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もうひとつの「東京嫌い」

私が上京したのは19歳のときだ。

目的は進学。上京したかったわけではなく、行きたい学校がたまたま東京にあった。ちなみにもうひとつの進学先候補は大阪にあったが、そっちは学費と倍率の関係で諦めた。

東京に行けば素敵な日々が待っている……なんて期待はなかった。

それは、当時の私の状況が関係している。私は普通高校を中退して通信制に在籍していたため、「学校に通う」という行為が久しぶりで、ちゃんと通えるか不安だったのだ。あと、北海道出身なので、夏の暑さと梅雨の湿度に耐えられるかも不安だった(北海道には梅雨がない)。

上京が決まったとき、実家のベッドに座って好きな人(とっくにフラれていて友達だった)に電話で報告した。

彼は、「いいなぁ」と言った。「やっぱり、夢を叶えるなら東京に行かなきゃね」と。

私は曖昧な返事をしながら、「そういうんじゃないのにな」と思った。

夢だとか将来だとか、そんなことまったく想像できない。今はただ、学びたいことがあるから進学する。それがたまたま東京で。

私は、どこにいたって私なのに。どこに行ったって、私にしかなれないのに。

東京に行っただけで何かになれるような、そんな子どもみたいなこと、言わないでほしかった。

上京してもやっぱり、東京という街に特別な感情を抱くことはなかった。「すごい!」と目を輝かせることもなければ、畏怖や劣等感を抱くこともない。

北海道出身と言うと、大自然からコンクリートジャングルに来たと思われがちだが、私が育った札幌はまあまあ都会だ。もちろん東京のほうがずっと都会だが、そこまでの驚きはない。「まぁ、こうだよね」といった感じ。周囲がおのぼりさんに期待する反応は、できなかった。

東京は、私にとって気楽な街だった。

それには理由がある。私は中学生のときに嫌なことがあり、それをひきずっていた。札幌は小さく、遊ぶ場所は限られている。私はいつも、「中学の頃の自分を知る人に会ったらどうしよう」とビクビクしていた。

しかし、東京にはそれがない。これだけ人が多ければ、私を知る人にばったり会うなんてこと、ないだろうから。

「地元じゃない」という一点において、東京はとても住みよい街だった。それ以外の感情は特にない。

むしろ、東京に住んでいない人のほうが、「東京」を過剰に意識しているように見えた。

たとえば帰省したとき、地元の友人に「オシャレ~。やっぱり東京の人は違うね」と言われた。その日身につけていたほとんどのアイテムは、札幌のショップでも買えるのに。「東京帰り」に先入観を持ちすぎだ。

一方で、「東京なんて人の住むところやないで」が口癖の知人もいた。住んだこともないのに、やたらと貶すのだ。東京を、魑魅魍魎が跋扈する街だと思っているらしい。

憧れにせよ嫌悪にせよ、東京に対して強い感情を持つ人は多い。

楽しいことも苦しいこともてんこ盛りの学生時代を終えて、そのまま東京で就職を決めた。母は「札幌で就職すればいいじゃない」と言ったが、私は東京を離れるつもりはなかった。

その街が好きかどうかは、その街の記憶で決まると思う。

私は、中学時代に嫌なことがあった札幌を、就職する年齢になっても許せずにいた。一方で東京は、どちらかと言えばいい思い出が多い。東京に軍配が上がるのは当たり前じゃないか。

しかしその後、私はメンタルを病んで会社を辞めてしまった。両親から札幌に戻るよう命じられ、金銭的に従わざるを得なかった。

あんなに嫌だったのに、札幌に戻ってきてしまった。

私は相変わらず、昔の知り合いに見つかるのが怖くてビクビク過ごした。どこに行くにも帽子を目深にかぶったし(花粉症患者の少ない札幌では、当時マスクをしている人が珍しかった)、店員さんの名札をチェックしてしまう。

悪いことしたわけじゃないのに、なんで私が、指名手配犯みたいにコソコソ生きなきゃいけないのよ!

そのストレスを、あるサイトの掲示板(当時はBBSと呼ばれていた)に書き込んだ。メンタルの問題を抱える人が、自由に愚痴を書ける場所だ。

すると、掲示板の常連のおばさんからレスがついた。

「どうして東京に固執するんですか? 私には、東京のほうがよっぽど生きづらい街に見えます。札幌、旅行でしか行ったことないですが、とてもいい街じゃないですか」

カッとなった。なんにも知らないくせに!

「東京に固執しているのではなく、地元が嫌なんです。ここには、過去の私を知る人がいる。ばったり会ってしまう可能性が高い状況で暮らすのが、とてもストレスなんです。
旅行でしか来たことない方はいいですね。この街に、顔を見ただけでトラウマが蘇る相手がいないんですもんね。私もあなたのように、旅行者として札幌と出会いたかったです」

そんな返信を書いた。私にしてはめずらしく、けんか腰だった。

そして、気づいた。

私は札幌が大嫌いで、だけど本当は大好きだった頃に戻りたくて、だから苦しいんだ。


今、私は東京に住んでいる。

先日、『東京嫌い』がテーマの同人誌に誘われた。二つ返事でOKして、はたと、「東京、そこまで嫌いでも好きでもないな」と思った。

少し考えて、東京で自分を持て余していた頃のことを書いた(少しだけフィクションを交えて)。若者特有の不機嫌さが、「東京」にしっくりはまる気がしたから。

書き上げて、みんなの『東京嫌い』を読んでもなお、私は東京に対してこう思う。

「別に、そこまで嫌いでも好きでもないな」

私が強い愛憎を向けられる街は、生まれ故郷の札幌だけなんだ。






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