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哲学での起業―6年半の取り組みとこれから―

2017年5月、日本初の哲学コンサルティング会社 クロス・フィロソフィーズ(株) を設立してから、6年半が経つ。2019年に『日経』や『週刊ダイヤモンド』で大きく取り上げられて以来、企業やビジネス関連のイベントで講演することが多かったのだが、近年は、大学や学会などアカデミアからの依頼が増えた。

これまでに、北海道大学、筑波大学、京都大学ほか、個別の大学で講演・講義するだけではなく、JST(国立研究開発法人 科学技術振興機構)博士人材育成コンソーシアム、日本哲学会などでも「哲学での起業」をテーマに登壇している。ここでは、主に日本哲学会での報告*をベースにその内容を書き記すことにしたい。ただし、そのほかの場で講演・発表した内容も統合するとともに、適宜、加筆・修正して編集する予定であることを予め断っておきたい。
ver.1.0 2024.02.16(この記事は更新予定です。)

* 日本哲学会第3回秋季大会(2023年11月)「境界を超える哲学の諸事例:生き方としての哲学、世界哲学、哲学での起業」

なぜ、哲学で起業したのか

筆者は、哲学の博士号を取得した後、研究職を経て、2017年5月に日本初の哲学コンサルティング会社 クロス・フィロソフィーズ(株)を設立した。現在、その代表取締役社長を務めている。

大学の非常勤講師や学会の理事なども兼任しており、専門領域としては、A.N.ホワイトヘッドやW.ジェイムズ、F.H. ブラッドリー、S.アレクサンダーなど、プロセス哲学を中心に形而上学やコスモロジーを研究してきた。

会社では、そうした専門研究をもとに、組織開発、人材開発、経営者コーチング、哲学シンカー(ファシリテーター)養成講座、社会課題のリサーチ、哲学スクールなどの事業を展開している。ほかにも、商品・サービス・広告のコンセプトメイキングやアイデアワーク、価値観・世代調査などもおこなってきたが、この点は後述する。

これまでに、大手企業、大学、国立機関、NPO法人などをクライアントに仕事をしてきた。さまざまな雑誌・ウェブメディア・ラジオでも紹介され、2020年には『哲学シンキング』(マガジンハウス)、2021年に『活用於職場上的哲學思考』(商周出版)、2023年に『本質を突き詰め、考え抜く 哲学思考』(かんき出版)を出版している。2019年からは北海道大学 人間知・脳・AI研究教育センター(CHAIN)と、2023年からは京都大学 齋藤直子研究室と連携を組んでいる。

これまで研究職をしていたにもかかわらず、なぜ起業したのか。

一つの理由は、哲学の実践性に関わる。筆者は、英国出身の哲学者ホワイトヘッド(1861-1947)に関して博士論文を書き、上智大学文学部特別研究員PD、日本学術振興会特別研究員PD(東京大学)、非常勤講師と首尾よくキャリアを積んできた。通例であれば、その次は専任講師になるのが一般的だが、「大学教員になったとしても、果たしてどれだけ研究時間をとれるのか」「文献研究や応用哲学にとどまらない哲学のスタイルもあるのではないか」「今日における哲学の意義は何か」といった疑問を抱くなか、むしろアカデミアの外に出て、自身の哲学研究を現実世界との関わりのなかで深め実践的に展開したいと思った。これが、第一の起業理由である。

もう一つの理由は、人文学不要論に関わる。筆者自身は研究職のポストに恵まれてきたものの、起業する少し前には「文系学部廃止」が話題になっていた。しかし、これからは、社会課題や科学技術の研究開発・社会実装に際した倫理的課題に哲学の知見が必要だ、よりよい未来を創るには哲学の社会実装が不可欠だと考えるなかで、人文学不要論やポスドク問題を打開するような哲学の新たな活路を見出したいと考えていた。

実際、事業がうまくいった今では、文科省から人文系博士で起業したモデルケースとして意見交換を求められたり、大学やJST(国立研究開発法人 科学技術振興機構)などで講演を依頼されたりするようになった。この2~3年の間に、何人かの若手研究者から「自分も哲学で起業・開業したい」と相談が来るようにもなっており、哲学研究者の新しいキャリアパスやアントレプレナーシップを示すことができているのかもしれない。

さて、これら2つは哲学一般に関わる理由だが、どちらも筆者の専門研究とも深く関わっている。

筆者が研究してきた哲学者ホワイトヘッドには、草稿やメモといった史資料をほとんど残さなかったというエピソードがある。若い研究者たちが、どのようにホワイトヘッドが諸著作を生み出したかの説明に時間や労力を費やすよりも、自分の考えを追究するのに時間や創造的なエネルギーを費やすべきだと考えていたからだと言われている(Lucas [1984] p. 313)。筆者は、博士論文を書いた後、ホワイトヘッド哲学の方法論、あるいは哲学的なスタイルについて論文を書いたが、その研究を通じて「哲学とは何なのか」を考えるなかで、文献研究や論文・学会発表とは異なる哲学のスタイルがあってもよいのではないかという思いを強めるようになっていった。

事実、国際的な研究は、多様な展開を見せている。プロセス哲学の国際的な研究拠点 Center for Process Studies(米国クレアモント)では、2000年頃から毎年、映画を鑑賞してCommon Goodについて考える Whitehead International Film Festivalが開催されている。ホワイトヘッド形而上学をもとにアート作品を創作するアーティストもいる。筆者も参加した Erin Manning & Brian MassumiのConferenceでは、prehension(抱握)を体感するワークなど、文献研究や論文・学会発表とは異なる哲学体験をした。(筆者もアーティストとコラボして、ホワイトヘッド形而上学をインタラクティブに表現する作品を制作したことがある。Unityというゲーム用プラットフォームで、actual entityが生成し、prehensiveな関係が形成されていくプロセスを動的に可視化してみた。)

 米国クレアモントの Center for Process Studies(筆者撮影)
Erin Manning & Brian MassumiのConference(筆者撮影)

クレアモント大学院大学のキャンパス内には、ドラッカー・スクール・オブ・マネジメントがあることも興味深い。ホワイトヘッドは、1924年にイギリスから渡米し、ハーバード大学の哲学教授になったあと、ハーバード・ビジネス・スクールの経営学者や実務家と交流したり講演したりしている(P.F. ドラッカーに影響を与えたM.P.フォレットや、W.B.ドナム、 E. メイヨーなど)。そうした歴史的な経緯もあって「有機体の哲学」は経営学への応用研究が盛んである(例えば、世界的な経営学者・野中郁次郎氏は「知識創造理論」「SECIモデル」を提唱する際にプロセス哲学を参照している)。

筆者にとって、ホワイトヘッド哲学をビジネスやアートと融合させるのは、それまでの研究活動の発展・実践に他ならず、専門分野を超えてenterpriseとして哲学することでもある。ホワイトヘッドは、論理学・数学・物理学、自然哲学、形而上学・宇宙論を展開した後、文明論を展開するわけだが、象牙の塔に籠った研究ではなく、それを具体的・実践的な形で展開していくにはどうしたらいいか。いま、筆者は会社経営をして事業展開することで、自身の哲学を実践している。

哲学シンキングと哲学コンサルティング

だが、最初から事業がうまくいったわけではない。海外では、20世紀後半から欧米を中心に、哲学カウンセリングや哲学コンサルティングの動きがあった。対して、日本でそれをやろうとしても「どんな課題を解決できるのか?」「 売上にどう結びつくのか?」「専門的な話になると通じない」といった課題に直面した。後述する通り、こうした状況は、近年(この2~3年)、だいぶ変わったが、2017年当時は、企業が哲学を取り入れるなんて、そんな雰囲気では全くなかった。

それでも、インテリア商品販売事業者での対話型ワークショップと解釈図式の提案、機械学習を使ったソフトウェア開発事業者への倫理的助言、人工知能×哲学の文献講読セミナー、アーティスト向け哲学教育、東大やアカデミーヒルズでの講演など、いろいろと試行錯誤しながら実施してみた。その中で、いつも同じことを指摘されることに気づく。

「そのファシテーションすごいですね。どうやってるんですか?」

起業当時、ビジネスの世界ではデザイン思考が広まっていた。それと対比して自分のファシリテート手法を「哲学シンキング(哲学思考)」と名づけたところ、ビジネスパーソンとの共通言語になって、大手企業からの依頼が来るようになったり、メディアからの取材が殺到したりするようになっていった。2018~2019年のことである。

デザイン思考との関係性は後述するとして、哲学シンキングは次のようなステップを踏んでいく。(一見すると哲学対話のように見えるかもしれないが、理念・方法・経緯いずれにおいても異なり、実際に体験した人は全く異なるものだと口にする。)

まず、テーマを設定して、答えや意見ではなく、問いを挙げることからスタートする。次に、最初に挙げた問いをいくつかのグループ、例えば、「価値」をめぐる問い、「定義」をめぐる問いなどに分けていく。そのうえで、「なぜ?」「どういう意味?」と問いかけながら、「この点は違うね」「ここは共通するね」「さっきの議論と同じ前提があるね」と議論を深めていく。同様のことを別の問いのグループでも行うのだが、複数の問いのグループを掛け合わせていくなかで、「そもそもあの前提は正しかったのか?」「こういう概念を使っていたけど、実は全然違う捉え方ができるんじゃないか?」ということを引き出していく。そうした前提や概念の見直し・再構築をしていくなかで、より根本的な課題の発見や、斬新なアイデア、インサイトを発掘していく手法である。拙著『哲学思考』には、大手企業・ビジネスパーソンのケーススタディも載っているので、興味ある方はご覧いただきたい。

哲学シンキングの原理

さて、この着想は、ホワイトヘッド研究がもとになっている。専門的な話は別稿に譲るが、博士論文では「突発的破綻abruptness」という概念に着目して、関係性の解体と再構築の観点からホワイトヘッドの「創発emergence」を発展的に解釈しなおすということをした。その原理をビジネスの手法に落とし込んだのが「哲学シンキング」である。

筆者は、このメソッドをデザイン思考と掛け合わせた。デザイン思考には、いくつかモデルがあるが、IDEOやスタンフォード大学で確立されたモデルでは、「観察・共感」から「問題定義」「アイディエーション」「プロトタイプ」「テスト」という5つのステップを踏む。しかし、単にステップを踏むだけでは、「ユーザーに聴いても表面的なことしか出てこない」「良質なインサイト・着眼点が出せない」「問題定義やアイデアを出しても何を選べばいいかわからない」といった問題がある。

それに対して、哲学シンキングを図のように入れると、本質的な問いや何をしたいか/すべきかを見極めたり、当たり前を疑い、思考のフレームを拡張したり、立ち返るべき理念や価値判断の基準を確立できるといった、ソリューションを提供できる。

デザインシンキング×哲学シンキング

ただし、これはデザイン思考に限らず、商品・サービス・広告のコンセプトメイキングやアイデアワーク、価値観・世代調査などにも適用でき、企業の課題解決や、メソッドを習得する「哲学シンカー養成・認定講座」を実施してきた。『日経電子版』のストーリーや『週刊ダイヤモンド』では、ライオン株式会社など、企業でのコメントも載っているので、ご覧いただきたい(なお、『日経電子版』では、高校での哲学対話の文脈で掲載されているが、実際には、哲学シンキングと専門知を使った哲学コンサルティングで課題解決した)。

事業が軌道に乗り始めたのは、この頃からなのだが、「哲学に何ができるか/役に立つか」ではなく、「どのような事業であれば哲学(者)の事業=enterpriseとしてふさわしいか」を見定めていくなかで、現在は、本質や価値を追究する事業(=時に従来の本質や価値を逸脱する事業)、また、そうした人・組織が育つ仕組み・場づくりを中心とした事業展開をメインにしている。

一例として、組織開発や人材開発について取り上げてみたい。

いま、さまざまな企業では、「ビジョンやパーパスが他人ごとの言葉になっていて浸透していない」「同じ言葉でも理解しあえていない」「世代やジェンダー間でギャップがある」といった課題がある。それにより、特定の価値観が別の価値観を抑圧したり、組織において弊害が生じたりもしている。

それに対して、哲学シンキングや哲学の専門的知見を使って、「働きやすい職場」「女性活躍」「自社の存在意義」「研究開発の使命」といったテーマを深掘りしていくことで、意識されざる前提・偏見・世界観を引き出したり、解釈図式を提案したりする。最終的には、「課題やビジョンの言語化、構造化、可視化」「組織的な対話文化醸成、仕組み化」「社内外への発信、浸透」などを通じて、自社や事業の意義を探求し経営や企業活動に反映できるような自律的組織になる支援をしている。

こうした一連のフローも、ホワイトヘッド哲学、およびその応用としての経営学にもとづいており、いわば「有機体の哲学philosophy of organism」の実践・実装でもある。

以上のようなケースでも、哲学の専門的知見を活かして対話結果の解釈や解決策の提案をおこなうのだが、他にも、哲学の専門性を活かした仕事もおこなってきた。

JST-RISTEXでのELSI/RRIに関する運営支援(ワークショップの実施、リサーチ、リーフレットのデザイン・制作ほか広報など)、「未来への責任」「よく生きる」などをテーマにした人材開発(未来倫理やケアの倫理、正義の倫理、食農倫理、幸福論、科学技術史/STS/ELSIなど)、ダイバーシティー&インクルージョン研修、専門知を背景に個別プロジェクトのコンセプトワークやリサーチ、「実践型哲学スクールAcademeia Philosophica」、講演やシンポジウム登壇(大手企業や大学、中経連や経済同友会の関連団体など)である。また、最近はプロボノとして、高校生と社会課題に取り組む教育的・社会的事業もしている。

例えば、TOPPANと開発した「スペースイノベーションフレームワーク™」というものがある。2022年、TOPPAN ホールディングスのなかに哲学研究会が発足した。筆者は、その講師・アドバイザーとしてレクチャー・研修を継続的・体系的に実施している。2014年にApple Universityで政治哲学者ジョシュア・コーエンが雇用されたことが話題になったが、私の場合は、業務委託のようなかたちで請け負っている。

その仕事のなかで、TOPPAN、東大EMPの高梨直紘氏(東京大学特任准教授)、岡村定矩氏(東京大学名誉教授)、弊社で「宇宙天文学と哲学の知見を取り入れた研修プログラム」を開発した。これは「航行」「回顧」「把握」「責任」「覚悟」という5つのSTEPから構成されており、弊社は主に、人類の知の歴史や、科学技術と倫理、(ハンス・ヨナスなど)未来への責任などに関わるパートを担当している。売上利益や効果効率の短期的思考だけではなく、未来を見据えた長期的な視点で考え、事業や自身の仕事に反映させていくということをしている。

ほかにも(企業での事例は機密性の都合で紹介できないものが多いのだが)コンセプトワーク支援の参考例として、ELEMENT GALLERYを紹介したい。これは、リアルとフィクションを横断するギャラリーであり、中心があって実無限で広がっている。ELEMENT GALLERYという名称自体は弊社への相談以前に決まっていたのだが、「そもそもelementとは何なのか?」について、アトムやアルケー、モナド、actual entityとしてのelementの違いを考えたり、ライプニッツのモナド論を一緒に読んだりして、コンセプト、考えを整理・ブラッシュアップしていく協力をした。展示されているアート作品は実際に購入可能である一方、ギャラリーは実空間には存在せず、パラメータを変えれば風を強くするとか、地球上では実現不可能な展示もできたり、パラメータの異なる別の世界を作ったりもできる。では、そういった異なる可能世界の関係をどう考えるのか、といった哲学的な問題も生じてくる。

これは、あくまでも参考例であるが、企業でも哲学の専門的な知見を活かしながら、商品・サービス・広告のコンセプトメイキングやサービス設計を行ってきた。基本的には、自明と思われているある概念や考え方について、それは何なのかを問うような仕方で進められる。最終的には、コンセプトテキストに落とし込んだり、構造化・可視化したりする。

ここで紹介できなかったものも含めて、ほかにもいろいろな取り組みをしてきた。しばしば「哲学は役に立つか?」と問われるが、答えは既に出ている。「役に立つ」と。哲学は、関与者の声を聴きながら、言葉の意味を問い、真の課題解決に向けた分析・提案・改善ができる。

その際、歴史的な議論の軌跡や専門知が手助けとなるのはもちろんだが、私自身が大事だと思っていることは、その人・その組織特有の哲学・倫理や、そこで大切にされている言葉があって、それを内在的に深掘りする点である。その意味では、専門家が土足で踏み込んでいって問題を解決してあげるというよりも、人や組織、社会のリテラシー・コンピタンシーを育てること(あるいは自動詞として「育つ」こと)が、「哲学コンサル」のあるべき姿ではないかと考える。つまり、抽象概念を分解したり暗黙の前提を遡って問うたりして、真の課題や価値を追求する思考と姿勢や、ある課題解決がもたらすかもしれない別の課題を予見したり別の選択肢を考えられる人・組織が育つということである。

筆者は、起業したことで、個人や大学だけではできない事業を展開できるようになった。社会的インパクトや波及力、リアリティーを感じる哲学実践もできている。個人としても、自由な研究時間、研究スタイルができつつあり、会社での哲学の仕事、個人研究、書籍執筆、利害と関係ない事業もできる余裕ができてきた。冒頭で挙げた問い(「研究時間を取れるのか?」「哲学の新しいスタイルもあるのではないか?」「哲学の意義とは?」)に対して、自分自身の答えを獲得できたと思っている。

哲学×ビジネスの課題とこれから

しかし、哲学×ビジネスの関係については課題もあると筆者は考える。この点では今日において問われるべきは、「哲学は役に立つか?」ではなくて、「どのように哲学が人・組織・社会に根づいていくのが望ましいか?」だというのが私からの提案である。

ver.1.0 2024.02.16
(この記事は更新予定です。)


参考文献
Lucas, George R. Jr. “The Compositional History of Whitehead’s Writings.” International Philosophical Quarterly, Vol. 24 No. 3 Issue No. 95, Fordham University, 1984.
吉田幸司『本質を突き詰め、考え抜く 哲学思考』、かんき出版、2023年。
吉田幸司『哲学シンキング』、マガジンハウス、2020年。