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ルネサンス・大航海時代


ルネサンスの始まり

大昔の文献を読む必要性

ルネサンスとは
→14世紀にイタリアで始まる。15世紀以降、西ヨーロッパ各国に広まる。
●教会中心の価値観

●個人を重んじる人間中心の価値観
→十字軍遠征の失敗から教会の権威は失墜していた
●基本的精神:ヒューマニズム(人文主義)
→人間の理性や尊厳を尊重…ヒューマニスト
●ギリシア・ローマの古典を研究
→教会の価値観から離れた人間社会の赤裸々な姿を描写。1000年近くキリスト教中心の社会だったため、文芸復興が行われた。

何故イタリアから始まったか

イタリア=ルネサンス(14世紀~16世紀)
ギリシア知識人の亡命
→オスマン帝国がビザンツ帝国を圧迫し、帝国内のギリシア文化の知識人・学者がイタリアに逃げ込んだ。文芸復興をするためにはギリシアの古典を読む必要があったため、彼らの存在は大きかった。
メディチ家(フィレンツェの大富豪)
→毛織物、金融業、東方貿易で繁栄したパトロン
教皇レオ10世の保護
→メディチ家の出身

脱教会のルネサンスだったが、パトロンに富豪や教皇がいたため、こういった層への批判はこの段階では御法度だった。

イタリア=ルネサンス

文学

ダンテ・アリギエーリ(1265~1321)…イタリア=ルネサンスの先駆者
●『神曲
トスカナ語で記述。通常ラテン語で書かれるところを地元の人たち向けの言語で書いた。

フランチェスコ・ペトラルカ(1304~1374)
●『抒情詩集
→思いを寄せる女性への愛と苦悩を描く

ジョヴァンニ・ボッカチオ(1313~1375)
●『デカメロン
→黒死病の難を逃れてフィレンツェの郊外に避難した10人の男女が、寂しさを紛らわすために1晩に一人が1話ずつ話をするという形をとり、100話からなる短編集となっている。

政治学

ニッコロ・マキャヴェリ(1469~1527)
●『君主論』…イタリア統一の必要性を説く。「イタリアを統一するにはライオンの勇猛とキツネの狡知を兼ねた人物が必要だ」

美術

ジョット・ディ・ボンドーネ(1266~1337)
→ルネサンス絵画の先駆者

『荘厳の聖母』

サンドロ・ボッティチェリ(1444~1510)
●『ヴィーナスの誕生』『

『春』

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)
●『最後の審判』『天地創造』『ダヴィデ像

『最後の審判』

レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452~1519)
●『最後の晩餐』『モナ=リザ

『最後の晩餐』

ラファエロ・サンティ(1483~1520)
●『アテナイの学堂』、多くの聖母子像

『アテナイの学堂』

建築(ルネサンス様式)

サン=ピエトロ大聖堂
→カトリック主聖堂。教皇レオ10世が資金調達のために贖宥状の販売を許可。
ブラマンテ(1444~1514)
→サン=ピエトロ大聖堂の最初の設計者

サンタ=マリア大聖堂
→フィレンツェ。
ブルネレスキ(1377~1446)
→ドームを設計

サン=ピエトロ大聖堂

ヨーロッパに拡大するルネサンス

北方ルネサンス(ネーデルランド)

デジデリウス・エラスムス(1469ごろ~1536)
→16世紀最大の人文主義者
●『愚神礼賛
→聖職者や王の偽善・腐敗を批判。彼は教皇や富豪の支援を受けていなかった。
ファン=アイク兄弟
→油絵の技法の改良

『アルノルフィニ夫妻の肖像』ヤン・ファン=エイク

ピーテル・ブリューゲル(1528ごろ~1569)
●『農民の踊り』:当時の生活を描く歴史的に重要な作品
●『バベルの塔

『農民の踊り』

北方ルネサンス(ドイツ)

アルブレヒト・デューラー(1471~1528)
→宗教画で有名
●『四人の使徒

『四人の使徒』

ハンス・ホルバイン(1497~1543)
→肖像画で有名
●『エラスムス像』『ヘンリ8世像

『エラスムス像』

北方ルネサンス(フランス)

フランソワ・ラブレー(1494ごろ~1553)
●『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語
→ガルガンチュワとその子パンタグリュエルは、伝説上の巨人であるが、ラブレーはこの二人を主人公としながら、自由奔放に逸脱して物語を展開した。抱腹絶倒、場面によってはばかばかしい話であるが、内容は当時のカトリック教会や修道院に対する激しい風刺となっていたので、カトリック神学の殿堂であるパリ大学神学部からにらまれ、禁書に指定されることになった。
ミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)
●『エセー
→自らの経験や古典からの引用をもとにした随筆、「人間」を率直に記すことを目的とした一冊。

北方ルネサンス(スペイン)

ミゲル・デ・セルバンテス(1547~1616)
●『ドン=キホーテ』…最初の近代小説

北方ルネサンス(イギリス)

ジェフリー・チョーサー(1340ごろ~1400)
●『カンタベリー物語』…社会風刺に富む
トマス=モア(1478~1535)
●『ユートピア』…架空の理想社会
ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)
●『ハムレット』『リア王』『マクベス』『オセロー』
→四大悲劇と呼ばれる

ルネサンスの発明

ルネサンスの三大発明(14世紀以降)
→元は中国・宋代の発明品。ルネサンスで改良された。

火薬
→鉄砲の発明。戦闘の主力であった騎士階級の没落を促す。

羅針盤
→方位を測定するための道具。遠洋航海術を大きく前進させ、ヨーロッパ人の海外進出を可能に。

活版印刷
→活字を組み合わせて原版をつくる印刷方法。グーテンベルクにより改良。後々にこの方法で聖書が大量に刷られ、宗教改革を支えた。

天文学の発達
天動説
→地球は宇宙の中心で静止し、その周りを他の天体が動いている。中世キリスト教世界で支持される。
地動説
→太陽を中心に、その周りを地球やその他の天体が動いている。

ニコラウス・コペルニクス(1473~1543):ポーランド
→天体観測に基づいて地動説を提唱『天球の回転について

ガリレオ・ガリレイ(1564~1642):イタリア
→自作の望遠鏡で木星の衛星を観測→地動説を擁護

大航海時代の幕開け

大航海時代の要因

 当時、肉食文化中心のヨーロッパでは保存や味付けの観点から香辛料が人気だった。それらを東方貿易で輸入していたが、15世紀にオスマン帝国が地中海東岸地方を占領したことで香辛料が手に入りにくくなった。よって、従来とは違うルートで直接インドと貿易することが求められた。

マルコ=ポーロ(1254~1324)
→『世界の記述』…ジパング伝説

◎技術と科学の発達
→羅針盤の実用化、造船技術の発達などで遠洋航海が可能に

しかし、船を出すにはそもそも大きなリスクと資金が必要。そのため、この時代にインドまでの航路を開拓するには「中央集権的な国で費用を負担してくれる」という条件が必要であった。

ポルトガルのインド航路開拓

→ポルトガルはレコンキスタによって国土を回復したため国王の力が強く、さらにスペインなどより早く完了して敵もいなかったので大航海時代の中心になっていく。

各航路と支配地域

「航海王子」エンリケ(1394~1460)
→探検・航海活動を奨励
ヴェルデ岬へ到達(1445)
→アフリカ最西端

バルトロメウ=ディアス(1450ごろ~1500)
→「嵐の岬」へ到達(1488)し、喜望峰と改称

ヴァスコ=ダ=ガマ(1469ごろ~1524)
→アフリカ東岸を経てカリカットへ到達(1498)

ポルトガルのアジア進出(16世紀)

セイロン島(スリランカ)へ到達
ゴア占領、総督府を建設
マラッカ占領(マレー半島南部)
モルッカ諸島(マルク諸島・香料諸島)の占領
マカオでの居住権を獲得

種子島へ来航(1543) 日本へ鉄砲を伝えた
平戸へ到達(1550) 長崎県西北部

大航海時代の発展

コロンブスの挑戦

クリストファー・コロンブス(1451~1506)
トスカネリ地球球体説を信奉、スペイン女王イザベル(位1479~1504)の支援により航海。ポルトガルとは別のルートでインドを目指すことに。
→アフリカ大陸とは逆方向から目指すことに

サンサルバドル島に到着(1492)
→15世紀のヨーロッパでは「インド」という概念は、現在のインドのことではなく、それより東のすべての地域を含んでいた。コロンブスはその広い意味のインドに西回りで到達したと信じ、その地を西インドと名づけた。現在では西インドはコロンブスが到達し、探検した島々を含む、カリブ海に浮かぶ島々の総称となっている。

様々な航海士たち

ペドロ・アルヴァレス・カブラル
→ブラジルへ漂流
アメリゴ=ヴェスプッチ
→コロンブスが到達した場所を「新大陸」であると報告
バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア
パナマ地峡を横断し太平洋へ到達

フェルディナンド・マゼラン(1480ごろ~1521)
→スペイン王カルロス1世の支援で世界一周を行う(1519~1522)
→アメリカ大陸を南下、マゼラン海峡を廻航、太平洋を横断後フィリピンへ到達。

トルデシリャス条約(1494)
→スペインとポルトガルの境界線を画定

大航海時代による影響

商業革命
→商品の産地・商品の種類と量などが地球規模に拡大。商業中心地は大西洋岸都市へ移動。(リスボン、アントウェルペンなど)
◎価格革命
→アメリカ大陸では銀がものすごく取れたため大量の銀がヨーロッパに流入。銀の価値が下落したことにより物価が急激に上昇。

西ヨーロッパで商工業が発展、固定地代を収入源としていた領主層は没落

古代アメリカ

先住民のくらし

インディオ
→先住民。農耕生活を営み、トウモロコシ、ジャガイモ、トマトなどをつくっていた。ジャガイモは寒冷地でも育つため、ヨーロッパに持ち込まれた際居住地の拡大に貢献。
 重要なのは鉄文化がなく、重いものを運ぶ牛や馬がおらず、車輪も存在していなかったことである。後述するピラミッドの建設方法も分からないことが多い。

メソアメリカ文明(中米文化)

オルメカ文明(前1200頃までに成立)
→独特な巨石人頭像神殿ピラミッドを建設した。

巨石人頭像

マヤ文明(前1000頃~後16世紀)
ユカタン半島に成立、ピラミッド状神殿の建築、マヤ文字の使用、二十進法の発達など高度な文明が見られる。

テオティワカン文明(前1世紀~後6世紀)
→「太陽のピラミッド

太陽のピラミッド

アステカ王国(14世紀~16世紀)
メキシコに位置、都:テノチティトラン
→ピラミッド状の神殿、象形文字の使用、太陽暦の使用
●スペインのコルテスが滅ぼす

アンデス文明(南アメリカ文明)

インカ帝国(15世紀~16世紀)
アンデス地帯に位置、都:クスコ(標高3400m)
都市遺跡:マチュ=ピチュ
→高度な石造建築
キープ(結縄)
→租税管理や 国勢調査 などの統計的記述に用いられ、固有の文字を持たなかったインカ帝国の集権的行政において重要な役割を担った。
●スペインのピサロにより滅亡

マチュ=ピチュ

スペイン人の過酷な支配

コンキスタドール(征服者)
ポトシ銀山の発見(1545)
→現在のボリビア。先住民を酷使して銀を採掘しヨーロッパに大量に輸出。

エンコミエンダ制(16世紀)
先住民をキリスト教化させることを条件に労働力として使役することを許可。エンコミエンダ制の理念はインディオ保護であったが、実態は入植者がインディオを使役して富を築く隠れ蓑となった。インディオに対する過酷な使役は、その人口を激減させ、ラス=カサスなどドミニコ派の宣教師の反対などもあって次第に問題となってきた。スペイン王室は、このような植民者に委任する方式であるエンコミエンダ制を改め、直接経営に切り替えようとしたが、入植者の反発もあって成功しなかった

ラス=カサス:ドミニコ修道会
著書『インディオの破壊についての簡潔な報告』で支配の現状を訴えた。

プランテーション
黒人奴隷の使用
→インディオの人口が激減したため黒人奴隷を代わりに持ってきた
アシエンダ制(17世紀~18世紀)
→広大な土地で先住民や黒人奴隷を労働力に商品作物を栽培。コーヒーやサトウキビなど。

アカプルコ貿易
→アカプルコ(メキシコ)を中継地点としてアジアと交易を行った。
ガレオン船の使用
●マニラの建設(1571)
→ポルトガルとは別のルートでアジアと接続

ガレオン船

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