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他の誰でもなく「その人」に恋をする不思議と、それが運命ではないこと

私のいた山小屋では例年、夏が始まる前から片想いのうわさが流れはじめ、やがて両想いのうわさが囁かれる。夏に短期スタッフがやってくれば、うわさの数はますます多くなる。

そうなるともう、ドラマのwebサイトにある人物相関図を書きたくなってくる。矢印で好意を記すやつ。

ものすごい美人がいる年でも、ひとりだけに矢印が集中することはない。必ず、ほかの子を好きになる人もいる。

そのことに、いつまでたっても新鮮な不思議さを感じる。そこかしこで恋が芽生えること自体にはすっかり慣れっこなのに、その対象がばらけることに思いを馳せたとき、「す、すごい……!」とわなないてしまうのだ。

たとえば、A君と話していて、「あ、A君はBちゃんが好きなんだな」と気づく。

そういうとき、「A君はBちゃん以外を好きになる可能性もあった」という事実について、考える。

Cちゃんは可愛いし、Dちゃんは優しいし、Eちゃんは面白い。A君が誰を好きになってもおかしくない。

しかし、それらのルートは私の想像の中にしかなく、現実にA君はBちゃんを好きになった。他の誰でもなく。

そう考えると、脳がパアっと痺れたようになる。たまらなく美しく、尊いものが目の前にある。まばゆい。


しかし、だ。

それが「奇跡」でも「運命」でもないことを、私はよく知っている。人が人を好きになるとき、多くは現実的でつまらない必然性があるものだ。

たとえば、ある男子スタッフが、ある女子スタッフに恋をして告白した。めでたく成就してしばらくしてから、「いつ、どういうきっかけで彼女を好きになったの?」と尋ねると、

「あんまり覚えてないけど、相手がたくさん話しかけてきたから『俺のこと好きなのかな』って意識しはじめて、それで好きになった気がしますね」

と言っていた。

めちゃくちゃ素直な理由だ。気持ちはよくわかる。

でも、「それ、彼女には言うんじゃないよ」と釘をさしておいた。彼の言い分だと、「たくさん話しかけてくる女なら誰でもよかった」と受け取られかねない。

また、別の男子スタッフは、

「第一印象は〇〇ちゃんが可愛いなと思ったけど、〇〇ちゃんは××君と付き合いそうだし、△△ちゃんにした」

と言っていた。両想いの可能性が低いという理由で、「好きな人」を変更したのだ。器用だな。

こういう話を聞くと、狭いコミュニティの中で好きな相手がばらけることは、まったく運命的じゃない。相手からのアプローチによって落ちたり、意図的にばらけさせてるんだもの。

でも、そんなもんだよなぁ。


私自身、なぜ夫を選んだかと問われれば「告白されたから付き合ってみた」としか言いようがない。

じゃあなんで付き合ってみたのかといえば、たまたま休暇がかぶって一緒に遊んでいたら仲良くなったから。もしも休暇がかぶらなかったら、付き合ってなかったと思う(そもそも告白されることもなかったろう)。

抗えない圧倒的な引力で惹かれる恋は、ないことはないけれど珍しい。

多くの恋人たちは、「なんとなく」や「たまたま」の力を借りて、劇的じゃない感情を育てているのだと思う。


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