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【エッセイ】ひまわり畑とアイデンティティ

僕は、夏生まれだからか、夏が好きだ。

子供の頃から夏が来るとワクワクし、ひぐらしがカナカナと鳴く夕暮れ時が好きだった。

これから、何か始まるかもしれない夏を楽しみにしていた。

そして、お盆が過ぎた辺りからツクツクボーシが鳴き始める頃から晩夏を惜しみ、物悲しい気持ちになっていた。

僕は、中学生の頃からオフコースのファンだ。

1981年のオフコースの武道館コンサートで唄われた「言葉にできない」と言う曲のバックに大きなひまわり畑の映像が映った。

そこには、画面一面に大きく黄色く咲いたひまわり畑が映し出されていた。

このシーンは、映画『ひまわり』で使われたものだった。

「言葉にできない」の曲とこの一面のひまわり畑のシーンが妙にマッチし、僕にとって凄く印象に残るものとなった。

今でも、僕はライブ映像のこのシーンが好きで何度も観てしまう。

いつしか、僕はこのような一面のひまわり畑を見てみたいと思う様になった。

そして、僕は、昨年、小野市に「ひまわりの丘」と言う場所があり、夏になると一面にひまわりが咲いていると言う情報を得た。

秋は、その「ひまわり畑」がコスモスでいっぱいになっていた。

そこで、僕はまずは昨年の秋にコスモスを観に「ひまわりの丘」に行った。

そして、今年もまた夏がやって来た。

僕は、今年は「ひまわりの丘」に待ちに待った一面のひまわり畑を見に行きたいと思い、実行した。

この「ひまわりの丘」はある期間の間、この場所に訪れた希望者の中でハサミを持参した人にひまわりの花を切ってサービスしてプレゼントしていた。

そう言う事情で、楽しみにしていた「ひまわり畑」で、僕は一面に広がるひまわりの花を残念ながら見る事が出来なかった。

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そして、もう一箇所、僕が好きでよく行く、淡路島の「花さじき」が今年は、ひまわりを一面に植えていると言う事を知った。

僕は、今度こそ一面のひまわり畑を見たいと思い、「花さじき」を訪れた。

映画の様に一面、真っ黄色に爽快に広がるひまわり畑ではなかったが、ひまわりがいくつも咲いているのを見る事が出来た。

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やっと僕は一面のひまわり畑を見ることが出来、嬉しかった。

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四季折々、それぞれシーズンとタイミングがある。

それぞれの季節の特徴があり、それを堪能する事が僕達は出来る。

それは、ある意味、人間と同じだなと僕は思った。

人間も一人一人、個性がありそれが特徴となっている。

その特徴がその人となりになり、その人らしさ、その人の良さとなる。

僕達は、その人らしさやその人の良さから恩恵を得、楽しくさせてもらっている。

そこにアイデンティティがあり、人それぞれの存在感や存在意義となっている。

だから、人間って面白いと僕は思う。

今日も、お読み頂きありがとうございます。

今日も、あなたに幸せが訪れますように!

写真は、小野市の「ひまわりの丘公園」のひまわりと淡路島の花さじきのひまわり畑と青空です。

問題解決コンサルタント、起業プロデューサー、教育家、心理分析家
人と組織の専門家

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