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早稲田大学-文化構想2018

問1 ユネスコの世界遺産

設問3
→ジェゼルはエジプト第三王朝のファラオ。階段ピラミッドの作成で知られ、史上初のピラミッドとされる。

設問4
チムー帝国
→アンデス文明の中でインカ帝国に先行して存在した国家。11世紀ごろから存在し、1450年にインカ帝国に滅ぼされる。
アステカ帝国
→アステカ文明期の王国。15世紀にメキシコ高原一帯を支配したが、1521年にスペインのコルテスによって滅ぼされた。  
 チチメカ人の一派であるアステカ族(またはメシカ人ともいう)の建てた王国で、アステカ文明を成立させた。メキシコ高原のテスココ湖に浮かぶ島に建設したテノチティトランを都とし、周辺の部族を次々と征服して支配領域を広げ、一個の都市帝国をつくった。
ティワナク帝国
→ティワナク帝国(別名ティアワナコまたはティワナク)は、南アメリカで最初の帝国の1つであり、現在のペルー南部、チリ北部、ボリビア東部の一部を約600年間(西暦500〜1100年)支配

問2 古代ローマ

→特になし

問3 初期イスラーム

設問1
→第三代カリフのウスマーン(ウマイヤ家)が暗殺される。イスラーム国家の最前線であるイラクのクーファやバスラ、エジプトのフスタートに駐屯する戦士は、征服戦争が一段落したため戦利品が手に入らず、報酬も少なかったので、カリフのウスマーンに不満を募らせた。656年6月、メディナのカリフ邸に押しかけた反乱軍はコーランを読誦中のウスマーンを襲撃し殺害。その黒幕に第四代カリフのアリーがいるのではと騒ぎになり内戦に。

 ウマイヤ家の家長ウスマーンの地位を継承したムアーウィヤは、シリアのダマスクスを拠点にシリア総督としてカリフ・アリーに反旗を翻した。激怒したアリーは657年、シリアを攻撃した。戦闘はアリー側優勢に進んだが、ムアーウィヤ側の一武将が槍先に『コーラン』を掲げ、コーランによる裁定を提案すると、アリーもそれを受け入れ、戦闘は停止。

 この戦闘停止に反対した人々がハワーリジュ派(離脱者たち、の意味)と呼ばれ、イスラームの最初の分裂となった。ハワーリジュ派は妥協の産物としてのカリフの地位を認められたアリーを激しく非難した。アリーはハワーリジュ派の殲滅を試みたが、逆に661年1月、クーファで刺客の手にかかり暗殺された。選択肢エにある「ムアーウィアに処刑された」は誤り。

設問5
ファーティマ朝は確かにエジプト系の王朝だが、元々はチュニジアからスタートしている。

問4 英仏百年戦争バラ戦争

→特になし

問5 中国における塩の専売

設問2
→均田制が機能しなくなり、元々均田に基づいて徴兵していたシステムが崩れてしまったため募兵制ができる。実質的な傭兵制度だが、支出の増大を招き、塩の専売が行われた。

設問4
→長城沿いに山西省は位置しているため、「軍事拠点に穀物などを納付」しやすい。それを生かすため土地を開墾し穀物をおさめ、塩の専売で巨万の富を築いたのが山西商人。
しかし、「塩産地で銀を納入させ塩引を与える方式」になると江蘇省の淮安や揚州に近い安徽省出身の徽州商人が塩商として台頭する。

問6 ナポレオンとイギリスの地中海軍事行動

設問4
→トラファルガーの海戦(1805)はナポレオンの皇帝化を警戒した第三回対仏大同盟によるもの。アミアンの和約は第二回のとき。イギリスが国内の労働運動を抑えることに専念したかったため和約を結んでいる。

問7 イギリス三枚舌外交

→特になし

問8 ヨーロッパ美術史

→特になし

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