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「自尊心ってなに?」今さら聞けない自尊心を育む方法をわかりやすく解説します

周りの人のちょっとした態度や言葉に過剰に反応して傷ついてしまったり、周りの反応を何かとネガティブに捉えて落ち込んでしまう……。
そんな経験をしたことはありませんか?

たとえば、恋人にLINEを送ったのに、すぐに既読にならない。既読になってもなかなか返信がこない。
そんなとき、「私はもう大切に思われていないのかしら?」「もう飽きられたのかしら?」と、ネガティブな方向に飛躍した考えが頭の中でグルグルと駆け巡りクヨクヨと思い悩んでしまうようなら、もしかしたら自尊心が低い、あるいは傷んでいる可能性があります。

SNSで自分と他人の『格差』をリアルに実感したとき、自分をことさら惨めに感じたり、他者を嫉妬してしまうというケースも、自尊心の低さからきている可能性があります。

一方、心の中に健全な自尊心が育むまれていると、特に根拠がなくても

・自分には能力や価値があると思える
・自分は大切にされる価値があると思える
・自分の存在、自分の行いには社会的に意義があると思える
・自分は社会的に有能であると思える
・自分には可能性があり、まだまだ成長できると思える
・自分は環境にうまく適応し、うまく対応できると思える
・自分は社会の一員として、価値あるなにかを成していると思える
・自分は社会の一員として受け入れられていると思える

こうした感覚を感じることができるのですが、この感覚を心理学者のボウルビーは「心の安全基地」と呼びました。

今回の記事では、今現在、些細なことでも心が傷ついてしまい、しんどさや生きづらさを感じる状態から抜け出し、ありのままの自分として心軽やかに生きたいと考えている方。言い換えるなら、「自尊心を育みたい」と考えている方に向けた「自尊心を育むヒント」をわかりやすく解説します。


何年もかけて悟りの修行をしてても「自尊心」が傷つくと逆ギレする


以前「禅」に関する本を読んでいた際に、自尊心が人の思考、感情、行動に大きな影響を与えることを示すとても興味深いエピソードがあったので、そのお話をシェアするところからはじめたいと思います。

かなり簡略化して紹介するので、その点はご容赦願いますm(__)m

・・・・・・・・・・・・

あるところに禅の師匠の元で、何年にもわたって厳しい修行をしている弟子たちがいました。

ある日、そこの師匠が弟子たちに向かって、

「そろそろ隠居しようと思う。そこで自分の後継を選びたい。ひいては、これまでの修行を踏まえ、お前達がたどり着いた境地を詩にしなさい。最も優秀な詩を書いたものを私の後継者にしよう」

と、突然、引退宣言をしました。

弟子たちは突然の引退宣言に驚いたものの、師匠にこれまでの成果を見せようと色々と知恵を絞って詩を書きました。

そんな弟子たちの中で、最も優秀だったある一人の弟子(Aさん)がこんな詩を書きました。

「心はあるがままを映し出す鏡のようなもの。だからこそ、鏡が曇ったり埃がつかないようにいつまでも精進しなければならない」

この詩を読んだ他の多くの弟子たちは、Aさんこそが師匠の後継者だと確信します。

そこに、修行してまだ1年も経っていないある別の弟子(Bさん)がやってきます。

Bさんは文字が読めないし文字を書くこともできません。

他の弟子から嘲笑されながらも、BさんはAさんの書いた詩を読み聞かせてもらいます。

Aさんの詩を聞かせてもらったBさんは、

「なんだ、Aさんは全然悟ってませんね。これで後継者だなんてウケる笑」

と言い放ちます。

それを聞いた他の弟子たちは、字の読み書きもできなければ、修行してまだ1年にも満たないBさんを馬鹿にして、だったらお前も詩を書いてみろと笑います。

Bさんは字が書けないので、口頭で詩を詠み、それを他の弟子に書いてもらいます。

Bさんは、Aさんの詩を受けて、

「どこにも鏡なんてない。そもそも何もない。何もないのに、どこに埃がつくというの?」

という詩を詠みました。

その詩を聞いた他の弟子たちはBさんの詩を笑います。

そうやって弟子たちが騒いでいるところに師匠がやってきて、Bさんの詠んだ詩を見ます。

それを読んだ師匠は

「この詩を書いたものは悟りが何かを全然悟っていない」

と怒って立ち去ります。

他の弟子たちは「そら見たことか!」とBさんを嘲り笑います。

ところが……

その夜、Bさんが寝ているところに師匠がこっそりやってきて、自分の着ている袈裟(これが後継者の証になるものです)をBさんに渡すと、

「お前だけが悟っている。だからお前が後継者だ。今すぐ、この袈裟を持って遠くに逃げなさい。そうしないとお前は仲間弟子たちに殺される!」

と言って、Bさんをこっそり逃がします。

翌朝、いつもの袈裟を着ていない師匠を見た弟子たちは、師匠が後継者に袈裟を譲ったことに気づきます。

しかし、仲間内の誰も師匠が着ていた袈裟を着てません。

弟子たちは師匠を問い詰めますが、師匠は誰に袈裟を譲ったのか、誰が悟っているのか何も言いません。

しばらくして、Bさんがいないことに気づいた弟子たちは、Bさんが後継者に認められたと気づき

「何十年も修行してきた俺たちよりも1年も修行していないBが選ばれるのは師匠が頭がおかしくなったからだ! Bを追いかけて後継者の証である袈裟を取り戻せ!!!」

と激怒しまくります。

そしてBさんの探索隊が出されるのですが、時遅し、Bさんは遥か遠くに逃げていたのです。

ちなみに……

Bさんは、その後、何代にも渡って禅の黄金期を築く優秀な弟子を何人も輩出します。

一方、Bさんがいなくなった後、Aさんが次の師匠となって大きな宗派を形成するのですが、何代も続かずにその宗派は無くなってしまいましたとさ。

終わり。

・・・・・・・・・・・・・

さて……

悟りの境地を目指して何十年も禅の修行をしている人たちでも、自尊心が傷つけられるとあっけなく湧きあがった感情に振り回され、暴力的な挙動を起こすわけです汗

ここから言えることは、私たちは自尊心が傷ついたとき、それを回復させるためなら、たとえ自分の考えや振る舞いが道理に合わなくても平気でやってしまうくらい、私たちを行動に駆り立てる「強力なモチベーション(自己防衛的な動機)」になりえるということ。

こうした背景を踏まえると、幼少期から親(養育者)や先生など、抵抗が難しい他者からの激しいコントロール下で自尊心を激しく傷つけられてきた経験がある場合、傷ついてきた自尊心を守ろうとして無意識的に

・他者の顔色を伺う
・自分の意見を抑圧する
・プライドという鎧で自尊心を守ろうとする
・「ベキ論」や社会規範で自分を縛りつけることで、他者からのツッコミを受けないようにする
……などなど

こうした自己防衛的な挙動を無意識にしている可能性が高いと言えます。
ですが、こうした挙動は、人を傷つけて快楽を感じるようなろくでもない人にとっては、まさに格好の「獲物」として映ったりするわけで……汗

悩ましい話しですね^^;;

ということで、もしも今あなたが自尊心が脆弱だなと感じているなら、それを放置したままにするのではなく、「育む」というアクションを起こした方がハッピーに向かうことは間違いないと思ってます^^

なお、これからの記事の内容は、あなた自身の自尊心を育むことにとどまらず、お子さんや部下の自信心を育むことにも役立ちますので、取り込めるところから積極的に取り込んでいくことをおすすめします^^

いまさらながら「自尊心」とは?


Wikipediaから抜粋すると……

・自尊心(セルフ・エスティーム(self-esteem)とは、心理学的には自己に対して一般化された肯定的な態度。

・社会心理学における自己の概念に関して、育み維持される自己評価。

・「ありのままの自己を尊重し受け入れる」態度。

・人格形成や情緒の安定のために必要な感情。

・他人からの評価ではなく、自分が自分をどう思うか、感じるかのこと。

・一時的に快感を与える、知識・技術・財産・容姿・結婚・慈善行為や性的な征服から生まれるものではなく、外に求めることでも人に与える印象でもなく、また、他者との競争でも比較でもなく、自分とも他人とも戦っていない状態。

・自尊心の起源には幼いころに大人から尊重され、価値を認められたか、励まされたかといったことがあるが、最も重要な影響があるのは、自分自身で選択してきたたということ。言い換えれば、自分の可能性を実現したいという気持ちから、生き方を変えるということから自尊心が育まれていく。

・自尊心の欠如は、不安・憂鬱・恐れ、アルコールなどの乱用、成績不振、暴力や虐待、自殺などにかかわっている。

Wikipedia

ということで、私たちの「あり方」「人生」に重大な影響を与えているのはなんとなくはわかるのだけれど、かなりフワフワした印象かと思います^^;;
(形がないものなのでしょうがないのですが...)

そこで次に、自尊心研究の第一人者ナサニエル・ブランデン氏の本を読んで、僕なりに理解した「自尊心とは?」についてお話ししたいと思います^^

・自分が有能であるといういういわゆる自信と、自分に価値があるという自尊の2つの要素から成り立っているもの。

・自分の意思で考え判断し、自信をもって選択するための土台となる、自分が価値があると感じている自分を信じる気持ちを尊重する態度、姿勢。

・自分が価値あると思っているものを他者に主張することで、他者との違いを認め、違いを受け入れる態度。

「自信を育てる心理学」ナサニエル・ブランデン著

いかがでしょうか汗

概念とはいえ、見えない世界の話は難しいですね……>_<


ということで、ここまでの話を踏まえて、一旦、僕なりの自尊心の定義的なものをお話しすると……

・人格形成や情緒の安定に重要な自己肯定感の土台と言えるもので、ありのままの自分のことを尊重し、誠実に受け入れる受容的、共感的な態度(姿勢、心構え)。

・他人の価値評価によって簡単には揺らがない、自分には価値があると思える態度(姿勢、心構え)。

・自尊心の高低は、養育環境からの影響(愛着)を強く受けるが、最も重要な影響力は自分の意志で人生の選択をしてきた自覚を持っているか否か。

吉田こうじ笑

という感じです。

プライドと自尊心は一緒? それとも?


自尊心と同じようなニュアンスで使われることが多い「プライド」。

英語では、

・自尊心ーSelf-esteem

・プライドーPride

そもそも綴りが全然違っていますね^^

ただ、プライドの意味を英和辞典でひいてみると「誇り・自慢・満足・自尊心」とあるため、プライドは自尊心を含意していると言えるのですが、気になるのがプライドに含まれる「自慢」という言葉。

「アイツはプライドばかり高い」「ガラスのプライド」という使われ方があるように、プライドには

・劣等感から生じる優越コンプレックス的な自慢

・自己防衛のための自己愛的な自慢

といったニュアンスも含まれているように思います。

そもそも、他者に優越するには、他者と自分を比較し相対評価する必要があるわけですが、この時の評価軸は他者です。
評価軸が自分ではなく他者ということは、比較対象者(評価軸)が変わるたびにプライドも上下に揺らぐわけで、そうした心の状態を「ガラスのプライド」「ハリボテのプライド」などと言ったりしますね。


一方、自尊心(Self esteem)は、これまでお話ししたように、

・他人からの評価ではなく、自分が自分をどう思い感じるかのこと。

・競争でも比較でもなく、自尊心の重要な原因は自分とも他人とも戦っていない状態。

なのですから、他者と比較したり競争していません。また、評価軸が自分自身ですからそう簡単には揺らぎにくいものといえます^^

もちろん評価軸が「自分」といっても、私たちは社会的な生き物ですから、あくまでも「社会の一員としての自分」「共同体の中の自分」という意味であって、自分勝手な自分を評価軸にしているという意味ではないですよ^^


ということで、自尊心とプライドは似ている言葉とはいえ、

・プライド=劣等感、脆弱な自己愛、他人軸

・自尊心=自己信頼感、自己肯定感、自分軸

と、背景には違うものがあるようです。

さて……

ここまで自尊心という目には見えないものについて、少しでもイメージを高めていただければと思い長々と話してしまいましたが、ここからは大人になってから自分でコツコツ自尊心を育む具体的なヒントに移りたいと思います。


自尊心を育むヒント①価値観の棚卸しエクササイズ


価値観とは「何に価値があるのか、何に価値がないのかを認める考え方」のことで、さらに言うなら自分が

・何を正しいとするのか?
・何を悪だとするのか?
・何を重要視するのか?
・何を軽視するのか?

こうした善悪をはじめ、物事を評価する際のその人にとっての「評価・判断基準」となるもので、人生のあらゆる場面における優先順位を決定する際の重要な基準になるものです。

また「価値観」には、人生観、恋愛観、仕事観、死生観などが含まれ、人が「どう生きるのか」「どうあるべきなのか」「いかに仕事に取り組むか」「仕事と家庭のどちらを優先するのか」なども、その人が持っている「価値観」によって決まります。

では、価値観をもう少し分解してみてみましょう。

「価値」とは、善・悪、好ましい・好ましくない、凄い・凄くないといった評価判断するときの根底となるものの見方。ものごとを評価・判断するときの判断基準のことです。

世の中には、法律やルール、社会規範、マナーといった善悪や好ましい好ましくないを決定する社会的に合意された共通の判断基準が色々ありますが、価値観はそれの「個人版」と言っていいでしょう。

人間関係でなんらかの悩みを抱える際、その大半は価値観の相違からきていると言っても過言ではないと思っています。

例えば「あの人があんなにひどい人だとは思っていなかった」といった悩み相談を受けることが少なくないのですが、こうしたお悩みは「価値観の見極め力不足」に端を発していると言ってもいいでしょう。

このように、その人の価値観の中身を丁寧に見ていけば「その人の生きる上での行動指針」や「生きる目的」など、その人を丸裸にできるくらい、様々なものを明らかにできたりします^^

ということで、私たちの人生に重要なインパクトを与える要因の一つに価値観があるのですが、自尊心を育むには「自身の価値観の把握(再設計含む)」が欠かせないと考えています。

というのも、自分の価値観がわからないと、他者の価値判断に盲目的に振り回されてしまう「被害者ポジション」から抜け出すことが難しく、それは結果として自尊心を育むことを阻害することにつながるからです。

そこで、まずは自身の価値観を把握するためのシンプルなエクササイズを紹介します。

必要なものは筆記用具だけです。

<ステップ1>

これからの人生で、自分の持っているお金や時間や労力…… 自分が保有しているリソースを投下するだけの価値が十分にあると思えるものを、できるだけ「ひとことで言い表せる言葉」にして20個程度書き出してみる。

※このとき、一枚の付箋紙に一つずつ書いていくと、この後のステップがやりやすいです。

(例)
表現すること、整理すること、健康、家族愛、貯金、自由、マイホーム、友情、進化、成長、心の安らぎ、学び など


<ステップ2>

書き出したものを一つずつチェックしながら、

「本当の本当にこれがこれからの人生で大切なのか?」

を自問自答し、違和感があるものを省いたり、新たに追加したり表現方法を変えるなどして、最終的に納得できるものを10個に絞り込む。

この時、注意したい点は「本当の本当に自身で納得できる言葉(価値観)なのか?」を徹底的に自問自答することです。

というのも、物心つく前から五感を通して受け取ってきた親(養育者)の価値観を、無自覚に「自分の価値観」として内面化していることが少なくないからです。

私たちは自分が想像している以上に、親(養育者)や置かれている環境から大きな影響を受けています。

このステップで大切なことは、

今の自分、そしてこらからの自分が大切にすることは全部自分で選べるし、自分で納得して選ぶからこそ、選択した結果に対して主体的に責任を取りたいと思えるし、それが結果として自尊心にプラスの影響を与える

というマインドセットをしっかり行った上で10個選ぶということです^^

ですので、

・自分の人生にとって本当に役に立つか否か
・本当に自分が納得できるか否か
・自分をハッピーにするか否か
・自分を守ってくれるか否か

こうした観点から自問自答しながら選ぶといいでしょう。


<ステップ3>

最終的に絞り込んだ10個に次は優先順位をつけてみます。このとき、付箋紙に書いておくと並べ替え(優先順位付け)が楽になると思います。


ここまでが、自身の価値観を洗い出し把握するまでのステップになります。


さて、問題はここからです。

自分の価値観が明確になるだけでも人生には大きなインパクトがあると言えるのですが、「いまさらながら「自尊心」とは?」のところでお話しした

自分のことを尊重し、誠実に受け入れる態度(姿勢、心構え)

を具現化するには、自身の価値観(特に優先順位の高いもの)を実生活に取り入れ、実際に価値観に対応して判断、決定、行動するという経験を積むことが欠かせません。

実際、自分が大切だと思っている価値観に関することに取り組んでいるときには、自然に心が満たされていると感じたり、無常の喜びを感じたり、自分らしく生きているといった充実感や達成感、満足感といった感覚、もっと言えば「自分で良かった」「生きてて良かった」といった自尊心が爆上がりしている気持ちを感じることができるかと思います。

そのためには、繰り返しになりますが自分が心から納得できている価値観を意識的に生活に取り入れることです。

普段はほぼ無意識状態にある自分の価値観に気づくことはとても大切なことです。ですが、いくら気づいても気づいていることを具体的なアクションに落とし込み、実際に自身の価値観を大切にしているという体験を積んでいかなければ、それはむしろ

・気づいた自分の気持ちを蔑ろにすること
・自分の気持ちを見て見ないふりをすること

になり、逆に自尊心を引き下げてしまうことにつながりかねません。

その点をしっかりと心に留めた上で、このエクササイズに取り組み、明らかないなった価値観を具体的な行動として生活に取り入れてみてください^^

自尊心を育むヒント②自尊心のマネジメント


自尊心を育むには、「自尊心は自分でマネジメントできる」という考え方を積極的に自分の中に取り入れることを個人的に強くおすすめします。

言い換えるなら自尊心を上げるのも下げるのも自分でコントロールできるという信念を持つということです^^

たとえば、自尊心が健全に育まれている人は、「自分の価値」に関する考え方や態度が、自尊心が脆弱な人とはかなり違います。

どういうことかと言うと、自尊心が健全に育まれている人は、たとえば「自分の弱さ」「自分の短所」「自分がおかしたミス」と、「自分の価値」をリンクさせて考えません。

考えないからと言って、自分の弱さや欠点、ミスを修正も改善もしないとか、誰かに責任転嫁するなど自己中人間ということではありません。

むしろ、修正が必要な部分は計画的に修正し、改善が必要な部分は計画的に改善に取り組みます。こうした改善姿勢は、周りの人たちからの好感度アップにもつながり、良好な人間関係となって現実に反映され、巡り巡って自尊心アップに跳ね返ってきます^^

これは、「自分の価値」と、自分の修正するべき部分(自分の能力や考え方、感じ方、行為)を切り離して考えようとコントロールしているからこそできることで、こうした姿勢、態度が、先ほどお話した「自分で自分の自尊心をマネジメントする」ということの一つの例です^^

一方、「自分の弱さ」「自分の短所」「自分がおかしたミス」などと自分の存在価値とをリンクさせてしまうと、それ以上、自分の価値が毀損されないように自分の弱さや短所を誤魔化したり、隠したり、他責にしたり、諦めたりといった「自己防衛反応」を反射的にとろうとします。

ですが、そうした自己防衛反応は周りには「言い訳」「誤魔化し」「自己正当化」「他責」と受け取られ、周囲からの信頼を失い、巡り巡って自尊心にマイナスに跳ね返ってきます>_<

このように自尊心を意識的にマネジメントすることは自尊心を育む上でかなり大切なことだと思っています。

そこで、この章では企業研修の中でインタビューを重ねて明らかになった「自尊心を意識的にマネジメントしている人としていない人」の主だった特徴を対比させながら紹介していくので、今後の自尊心マネジメントのヒントにしていただければと思います。

・マネジメントしている人
「私はこうしたい」といった主体的な動機や意義、納得している理由を持って取り組んでいる。

・マネジメントしていない人
「こうするべき」「こうするしかない」といった義務的、受動的な動機で取り組んでいる。また、たとえ納得できていなくても「仕方なく」「渋々」取り組むことを甘んじて受け入れている。

・マネジメントしている人
自分が取り組んでいることに価値を感じ、また主体的な目標を持って取り組んでいる。

・マネジメントしていない人
現状維持すること、今よりも悪くならないこと、悪い評価をもらわないことが目標になっている。

・マネジメントしている人
自分と同じように目標を持って取り組んでいる人、充実した生活に向かおうとしている人と関わろうとし、そうした人を惹きつけやすい。

・マネジメントしてない人
自分と同じように自尊心が低い人と関わりやすく、また、自尊心の低い人を惹きつけやすい。

・マネジメントしている人
困難な問題に突き当たった際、その問題を回避するのではなく解決しようと取り組む。

・マネジメントしてない人
「どうせ自分には問題は解決できない」「関係ない」「誰かがなんとかしてくれる」と自分に言い聞かせ自分を正当化する。

・マネジメントしている人
目標が達成したかどうかの基準は「自分が設定したゴールを達成できたかどうか」。

・マネジメントしてない人
目標が達成したかどうかの基準は「他人が認めるかどうか」。

・マネジメントしている人
初対面の相手に自分からすすんで自己紹介したり声をかけることができる。その際、自分の興味や関心ごとなども気軽にオープンにできる。

・マネジメントしてない人
誰かから声をかけてもらうことを待っている。声をかけられても自分に関することは最小限にとどめ、当たり障りのない話に終始する。

・マネジメントしている人
自分に対する助言やアドバイスを素直に受け入れる心構えがある。たとえそれが批判であっても、それはそれとして「一つの意見」として耳を傾ける姿勢を持っている。

・マネジメントしてない人
助言やアドバイスを批判、攻撃としてとらえる。そのため、わからないことがあっても助言やアドバイスを求めず、一人で抱え込みアップアップになりがち。

・マネジメントしている人
自分の間違い、落ち度を素直に認め、原因を分析し改善に取り組む。

・マネジメントしてない人
自分に間違いや落ち度があった際には責任回避、自己正当化を優先する。回避できない場合は自分を責めることで原因分析や改善から目をそらす。

・マネジメントしている人
集団の一員でありたいという健全な欲求を持ちつつ、周りに過度に依存することなく、相互協力関係の中で自分の居場所を作ろうとする。

・マネジメントしてない人
集団の一員でありたいという欲求が、孤独や孤立に対する恐れからくるもので、自己犠牲による評価獲得に向かったり、過度な依存に向かってしまう。

・マネジメントしている人
自分の言動に矛盾がないか、向かう方向性に一貫性があるかどうかに気を配り、自分の言動に主体的に責任を取ろうとする。

・マネジメントしてない人
他人の言行に気を配り、他人の向かう方向性から離れないように追随する。責任の所在を自分以外のところに見い出そうとする。

・マネジメントしている人
自分が取り組もうとしていることに自分なりの信念を持つ。自分の能力や可能性について根拠の有無に関わらず信頼を置く。

・マネジメントしてない人
自分が取り組もうとしていること、自分の能力や可能性に確信が持てない。周りが自分をどう評価するのかに意識を向けている。

・マネジメントしている人
逆境に遭遇した際、その逆境を「乗り越えるべき課題」「成長のチャンス」と捉え、乗り越え体験を積み重ねることでレジリエンス(逆境を乗り越える力、精神を回復する力)が鍛えられ自信につながる。

・マネジメントしてない人
逆境に遭遇した際、自分の境遇や現実を呪うなどして逆境と向き合うことから目をそらそうとする。逆境の乗り越え体験が少なく、レジリエンスが育まれない。

・マネジメントしている人
自分にとって価値があると納得しているものについては、他人がいくら低い価値評価をしても自分の信念を曲げない。かといって、低い価値評価をする人を排除したりもしない。

・マネジメントしてない人
たとえ自分が価値を感じるものがあっても、その価値に確信を持つための自己探求をしない。他人が高く評価するものには無条件で価値があると思い込む。

・マネジメントしている人
怒り、恐怖、不安、嫉妬など、ネガティブ系の感情が生じた際、それは自然なこととして素直に受け止め、そうした気持ちを生み出している「本音」にアクセスし自己理解を深めようとする。

・マネジメントしない人
ネガティブ系の感情が生じた際、その気持ちを反射的に封印したりポジティブ変換してしまい、自分の「本音」に共感的理解の姿勢を示さない。

・マネジメントしている人
いつからでも学べるし、学んだことは自分の力になるといった哲学を持ち、何歳になっても積極的に学びに投資しようとする。

・マネジメントしない人
「いまからじゃ、もう手遅れだ」「どうせなにをやっても無駄だ」といった哲学を持ち、学ぶことに後ろ向き(否定的)。学ぶことを諦めるために自己説得をする。


ざっとこんな具合です。
些細な違いと感じられるものもあるかもしれませんが、こうした違いが日々積み重なっていくのですから「自尊心をマネジメントする」というマインドを持っているかいないかが、いかに人生の質に影響するかは言うまでもないないと思います。

もちろん、その人の個性や置かれた環境によっても向き不向きみたいなものがあるかと思いますので、取り入れやすそうなものから日常生活の中で意識して取り入れてみるといいと思います^^

自尊心を育むヒント③身につけたい習慣や新たな取り組み


最後の章では自尊心を育むこと、マネジメントすることに役立つ身につけたい習慣や取り組みについて、難易度の低いものから順に挙げてみます。
(難易度の判断はあくまでも僕の主観です^^)

その1、身体的、精神的に安全で安心な環境を整える


「いつ、どこで、なにをされるか(言われるか)わからない」
「いつ、どこで、なにが起きるかわからない」

こうした、心理的安全性が担保されないばかりか、むしろ不安や恐怖がつきまとう環境におかれている状況では、自己防衛に全エネルギーを傾ける必要があるため自尊心を育むためのエネルギーが枯渇しがちです。

では、身体的、精神的に安全で安心な環境を整えるとは具体的にどういうことでしょうか?

たとえば、

・言いたいことを適切に表現するコミュニケーションスキルを身につける。
・仕事や生活に関連する法令の知識を学ぶ。
・不愉快な人間関係を整理すると共に、気の合う仲間を増やす。
・生活習慣を整える。
・体を鍛える。

...などなど、環境に目を向けていけば方法は他にも沢山あるかと思います^^


環境から私たちが無自覚に受けている影響は、思っている以上に大きいものがあります。

いい影響ならどんどん受ければいいのですが、悪い影響は避けるなり排除するなり主体的にコントロールしていかなければ内部汚染(自尊心への悪影響)は進むばかりです。

「私の心理的安全、安心を脅かしているもの(人)はあるか?」
「私に心理的安全、安心を与えてくれるもの(人)はなにか?」

こうした自問自答によって、自分でコントロールできる部分を地道に改善していくと、自尊心を育む取り組みも加速します^^

その2、自己認識(アイデンティティ)を明確にする

「自分はどんな人としてこの世界と関わるのか?」
「自分は仕事を通して誰にどんな価値を提供するのか?」
「自分は家庭生活を通して誰にどんな幸せを提供するのか?」

など、「私の役割はこれで、私はこうありたい」という自己認識が明確になると、「いまこの瞬間に生きている自分」や「未来の自分」に意味や目的を感じ、たとえ現実世界で嫌なことが起きたとしても、それに引っ張られることなく自己認識に則った生き方ができやすくなります。

ありたい自己認識像を明確にする際には、前述した自分の価値観を踏まえた自己像にすることが大切です。

人生において自分が

なにを優先し、なにを捨てるのか?
なにが善で、何が悪なのか?
なにが大切で、何がいらないのか?
なには譲れなくて、なには譲ってもいいのか?

こうした「選択基準」「物事の判断基準」が明確になっていると、外野の声に動揺して判断を歪めてしまったり、後悔につながる選択、判断を防ぐことができます。

なので、まずは「自尊心を育むヒント①価値観の棚卸しエクササイズ」のところで紹介したエクササイズに取り組んでみる。

なお、前述したエクササイズでは「人生の価値観」という大括りでの価値観について解説したのですが、自己認識を明確にする際にはさらに踏み込んで自分が担っているいくつかの役割における価値観を洗い出し、それらが対立したり矛盾しないようにするといいでしょう。

ここで言っている役割とは、

・家族といるときの自分
・仕事しているときの自分
・仲間と遊んでいるときの自分

などのことで、それぞれの価値観を洗い出し、優先順位づけを行い、その上で「私の役割はこれで、私はこうありたい」といった自分の行動指針を文章で作るのです。

その3、メタ認知を鍛える


メタ認知とは

自らの認知活動内容を認知しようとしている自分がいることを認知すること

です。

ちょっとややこしいかもですが、自分の認知活動(考え方・感じ方・記憶・判断・行動など)を感情にとらわれずに第三者的に客観的にとらえることと言い換えてもいいかと思います。

例えば、誰かと意見が対立した際に、メタ的な視点を持てないと、

「どうやって相手を言い負かすか?」
「どうやって相手に恥をかかせるか?」
「どうすれば自分を守れるか?」
「どうすれば嫌われないか?」
「どうすれば自分が恥をかかないで済むか?」

など「戦うか、守るか」みたいな感情的、本能的な思考や反応に終始してしまいがちで、結果、感情的に対立が激しくなるか、自分の意見を渋々引っ込めて遺恨を残すかの「よろしくない二者択一」に向かいがちです。

一方、メタ的に状況を捉えることができると、たとえ意見の相違が生じたとしても、それはあくまでも視点や立場の相違なのであって、人としての対立ではないという冷静なものの見方にもとづいて、例えば、

「意見の相違、対立を生み出しているものは何だろう?」
「どんな価値観があるから相手は一歩も引こうとしないのだろう?」
「互いに歩み寄れる価値観はなんだろう?」
「対立の構造を全く違う視点から見てみたらどうなるだろう?」

など、客観的、合理的な物の見方ができやすくなり、結果としてお互いが「Win&Win」になる方向にコミュニケーションを深めていきやすいと言えます。

他にも、メタ認知を習慣化することのメリットはたくさんあります。

例えば、深いレベルで自己分析したり自己受容するのに欠かせないのもメタ認知力で、深いレベルで自己分析や自己受容ができると情緒的にとても安定するので、結果として健全に自尊心を育むことにも役立ちます^^

「自尊心を育むヒント①価値観の棚卸しエクササイズ」で紹介しているエクササイズも、メタ的な視点から自分の価値観を俯瞰して観察してみるととてもやり易いはずです。

また、物事を選択したり決定したり行動する際に、自分で納得した上で選択や行動ができているか否かは、人生の質を左右する大きなインパクトをもたらすはずですが、そうした納得度合いを図るにもメタ認知力が役立ちます^^

ちなみに、YouTubeにメタ認知力のアップに役立つ解説動画があるので参考にしてみてください^^

https://youtu.be/C5Fk9FirjxA

ちなみに、自尊心が育むまれてくると、根拠なくいい意味で

・自分には能力や価値がある
・自分は大切にされる価値がある
・自分の存在、自分の行いには社会的に意義がある
・自分は社会的に有能である
・自分には可能性があり、まだまだ成長できる
・自分は環境にうまく適応し、うまく対応できる
・自分は社会の一員として、価値あるなにかを成している
・自分は社会の一員として受け入れられている

こうした感覚を持てるようになります。

各項目について最大10点満点としたときに、今は何点なのかを自己採点して現状を把握した上で、この記事の中で紹介したものの中から、取り組みやすいところからコツコツ始めてみるといいでしょう。


最後に……

人それぞれ個性や環境が違うため、一概にこうすれば間違いないといった絶対的な正解はないと思っています。

とはいえ、

・自分をリスペクトすること
・自分と同じように相手もリスペクトすること
・そのバランス(境界線)をメタ的に意識すること
・そうしたマインドを育むこと

これらについては共通して言えることで、あとはこれらを個性や環境に応じてどこまで掘り下げるかの違いだけのように思っています。

たとえば、自分をリスペクトする一つを掘り下げても、

・自分の価値観を知る
・自分のビジョンを知る
・自分の役割を知る
・自分のニーズを知る
・自分の思考癖を知る
・自分の反応癖を知る

など、自分という人間と向き合い、自己探求することは自尊心を育む上で欠かせないと思っています(これが結構辛いですが楽しくもあります)。

そうやって自分という人間の土台、あるいは軸みたいなものができたとき、初めて本当の意味での他者のこともリスペクトできるのではないかと思っています。

一般的にはこうした自己探求的な取り組みは、幼少期〜思春期〜青年期を通して自然になされていくかと思うのですが、なんらかの事情でタイミングを逃してしまった、機会を失ってしまったのであれば、改めて取り組むだけの価値は十分にあると考えています。

なぜなら人生の時間が長くなっているから。

僕も50代の半ばを過ぎましたが、きっとあと数十年は生きると思います^^

その数十年間を、自分らしさを見出せないままストレスを抱え、誰かや何かに振り回されて生き続けるのか、それとも自分らしくハッピーに生きるのか......

できることなら「終わりよければ全てよし」で終わりを迎えたいと僕は思っていますし、そういうエンディングを迎えることに役立つ一つが今回の自尊心を育むことだと考えています。

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