悪いことしてないのに、無性に謝りたいときがある
ときたま無性に、誰かに謝りたくなる。おもに、頑張れなかったときだ。
何もできなかったとき、私は夫に「何もできなくてごめん」と謝る。そのたび夫は「謝らなくていいよ」と言うが、謝らずにいられない。
そんなとき、私の中には「誰でもいいから、とにかく誰かに謝りてぇ!」という欲求が渦巻いている。
だから編集さんにメールするときも、なにもやらかしてないのに、「至らない書き手で申し訳ありません」と書き加えてしまう。しかし、そんなことを書けば相手が困るだけなので、「~申し訳ありません」の部分は削除して送信する。
Twitterで不特定多数の世間に向けて、「今日は何もできなかった。ごめんなさい」と謝りかけて、送信をタップする寸前で削除する。オザケンは世界にSAY HELLOと語りかけるが、私は世界にI'm sorryだ。
今日の私が頑張れなかったことを、誰かに謝罪する必要はない。
わかっていながらもなお、「甘いもの食べたい」とか「お酒飲みたい」と同じノリで「謝りたい」と感じる。
謝りたい欲求は我慢するのが難しい。1回100円くらいで謝らせてくれる「謝らせ屋さん」がいたらいいのに。ニーズありますよ。
この無性に謝りたい気持ちを、私は「懺悔欲」と呼んでいる。
◇
なんの根拠もない仮説だが、懺悔欲は人間が根源的に持っている欲求のひとつじゃないだろうか。
食欲ほど万人が持ってる欲求じゃないとしても、人口の数%には生まれつき備わっているのでは?
いや、普通に考えれば後天的に身に着いた思考パターンなんだけど、私にはどうしても、本能的なものに思える。
たとえるなら、犬は嬉しいときしっぽを振る。昔我が家にいたヨークシャーテリアも、私が帰宅すると、短いしっぽをちぎれんばかりにパタパタさせていた。誰も教えてないのに、「嬉しい=しっぽを振る」と、犬の本能にインプットされている。
私にとっての懺悔も似たようなものだ。調子が悪いと、条件反射的に謝りたい欲求が湧き上がってくる。
これは最早、犬がしっぽを振るように、思考ではなく本能から生じるものなのでは……?
◇
だいぶ前、懺悔欲についてのnoteを書いたら、
「めちゃくちゃわかります!」
「自分も懺悔欲あります!」
と共感の声が多数寄せられた。やっぱり、ある人にはあるんだな。
一方で、
「謝る必要はないんですよ、ありのままのあなたでいいんです」
「自分もネガティブになっちゃうときはありますが、気にせずポジティブに生きましょう」
といった励ましも寄せられた。
いや、そういうことじゃないんだ。
私は、懺悔欲を悪いものとは思っていないし、悩んでもいない。また、「ネガティブよりポジティブのほうが上」みたいな指針も持っていない。
良いとか悪いではなく、ただただ私には「めっちゃ謝りたい!」という抗いがたい欲求が生じるときがあり、それは本能に起因している気がする。それだけの話だ。
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