見出し画像

日本文化の基層 ~はじめに~

桜という言葉。「サ」は穀物(稲)の精霊と「クラ」は神が座す場所。雪が消えて冬が終わり、穀物の精霊が最初に舞い降りてくる場所、それが「サクラ」だという語源説。
語源論としては少しできすぎていて、あやしげだが、一般的には定説だと言えるのかもしれません。(岩波新書『桜が創った「日本」』佐藤俊樹著)

しかし、古代・上代の日本語の語源や文法を研究している国語学者 山口佳紀氏は『語源は動詞サク(咲く)に名詞をつくる接尾語ラがついたもの。尚、一説にサは神霊を表し、クラは座の意で、サクラは「田の神が来臨する花」であったとするが、その様な意を持つサは古く認められず信じがたい。』と言い切っています。(講談社「暮らしのことば新語源辞典」より)

さて、日本に分布する桜は、ヒマラヤ辺りが起源だとされています。
約5000万年前に、インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突しヒマラヤ山脈として隆起します。
亜熱帯の気候は、標高が上がり常春の気候へと変化します。樹木も新しい種が数多く誕生し、その中に花のきれいな桜がありました。
西に広がったのがヒマラヤザクラ。東に広まったものが大陸と地続きであった日本にまで分布を広げたヤマザクラやエドヒガンの仲間です。

その後、氷河期が終わり暖かくなって海面が上昇し、島国となった列島の中で、独自の進化を繰り返して10種類の野生種(ヤマザクラ、オオヤマザクラ、オオシマザクラ、カスミザクラ、エドヒガン、マメザクラ、タカネザクラ、チョウジザクラ、ミヤマザクラ、クマノザクラ)となったようです。(ヤマケイ新書「木を知る・木に学ぶ」石井誠治著)

そう、縄文時代にはすでに桜は咲いているのです。
文字はなくとも言葉を持っていて、あらゆる物に名前を付けていたであろう狩猟採取民が、稲作以前にサクラと呼んでいたという事は、充分に有り得る事だと思います。

私は「日本文化といえば、職人の世界や伝統芸能に伝統芸術、そしてお茶やお華などなど」という事は、なんとなくわかったつもりになっていましたが、「それはなぜ?」といわれると、もうひとつわかりませんでした。

日本文化を発信するNPO法人に関わって15年以上、「日本文化の基層や伝統とは?」という事が、私の最大の関心事であったという事はまちがいありません。

最初に職人について調べ出し、すぐに行き当たったのが網野善彦氏でした。
その「今日の稲作史観は問題だらけ」と力説されている様に引っ張られ、次々と本を読み漁り、影響を受けたのが、森浩一氏、沖浦和光氏、佐々木高明氏、奥田昌子氏などなどの方々です。

また稲作についても、ちゃんと学ぼうと、イネとコメの研究者である佐藤洋一郎氏の本を読んだところ、この方も今日の稲作観については否定的である様で感じ入ってしまいました。
そして、日本の歴史、特に古代史は好きで、井沢元彦氏や関裕二氏などの本は、片っ端から読んで行きました。

そして、発信すべきは、稲作史観における、単一性、排他性、統一性などの対局にある、多様性豊かな非稲作史観に裏打ちされた日本の伝統文化そのものだと思うに至ったのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?