なんで興味ないの? と言われても困る
興味のないものや、よく知らないものに対して
「なんで興味ないの?」
と言われると、ものすごく困ってしまう。
なんでと言われましても……。
自分でも、なぜ興味がないのかの考察は難しい。好きや嫌いの理由を考察すること以上に、難しいと思う。
興味がない理由を訊かれること以上に困るのは、「興味がない=否定的」と捉えられることだ。
ちょっと待ってほしい。
興味がないものには、否定も肯定もない。
だって、それ以前に興味がないのだから。
◇
だいぶ前の話だけど、キンコンの西野さんが絵本を出版したとき、ある友人から「西野さんってどう思う?」と訊かれた。
ちなみに、その友人は西野さんのファンで意識高い系のサラリーマンだ。
彼はたぶん、「クラファンで資金を得ること」とか「お金の奴隷解放宣言」とか「ネットで全文公開」とか、そういったことの是非について私と議論したかったのだろう。
だけど、私は西野さんの絵本作家としての活動をよく知らない。
絵本も読んでいないし、本人の発信も読んでいないし、ネットニュースの見出し以上の情報を得ていなかった。
それはつまり、ほぼ何も知らないのと同義だ。ネットニュースの見出し程度の情報でわかったフリして自説を口にするなんてことは、絶対にしたくない。そもそも、よく知らないのだから自説がない。
なので、正直に「興味がない」と言った。
するとなぜか、友人の中で私は「西野さんのアンチ」ということになっていた。
「ちょっと待って。私、アンチなんて言った?」
「だって、興味ないんでしょ?」
「否定も肯定もしてないよ。よく知らないって言ってるんだよ」
「だって、知ろうとしないってことは否定でしょ?」
えー!
私にはその感覚がまったくわからない。
「じゃあさ、あんたは長島有さんの小説読む?」
「読んでないけど?」
「じゃあ、長島有さんのアンチなの?」
「いや、アンチも何も、その人よく知らないし」
ほら、そういうことだよ!
あんたも私も、一日は24時間だ。あんたはその24時間の間に、西野さんの絵本やブログを読んでる。私は、長島有さんの小説やエッセイを読んでる。
お互い、興味の対象が違うだけの話じゃないか。なんでアンチ云々になるんだ。
◇
なぜこんな齟齬が生まれるのか、考えてみた。
思うに、友人は自分が好きなものに他人が興味を示さないと、
「こんなにいいのに、なんで興味を持たないんだ」
→「さてはアンチだな?」
と思考が飛躍するのだろう。
そういえば彼は、私のお金への執着心の薄さに対しても「サキはお金が汚いっていう感情を持ってるんだろうけど……」と、勝手に決めつけてはその前提で話しはじめる。
私はそんなこと思っていないし、言ってない。彼に比べればやや執着心が薄いだけだ。
だけど彼は、「サキはお金に対して自分と同程度の関心を持たない」→「こいつは嫌儲感情があるんだな」と思考を飛躍させてしまう。
その決めつけは、やや浅はかじゃないか?
◇
興味の対象も程度も人によって違うし、「現時点で興味を持ってないこと」と「否定的であること」は違う。
自分が興味のあるものに、他人が興味を示していないからといって、相手がそれを否定しているとは限らない。
たまに、そのことを忘れてやいないか。
折にふれて自問しようと思う。
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