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四月ばかの場所5 吉祥寺

前回までのあらすじ:2007年。作家志望のキャバ嬢・早季は、皮肉屋の男友達「四月ばか」と一年間限定のルームシェアを始める。

※前話まではこちらから読めます。

ルームシェアを始めて二週間が経った。

あたしの生活はひとり暮らしの時と変わらない。

「笑っていいとも!」が始まる頃に起きて、小説を書いて、夕方に家を出る。同伴の約束のある日は、客と待ち合わせてご飯を食べてから一緒に店に行く。同伴のない日は、バックルームでコンビニのおにぎりなんかを食べてから店に出る。

閉店まで仕事をして、三時頃家に着く。本を読んだり日記を更新したりして(店のホームページに女の子が交代で書く日記と、SNSの日記がある)、朝の五時頃に布団に入る。

宅配ドライバーをしている四月ばかは、朝早くに家を出て、夜は七時頃に帰ってきているらしい。あたしが仕事から帰ったときには当然自分の部屋で寝ていて、ほとんど顔を合わせることはない。

今日は吉祥寺で飲むことにした。ひとりだ。

小さな飲み屋や屋台が連なっているごみごみした横丁へ入る。ところどころに吊るされた赤提灯と、美大の学校祭のようなセンスの手描きの看板、どこかの店から聴こえてくるラジオの野球中継とレゲエ。

この横丁には、若かりし頃四畳半の部屋でフォークギターを掻き鳴らしていたようなおじさんや酒焼けした顔の日雇い労働者、自称詩人のフリーターや、マリファナ合法化運動に情熱を注ぐニートなんかが混在している。

このごった煮の温度があたしにはちょうどいい。ついつい入り浸ってしまう。

行きつけの飲み屋へ行くと、店を開けたばかりでまだ客は誰もいなかった。ボ・ガンボスが流れている。

「おう、久しぶり」

マスターの豪さんがあったかい笑顔で迎えてくれる(また太ったんじゃないだろうか)。

「久しぶりー」

この店は、三面がベニヤの壁で残りの一面には壁がない。冬の間は風除けに厚手のビニールを下げている。L字型のカウンターは六人しか座れないので、客がいっぱいのときは店の前のベンチに座って飲む。

「いつもの?」
「うん」

ここに通い始めてもう四年になる。

東京に引っ越してきてすぐの頃、四月ばかに連れてこられてこの店を知った。四月ばかはあたしよりも一年早く東京に来ていて、吉祥寺の四畳半のアパートに住んでいた。あたしは久我山でひとり暮らしを始めたばかりだった。

「昨日、有田来たよ」
「そうなんだ」
「聞いてないの?」
「うん。あたしが起きたらあいつもう居なかった」

豪さんがあたしの前にシークワーサーサワーを置く。

「有田が来たとき、ほっしーと安吾がいてさ。二人とも有田が東京帰ってきてるの知らなくてめちゃめちゃテンション上がってたよ」

「うわ、うざそう。その場にいなくてよかったわ」

豪さんは昨日の光景を思い出して(たぶん)、あたしはその光景を想像して、二人でシシシと笑う。

「あいつさぁ、三年ぶりに会うなり『お前妊娠してんじゃない』って言ったんだよ」
「え? なんで?」
「あたしが太ったから」

豪さんは「たしかに三年前からするとちょっと太ったかもね」と言って小さく笑う。

「豪さんもね」
「俺は太ったけどそのぶん痩せたから」
「でも最近また太ってきてる」

シークワーサーの苦いような酸味が喉に染みる。メンソールの煙草とよく合う、と思う。

「『天使のような』って比喩あるでしょ」
「あるね」
「一般的にはね、愛くるしさとか純真無垢さをあらわすんだろうけどさ、あたしはどうしてもそういう受け取り方できないの」
「どういう受け取り方すんの?」

豪さんがカウンターに両手をついて、今日初めてあたしの目を見る。

「あたしにとって天使ってさ、たまに神様にパシられて人間界におつかいに行くだけで生活が保障されてて、そりゃ純真無垢でもいられるだろうさ、って感じで、なんかそんなお気楽なイメージなんだよね。しかもね、そのお気楽な生活を天使自身が幸せだと思ってそうなところが、なんかムカつく。志が低い! って一喝してやりたくなる」

あはは。

「だから、あたしにとっての『天使のような』って、他の人が言うのとちょっとニュアンス違って、褒め言葉じゃないの」

「なるほどね」

豪さんが愉快そうに(でも無関心そうに)言って目を伏せる。相変わらずつかみどころがない。

「この前思ったんだけどね、あいつさぁ、『天使のような』って言葉がなんか似合うの」

「有田のこと?」

「そう。なんでだろーね。愛くるしいって意味でもないし、お気楽でムカつくって意味でもないんだけど。あいつ、あたしなんかよりずっとタフに生きてるし」

「いきなり『妊娠してる』なんて言ってきたからじゃない。ほら、受胎告知?」

「そうそう。最初はそれで、天使かお前は、って思って」

豪さんは空になったグラスを持ち上げる。ほどなくして、二杯目のシークワーサーサワーが置かれる。

のけぞるようにして空を見上げると、夜はだいぶ濃い色になっていた。吉祥寺の夜空はなんだかいつも、濃紺の闇の上に灰色のオーガンジーをかぶせたように見える。





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