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ジョバンニの食卓3 花火で書いた文字

前回までのあらすじ:17歳の美希は、36歳の父親・広治(こうじ)と二人暮らし。幼い頃に家を出た母親の記憶はない。広治や幼なじみの陸生(りくお)と平和な日常を過ごしている。ある日、広治から恋人ができたと聞かされて……。(第一話から読みたい人はこちら


夏の終わりにマンションの駐車場で陸生と二人、花火をする。私と陸生の恒例行事だ。

最初の頃は、子供だけで花火をすると危ないので広治が付き添っていた。小学四年の夏から、私と陸生の二人だけでするようになった。陸生が言ったのだ。「もう広治はついてなくていい」と。

あのとき、広治はどんな顔をしていただろう。思い出せない。覚えているのは、陸生が私の手を握っていたこと。小さな頃はよく陸生と手を繋いだけれど、その頃はもう繋がなくなっていた。それなのに、そのときに限って陸生は私の手を握った。私は、広治の前で陸生と手を繋ぐのが恥ずかしかった。そんなふうに感じたのは初めてで、そんなふうに感じていることがまた、恥ずかしかった。

車輪止めのブロックに腰掛け、私はビール、陸生はチューハイを飲む。私はお酒を飲んでも酔わない。反対に、陸生はチューハイを一杯飲んだだけでテンションが三割増になる。二杯でべろべろになり、三杯目で寝てしまう。そのくせ私の何倍もお酒が好きだ。すぐ飲みたがる。

中学に入った頃、陸生はお酒を飲みたがった。コンビニで買った缶チューハイを、小さな頃よく遊んだ公園の東屋で飲んだ。私が初めてお酒を飲んだのもタバコを吸ったのもその場所だ。初めて髪を染めたのも、初めてピアスの穴を開けたのも、私と陸生は一緒だった。うちの洗面所でお互いに髪を染めあって、ピアスの穴も開けあった(陸生のほうが何倍も痛がった)。

初めてのことはほとんど一緒に経験した。陸生だけが経験しているのは、家族旅行と親戚の結婚式。私だけが経験しているのは、初潮と盲腸。

お徳用ファミリーパックを開封し、一番オーソドックス(だと私は思っている)な、先端に紙のひらひらがついた花火に火をつける。黄色いひらひらが炎に溶け、一瞬間を置いてシャーっと火花が噴き出した。赤ともオレンジとも金ともつかない火花だ。

右手に花火、左手に缶ビールを持ったまま、駐車位置を示す白線の上を平均台のように歩く。

陸生は、花火の火でアスファルトに文字を書いていた。去年、黒いアスファルトに白く残った『リクオ参上』の文字を見て、小学生が「だせっ」と笑っていた。その文字は、九月の二週目の私の誕生日の頃にようやく消えた。

「なんて書いてるの?」
「『世界一周』」

『世界一周』は、陸生が将来開く予定の焼き鳥屋の名前だ。陸生はいつも、熱く語る。

「俺が一生のうちに見れる世界って少ないじゃん。サラリーマンならサラリーマン、公務員なら公務員の世界しか見れない。俺は焼き鳥屋になって、サラリーマンとか公務員とかスポーツ選手とか職人とかフリーターとか、いろんなお客さんが見てる世界の話を聞きたいんだよ。俺自身が経験しなくてもいいの。お客さんたちがまた俺の焼き鳥を食いたくなって『世界一周』に来て、それぞれの見てる世界の話を俺にしてけば、俺は色んな世界を聞けるってわけ」

陸生の言い分が幼いのかどうか、私にはわからない。ただ、「自分を表現したい」と言う同級生が多い中で、陸生が目指すものはめずらしい。自分を表現したいと言ってる人の中で、表現すべき『自分』を持っている人がどのくらいいるのだろう。

「『世界一周』は広治さんの会社の串を使う」
「コネで安くなるかな」
「義理の息子の焼き鳥屋だかんね、安くしてくれるだろ」

陸生は私と結婚するつもりらしい。本気かどうかはよくわからない。わかりやすいようで、つかみどころがないから。

誤解されることが多いけれど、私たちは付き合っているわけではない。私は陸生に告白されたことも、したこともない。

陸生は『世界一周』を書き終えたらしく、花火を何本も使って次々とアスファルトに文字を記していく。書いた文字は暗くて見えない。

「なんて書いてるの?」
「SUMMER SONIC、サッカー日本代表、バガボンド」
「陸生の好きなもの?」
「そう」
「私も書いてあげるよ」

私は新しい花火に火をつけ、アスファルトに書をしたためる。

「なんて書いてんの?」
「女子アナ」
「うわ。じゃあ俺、美希の好きなもん書こ」

陸生も、負けじと新しい花火に火をつけた。

「オクラ」
「ロッキー2」
「めかぶ」
「でかい犬」
「じゅんさい」
「なんかおんなじようなものばっかじゃない?」
「だってお前好きじゃん、ぬめぬめしたやつ」
「そうだけど」

先にひらひらのついた花火、持ち手が紙の花火、持ち手が針金っぽくて蛍光色の火薬が剥き出しになっている花火。一本の花火が燃え尽きるまでの時間が、年々短くなっている気がする。年をとると一年が昔の何倍も短く感じるという、あれだろうか。

空を見上げると、視界いっぱいの藍色の中に星が五つ見えた。花火の燃えさしで、その五つを繋ぐ。プラネタリウムのように、線はMを思い切り歪めた形のまましばらく夜空に浮かび上がっていたが、瞬きをすると消えた。

この線を走る銀河鉄道に乗って、ジョバンニは旅をする。ケンタウロス、露をふらせ。

すでに、残っているのは線香花火だけだ。束から一本抜き出して火をつけた。ぷっくり膨れた火の玉から、ちりりと音をたてて火花がはじける。

「広治、彼女できたんだって」

陸生は細い目を見開いて「マジで」とつぶやいた。

「斉藤香里さんって言うんだって」
「名前言われてもな」

陸生も、線香花火に火をつける。

「それで美希は? ショック?」
「なんで?」
「広治さんを彼女にとられちゃう、みたいなの」
「ない」
「ふうん」

そういうふうに考えるのが普通なのだろうか。

これから、彼女の存在が私と広治にどう影響してくるのだろう。ただ、嬉しそうな広治を見ても、私は別に嬉しくはなかった。かと言って、悲しくも寂しくもなかった。

ピークを終えた火の玉は落ちそうで落ちない。しぶとい。陸生のほうがあとから火をつけたのに、私のより先にぽとりと落ちた。




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