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哲学を哲学する

中学生向けの国語講義で、哲学に関する文章を扱った。

非常に示唆に富む内容であったので、その一部を紹介しながら、現代哲学の意義について考察する。


[1]人間の知的能力とは

「何のための『教養』か」 桑子敏雄

この文章では、人間の知的能力を以下の赤と青の2種類に分けている。

筆者は「赤の能力」をメインとして、現在を生きる私たちが「いかに良い選択をして行動していくか」の重要性を説いている。

これは哲学に限らず世の中における主流の考え方であり、「今をどう生きるか」という話は最近よく耳にする。


[2]世の中を信じすぎない

この潮流に私は異議を唱えたい。

世の中は、決してそんな生やさしいものではなく、もっと複雑怪奇な、決して一筋縄ではいかないものである。

世の中の「流行りもの」が、マスコミによって作られた、いわゆる「誤誘導」であることは多い。

まともにその流れに乗りすぎてはいけない。

世の中がある一つの方向に傾きすぎているとき、私たちは必ずその反対側を意識しておく必要がある。


[3]「当たり前」を疑え

上の文章で言うなら「青の部分」である。

すなわち、「必然的な法則性」や「真理」を認識する能力である。

内容を補足すると、例えば「私たちが生まれてきた理由」「宇宙の存在意義」「死後の世界」などといった「哲学が扱わない分野」である。

私はこれまで何十年にもわたって哲学を考え続けてきたが、そこから明確な答えは得られなかったし、結局のところ「今を一生懸命生きろ」という宗教のお題目のような、ありきたりの答えでお茶を濁され続けてきた。

京大教授の哲学者・西田幾多郎に由来


前世や死後の世界のことなど一切考えることなく、「今」だけを取り出して、「今」だけを深く見つめろと言われるのだが、そんなことができるはずはない。

[4]人間の存在意義

私たちは元々どういう存在なのか。

そして、死後どのように進んでいくのか。

そういう前後の文脈なしに、一部分だけを切り取って、「今」だけに集中することなどできるはずがない。

いくら考えても腑に落ちない。

どこかにおかしなところがある。

これまで私たちは、学問・権威・マスコミといったものに無理やり納得させられ続けてきたが、やはりおかしいところはおかしいし、自分の中の違和感が消えることはない。

「哲学」と何十年も付き合ってきた私としては、次のステージとして「青の部分」を深く掘り下げるべきだと考える。


[5]地球とは何なのか

以下に、上の文章の結論を紹介する。

この筆者も「今」に集中するだけでは問題が根本的に解決しないことを承知しているのであろう。

最後に含みを持たせる形で文章を締め括っている。

地球 = 惑星 = 惑う = 迷う


哲学という学問は、物理的側面としての「地球上」での、「地球という枠内」においての、「閉じられた空間」における考え方である。

「地球上で」私たちはどう生きるか。

「地球上で」人生をどう充実させるか。

私たちはそのことばかり考えさせられ続けてきた。


[最終章]新説の可能性

しかしながら、その考え方は限界にきている。

「青の部分」すなわち「自然の必然的法則」や「真理」についての信頼が揺らぎ始めてきているからだ。

ネットの急速な普及により、私たちがこれまで当然の前提として考えてきた「進化論」や「相対性理論」の信憑性が揺らぎ、「天動説」を堂々と主張する人々すら出てきている。

しかも、これらは一定の説得力を有する。

決して馬鹿にはできない。

「量子力学」を少しかじるだけで、この宇宙がいわゆる「VR」のような仮想空間なのではないのかと思い知らされる。

私たちは、これまで当たり前に思って考えもしてこなかった「自然の必然的法則」や「真理」の部分について、もう一度深く考え直さねばならない。

そうやって私たちの土台をもう一度深く考え直すことで、私たちの「来し方行く末」(こしかたゆくすえ) を知ることができる。

それをしっかり認識できた上での「今」ではないのか。

私はそんな風に、現代哲学を哲学する。(了)

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