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ギリシア世界

エーゲ文明とギリシア人の侵入

エーゲ文明

→エーゲ海周辺にできた文明のことを指す。

クレタ文明(前2000~前1400)
 →クレタ島で発展、明るく平和的・海洋的な文化。青銅器中心。
◎中心地:クノッソス(宮殿遺跡あり)
 →アーサー・エヴァンス(英)が発掘
城壁がないため戦争をしていなかったことが分かる。→平和的

クノッソス宮殿跡

ミケーネ文明(前1600~前1200)
ペロポネソス半島に位置
◎小王国の分立
ミケーネティリンズなど。巨大な城塞を持ち、戦闘的
線文字Bの使用
→マイケル・ヴェントリス(英)によって解読
ミケーネ・トロイア遺跡の発掘
ハインリヒ・シュリーマン(独)による

ミケーネ遺跡の獅子門

ギリシア人の侵入と生活

→北部からギリシア人が侵入、方言によってドーリア人イオニア人アイオリス人に分かれる。ドーリア人は南下の際、アジアのミタンニやヒッタイト人が使用を開始した鉄器携えてきたので、彼らの定着によってギリシアも青銅器時代から鉄器時代に移行した。

暗黒時代(前12世紀~前8世紀)
→ミケーネ文明崩壊後400年間は文字資料に乏しいので、遺跡などから推測で歴史を記述する。

ポリス(都市国家)の成立
●農業
→山が多い、大河や大平野が少ない、降水量が少ないためこの地域は農業に向かない。そのため果樹栽培(オリーブ・ブドウ)が発達。穀物は輸入に依存。
●集住(シノイキスモス)
→有力者が中心となって要地に人々が移住。貴族政治の母体になった。
植民都市の建設
→交易の拠点確保を行っていた

ギリシア人の民族意識

◎街づくりの特徴
 ●アクロポリス(丘)
 →市民の信仰上の中心・非常時の城塞
 ●アゴラ(公共広場)
 →交易、集会、裁判などが行われる。普段はこの辺りで生活。

◎仲間意識
ヘレネス(ギリシア人の自称) ⇔ バルバロイ(異民族への蔑称)
デルフォイの神託
→重要決定事項にあたりその是非を神に問う。
オリンピアの祭典
→4年に1度、女人禁制で開催。

アテネとスパルタ

ギリシアの典型的な都市:アテネ

◎貴族政治(前8世紀)
→商業交易を主として発展。富裕市民が出現し、戦争の際に重装歩兵を構成。ファランクスで国防に尽力。

ファランクスの図

ドラコンの改革(前621)
→従来の慣習法を成文化、貴族による法の独占を破るもので、ポリス秩序の安定化を図った。

ソロンの調停(前594)
財産政治の実施
→財産に応じて4等級に分け、その等級に応じて参政権と兵役義務を定める。これによって一定の財産のある平民が国政に参加できるようになった。
民衆裁判所
→全市民が参加し、抽選で陪審員が決められる法廷において、役人を訴えることができるようにした。アテネの民主化の礎石となった。
◎負債の帳消し、債務奴隷の解放と禁止

ペイシストラトスの改革(前561)
僭主政治を行う
→平民の指示を得て非合法的に政権を掌握。亡命貴族の土地・財産を貧民に分配し中小農民を保護・育成。

クレイステネスの改革(前508)
→民主政治の基礎を築いた
デーモス(区)の設置
→従来のアテネの血縁的な4部族制を改め、デーモス(区)を単位とする地縁的な10部族制に改めた。各部族から1名、計10名の将軍職(ストラテーゴス)を選出した(後に将軍職が重要なポストとなる)。
陶片追放(オストラキスモス)の実施(前487)
→市民の登場で僭主の出現を防止。オストラコン(陶片)を使用。市民は僭主なる恐れのあるものを投票にかけ、投票数6000に達したものを10年間追放することができた。

オストラコン(陶片)

ギリシアで例外的な都市:スパルタ

→珍しく穀物自給が可能だったため、閉鎖的・鎖国的体制をとった。また、貨幣獲得の厳格な禁止も行った。

◎人口構成
完全市民(スパルティアタイ)
→ドーリア人の子孫、鉄製の武器を使用し周辺の街を従える。
ペリオイコイ(半自由民)
→農業・商工業に従事
ヘイロータイ(ヘロット)
→隷属農民(国有)。完全市民1人当たり20~30人のヘイロータイ。

リュクルゴス
→完全市民の優位性を確保するための軍国的・鎖国的諸制度を確立。普段から完全市民は筋トレ。

ペルシア戦争とアテネ民主政治の完成

ペルシア戦争(前500~前449)

→紀元前500から前449にいたる約50年間に、4回にわたって展開された、ギリシアのアテネを中心とするポリス連合軍と、アケメネス朝ペルシアの戦争

イオニア植民市の反乱(前500)
→中心地:ミレトス(小アジア)
イオニア地方のギリシア人植民都市がペルシア帝国に対して起こした反乱。ここにアテネが援軍を送ったことからアケメネス朝ペルシアとの戦争に発展。

マラトンの戦い(前490)
アテネvsアケメネス朝ペルシア(ダレイオス1世)
中小農民重装歩兵部隊の一員として活躍。アテネの勝利に終わった。

サラミスの海戦(前480)
アテネvsアケメネス朝ペルシア
テミストクレスが指導、無産市民三段櫂船の漕ぎ手として活躍。

プラタイアの戦い(前479)
→アテネ・スパルタ連合軍の勝利、ペルシアは陸上と海上で敗れ、ギリシアから撤退し、イオニア地方の独立は認められた。

カリアスの和約
→その後もペルシアは再征の機会をねらい、ポリスの対立をあおるなどギリシアに干渉を続けるが、前449年、アテネのペリクレスの時にカリアスの和約を結んで終結した。

三段櫂船

アテネ民主政治の完成

デロス同盟の結成(前478)
→ペルシア軍の再来に備える。艦船・兵員・軍資金の提供を行うがのちにアテネが私物化。同盟を通じて他ポリスを支配し帝国化していった。

ペリクレスの時代(前443~前429)
民会(最高議決機関)
→18歳以上の成年男性市民で構成
陪審員
→30歳以上の市民から抽選
奴隷制度に立脚
→戦争捕虜や債務奴隷。市民男性は会議で忙しいため働き手として利用。

ポリスの対立

ペロポネソス戦争(前431~前404)
ペロポネソス同盟(スパルタ主導)vsデロス同盟
→アテネでは疫病が流行、ペリクレスも病死(前429)
デマゴーゴス(扇動政治家)の登場
→無責任な言動で民衆に迎合。衆愚政治化し、民主政治の墜落。

スパルタがアテネを破り覇権掌握。

◎スパルタvsテーベ(テーバイ)
→テーベの覇権掌握。ギリシアは内戦状態に。

◎戦争の影響
・戦争の長期化によって市民が没落し、ポリス民主政の基盤がくずれていった。
・そのため戦争の主体も市民による重装歩兵から、傭兵に移行していった。
・アテネでは一時は寡頭体制がとられ、民主政は復活したがデマゴーゴスが多くなった。
・アテネの海上帝国は崩壊し、デロス同盟も解体、ポリス世界の覇権はスパルタに移った。
・スパルタはペルシア帝国と同盟したため、ペルシアのギリシア干渉が再び強まった

ヘレニズム時代

内乱後の世界

→アケメネス朝ペルシアはペルシア戦争で負けたが、まだ諦めてはいないのでギリシアに安定が必要

フィリッポス2世(位前359~前336)
カイロネイアの戦い(前338)
vsアテネ・テーベ連合軍
→破ってギリシア諸ポリスをほぼ制圧
コリントス同盟の結成(前337)
スパルタを除くギリシア諸ポリスの同盟。盟主はマケドニア

 フィリッポス2世の指示が通るようになりギリシアは安定。しかしスパルタはアケメネス朝ペルシアと裏でつながっている&フィリッポス2世が部下に暗殺されてしまう。

アレクサンドロス大王の登場

アレクサンドロス大王(位前336~前323)
→アケメネス朝の方向に東方遠征を行う
イッソスの戦い(前333)
→アケメネス朝ペルシアを破る
アルベラの戦い(前331)
→ダレイオス3世を破り、アケメネス朝が滅亡(前330)

この結果、ギリシア世界とオリエント世界を統一し、ヘレニズムの時代に突入する。

ヘレニズム時代
→各地にアレクサンドリア市を70個くらい作り、支配者の名を周知した。
●ペルシアの儀式・習慣を導入
コイネー(共通ギリシア語)の公用語化
→ギリシアとオリエントの融合を上手く行った。

大王の死後

◎アレクサンドロス大王の急死(前323)
→高熱で死亡。後継者を指名しておらず、「最強の者に譲る」と言ったので争いが勃発。
ディアドコイ
→後継者の呼称。彼らが分立抗争を繰り広げ、最終的に3つに分かれる。

プトレマイオス朝エジプト(前304~前30)
都:アレクサンドリア
最後の女王:クレオパトラ

セレウコス朝シリア(前312~前62)
→西アジアの大部分を領有。もっとも広かったが、広すぎたため諸王国の独立や領土の縮小を招いてしまう。このときパルティア(イラン高原)やバクトリア(中央アジア)ができる。

アンティゴノス朝マケドニア(前306~前168)
アンティゴノス1世モノフタルモスが建国。

ギリシア文化:文学と芸術

人間的で明るい文化

→神様に喜怒哀楽がある

宗教
オリンポス12神
→ギリシア神話はこれらの神を題材にしている。

文学
ホメロス
→『イリアス』『オデュッセイア』などトロイア戦争を題材にしたものが有名。

ヘシオドス
→『労働と日々』『神統記』

サッフォー(前612~?)
→恋愛を題材とした詩を残す

ヘロドトス(前485~前425)
→『歴史』ペルシア戦争について紀伝体で書いた。

トゥキディテス(前460~前400)
→『歴史』ペロポネソス戦争について編年体で科学的に記述した。

芸術の発達

彫刻
フェイディアス(前485~前425)
→「アテナ女神像」を作る。一つの石から作る。

アテナ女神像

建築
パルテノン神殿
→昔は金箔で覆われていた

演劇
悲劇作家
アイスキュロス(前525~前456)
→『アガメムノン
ソフォクレス(前496~前406)
→『オイディプス王
エウリピデス(前485~前406)
→『メデイア

喜劇詩人
アリストファネス(前450~前385)
→『女の平和』ペロポネソス戦争を女性目線で男性をバカにするように描く。

ギリシア文化:自然科学と哲学

ギリシアの学問

自然哲学(イオニア自然哲学)
→主な労働は奴隷が行っていたため、時間にゆとりがあった。身の回りの減少について考え始める。

タレス(前624~前546)
→アルケーを「」とした

ピタゴラス(前6世紀)
→アルケーを「」とした

ヘラクレイトス(前544~?)
→万物は流転する「パンタレイ」+「火」

デモクリトス(前460~前370)
→アルケーを「原子」とした

医学
ヒッポクラテス(前406~前375)
西洋医学の父。病気の原因を科学的に解明。

ソフィストの登場

→喋り方を教える先生のこと。
◎プロタゴラス(前5世紀)
→「人間は万物の尺度である」といい相対主義の考えを肯定。

ギリシア哲学

ソクラテス(前469~前399)
→口だけうまくて内容が薄いデマゴーゴスやソフィストが嫌い。絶対的真理を求め相対主義を否定。

プラトン(前429~前347)
イデア論を唱える。

アリストテレス(前384~前322)
現実主義や経験論的立場をとる。

ヘレニズム文化

→ギリシア文化とオリエント文化の融合により成立。
世界市民主義(コスモポリタニズム)
→ヘレニズム以前のギリシア人は同じポリスで同じ価値観を持つ人しかいなかった。それ以降は他の文化と出会うことで、個の芽生えが見られた。

ヘレニズム哲学

ストア派
→ストア=柱のこと。柱に集まって議論した。
●創始者:ゼノン
→「理性によって欲望を抑えることが大切」と説く

エピクロス派
→「精神的な快楽」を追求。

自然科学の発達

ムセイオン(王立研究所)
所在地:アレクサンドリア

エラトステネス(前275~前194)
→ムセイオンの館長。地球を球形と考え、地球の周囲の長さを測定
エウクレイデス(前300~?)
平面幾何学を大成
アリスタルコス(前310~230)
地球の公転と自転を主張
アルキメデス(前287~前212)
浮体の原理てこの原理を発見

彫刻

→ギリシアの時代にあった筋肉美とは対照的に曲線美を強調。

◎ミロのヴィーナス
作者:アンティオキアのアレクサンドロス

ミロのヴィーナス

◎ラオコーン
→神官ラオコーンがアテナ女神の怒りを買い、大蛇に子供二人とともに襲われる様子

ラオコーン

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