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日本文化の基層 ③イネとコメの日本史_7 稲作の真実

コメは江戸時代の初め頃に1800万石取れ、幕末には3200万石取れ、一人一年の消費が一石だとすると、充分に人口をカバーしています。

しかし、そこにはカラクリがあるのです。

大都市の料亭などを中心に、あちこちで「大食之会」や「大酒之会」が行われていました。

記録として残っているものもあり、大食では菓子、うなぎ、ソバ、飯などがあり、飯組では一人で茶漬茶碗で47杯から68杯などが記されています。

大酒の方は祭りや祝い事の余興としても行われ、その量を競うものと早飲み競争がありました。

こちらも三升入りの盃で6杯半(実に1斗9升5合です)飲んだ者の記録があります。

江戸のみの酒の消費量は四斗樽(72ℓ)で、1697年64万樽、1785年77万5千樽、1804~30年180万樽が運ばれ、消えていきました。

お金と化したコメは、やはり品を変え、形を変えて、都市部に集中したのです。

以前に、田畑は2倍に、実石高は1.5倍にと書きました。わかりますね。真に農民を豊かにしたものは、コメではなく市場経済の結果、人々のニーズに応えるために作ったコメ以外の作物だったのです。

特に二毛作での麦は、年貢の対象にもならず、農民を助けました。

これらのことから、今日、我々が農村風景とイメージする姿が、ようやく表れます。わずか200年位前のことです。

ところが、別の問題がありました。

歌川広重の「東海道五十三次」などの浮世絵に描かれた山のほとんどが、ハゲ山です。

薪や炭がエネルギー源ですから、ある程度は仕方ないのかも知れませんが、もう一つの原因が刈敷なのです。
刈敷は山林の柴草や雑木の若葉・若芽、ワラなどを田畑に敷き込むことです。

施肥する田畑の面積の10倍以上の山々から、鍬を刈り取らねばならず、そのため多くの山の森林が草を生やすための「草山」「芝山」へ改変されてしまいました。

過度な伐採や草山化によって、全国各地で河川の氾濫や台風被害の激甚化を招きました。

このような風景を「里山」とは、とても言えないでしょう。

農耕民が森林を荒廃させていくのと対照的に「森は海の恋人」よろしく魚附林として森が漁場を育てているのを理解していた漁師たちこそが森林保全を行っていたのでした。

ちなみに、みなさんはご存知でしょうか?
この日本において、有史以来、ここ数十年が最も緑豊かな森林であるということを…。

戦争もなくなり、終戦後、軍需物資や生活物資としての過剰な代採が治まります。エネルギー源が、石炭、石油やガスに代わり、1950年から国土緑化運動が始まり、ようやく山に緑が復活して来ての今日があるのです。

昔の方が自然豊かであるというのは間違いです。

大都市やその周辺部において、東京オリンピックや大阪万博以降を見ての錯覚でしかありません。

諸問題があることは承知していますが、2000年以上にわたって日本列島の山は荒れていたのです。

※ほとんど丸写しも多い参照資料
◎著者:佐藤洋一郎氏
『イネの歴史』京都大学学術出版社
『稲の日本史』角川ソフィア文庫
『米の日本史』中公新書
◎著者:奥田昌子氏
『日本人の病気と食の歴史』ベスト新書
◎著者:田家康氏
『気候で読む日本史』日経ビジネス人文庫
◎著者:鬼頭宏氏
『人口から読む日本の歴史』講談社学術文庫
◎著者:上念司氏
『経済で読み解く日本史』飛鳥新社
◎著者:井沢元彦氏
『中韓を滅ぼす儒教の呪縛』徳間文庫
『動乱の日本史(徳川システム崩壊の真実』角川文庫
◎著者:蒲地明弘氏
『「馬」が動かした日本史』文春新書
◎著者:山本博文氏ほか
『こんなに変わった歴史教科書』新潮文庫
◎著者:小泉武夫氏
『幻の料亭「百川」ものがたり』新潮文庫
◎著者:山と渓谷社編
『日本の山はすごい!』ヤマケイ新書
◎著者:森浩一氏
『日本の深層文化』ちくま新書
◎著者:佐々木高明氏
『日本文化の多重構造』小学館
◎著者:原田信男氏
『日本人はなにを食べてきたか』角川ソフィア文庫
◎著者:武井弘一氏
『江戸日本の転換点』NHK BOOKS
◎著者:渡辺尚志氏
『海に生きた百姓たち』草思社文庫
◎著者:太田猛彦氏
『森林飽和』NHKBOOKS

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