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魏晋南北朝

三国時代〜西晋の統一

三国時代

→太平道の張角による黄巾の乱(184)を鎮圧した時に豪族の力を借りたため、群雄割拠の時代に。

(220〜265)
華北一帯を支配
曹操 (位216~20)
屯田制 (土地制度) の実施。戦乱で荒廃した土地を収め、流民を募って集団で入植させ、耕作にあたらせた上で現物で租税を納めさせた。この方式は魏の建国後も継続され、その国力の基礎となった。

曹丕(文帝、位220〜226)
→魏の初代皇帝。
九品中正 (官吏登用)
→派遣された中正官が、地方の人材を9等級に評定。西晋の頃は「上品に寒門無く、下品に勢族なし」と言われる状態。
 有徳で有能なを選ぶという人材登用が目的であったが、次第に有力な豪族の子弟が選ばれるようになった。後々隋で科挙が始まった(587)のはここの反省がある。

(221〜263)
→四川省辺り
劉備 (位221〜223) が建国
●魏により滅亡 (263)

(222〜280)
→江南地方
孫権(位222〜252) が建国

西晋の失敗

西晋(晋、265〜316)
→都:洛陽
司馬炎 (武帝, 位 265〜290)
→魏より禅譲を受けて即位
を征服 (280)
●古田・課田法 (土地制度) の実施
→詳しくわかってないらしい

八王の乱 (290〜306)
→帝位継承問題
外戚と晋の一族らと対立。対立しあう諸王が軍事力として匈奴など五胡と言われる北方民族の力を利用したことから、北方民族が中央権力を獲得するきっかけとなったことが重要な意味を持つ内乱。
 晋では武帝の時、皇帝直属軍が縮小され、多くの兵士が帰農していたので、兵力不足に陥っていた政府や八王はそれぞれ北方異民族を兵力として利用しようとした。

●匈奴により滅亡 (316)

◎五胡十六国(304〜439)
五胡…匈奴,鮮卑,羯,氐,羌
→こいつらが華北一帯に16の国を作って争った。(一部漢人の国もある)

 北方民族(胡人)が華北に国を建てたといっても、この時期に移住して征服活動をしたのではなく、ほとんどはそれ以前の漢代(前漢・後漢)・三国(華北の魏)・西晋を通じで移住し、漢人社会に溶け込みながら、騎馬兵力として漢人政権の傭兵化していた人々である。彼らが西晋の混乱を背景に政治的に自立したが、まだ統一的な権力になり得ず、互いに抗争した、というのが五胡十六国の分立の意味である。

東晋(317〜420)
都: 健康 (南京)
●司馬睿 (位317〜322)
→晋の一族を率いて建国

北朝と南朝

華北の統一

北魏(386〜534)
→鮮卑の国家
拓跋氏が建国 (386)
都:平城

太武帝 (位423〜452)
→華北の統一 (439)
柔然 (モンゴル高原) との対立
→北方異民族。最終的には北魏に従属。
寇謙之を重用
道教の国教化。仏教など他宗教の弾圧。

孝武帝(位471〜499)
均田制 (土地制度)
→国家による土地の給付と返還。農民に土地を等しく与えることによって生活を安定させ、同時に租庸調などの税と府兵制での兵役を農民に負担させて国家の財政と軍備を維持しようとすることがねらい
三長制 (村落制度)
→戸口調査や徴税義務。村落の五家を一つの「隣」とし、五隣を一つの「里」、五里を一つの「党」にまとめ、それぞれに隣長・里長・党長を置き、それらにはまじめな人物を任命し、徭役を免除した。そのかわりに管下の農民がきちんと税を納め、徭役の人夫を出すように責任を持たせた。

洛陽へ遷都 (494)
●漢化政策
→漢族 (中国人) への同化政策。多民族的な国家を維持するのに必要な制度を整えていった結果、漢化する方向を選んだ。北魏の都城である平城や洛陽のプランが、後の隋唐の長安城へと連なる整然とした都市計画の先駆けとなっている。また、仏教の再興・隆盛も行われた。

◎北魏の分裂(534)
→孝文帝の漢化政策はに対する北方民族の不満が高まり、反乱(523年、胡人の兵士が起こした六鎮の乱など)が起き、6世紀前半534年には東西に分裂する。

  ↗︎東魏→北済
北魏 vs
  ↘︎西魏→北周→隋(581)
→これらは基本禅譲で易姓革命が起こる。

南朝

南朝(420〜589)
都:建康
宋→斉→梁→陳
↑ここの宋は10世紀に日宋貿易したやつとは別

●江南の開発 (長江以南の地)
→漢民族の豪族や農民が華北の戦乱を避けて移住を開始。この移動によって南部にも中国文化が広がる
●門閥貴族の台頭
「上品に寒門なく、 下品に勢族なし」

魏晋南北朝の文化

混乱の世に栄えた文化

清談
→老荘思想に基づく哲学的談論。後漢末期以降の政治的な混乱によって儒教だけを重んじる風潮が衰えて、自由に談論する風潮が発生。
竹林の七賢の清談はこの例である。

◎仏教の流行
仏図澄 (? ~ 348)
→西域の出身。布教活動に専念1万人近くの漢人僧を育成。
鳩摩羅什 (344〜413)
→西域の出身。仏典の漢訳に専念。中国仏教史上最大の貢献者。

莫高窟
→敦煌付近

莫高窟

雲崗の石窟寺院
→平城付近

雲崗石窟

竜門の石窟寺院
→洛陽付近

龍門石窟

芸術文化の発達

◎詩
陶潜(陶淵明)(365〜427)
→六朝第一の詩人と称される。田園詩人『帰去来辞』
謝霊運 (385〜433)
『山居賦』山水の美しさをすぐれた技巧で表現

昭明太子(501〜531)
『文選』
→四六駢体・・・ 対句を多用し、 韻を踏み華麗な形式を持つ。

◎絵画・書道
顧愷之(こがいし) (344頃~405頃)
『女史箴図』

女史箴図

王羲之(307頃~365頃)
『蘭亭序』

蘭亭序

歴史学と実学

◎歴史学
『魏志』倭人伝
→魏に朝貢した邪馬台国の卑弥呼の記述。「親魏倭王」の称号を授かる。

◎実学
●『水経注
→地理書。異民族が支配している時代のため、地理情報を整理する必要があった。
●『斉民要術
→現存する中国最古の農学書
●『傷寒論
→実用的な医学書

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