアを始める前は、長いこと四月ばかと離れていた。自活もひとり暮らしも長い。けれど、ひとりで生きてきたようでずっと、あたしは四月ばかの存在を頼りにしていた。

大丈夫、四月ばかみたいに生きていれば大丈夫。あたしは居場所を作れないんじゃない。作らないだけ。だって、四月ばかもそうしてるじゃない?

そう思っていた。心の中でひそかに、誰にも気づかれずに。

その思いは目に見えないぶん、恋愛関係にある者同士の直接的な依存よりもいやらしくて、たちが悪い気がする。

あたしは、自分のこういう弱さが本当に嫌いだ。





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