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企業が自分たちでウェブサイトを作らなければいけない不健全な社会

リクルートがやっている採用管理サービス「Airワーク」のテレビCMでは松本人志さん演じる企業の採用担当者が、面接にきた山田孝之さん演じる応募者にたいして、しきりに自分で作った採用サイトについて質問を求めるというシーンが描かれている。採用するために採用サイトを作ったのに、それが思いのほかうまくできたから嬉しくなって、本来の目的である面接がそっちのけになってしまっている状況がうまく表現されたCMだ。

Airワークのサイトには「驚くほどカンタンに、お客さま専用の採用ホームページが作れます」と書いてある。CMのようにそこそこ年齢のいった採用担当者であれば、自分ひとりでそれなりの採用サイトが作れたらまわりに自慢したくなるだろう。

私は企業のウェブサイトを作る仕事をしているが、採用サイトでもそれなりにちゃんとしたものを作ろうと思ったら100〜200万円くらいはかかってしまう。中小企業では人手不足に悩んでいても、それほど採用に予算をかけられないというところも多い。自分たちで作れるなら作りたいと思うだろうし、Airワークのようなサービスはかなりニーズがあるのだろう。

だけど、企業が苦労して採用サイトを作らなければいけないという状況はどうなのだろう。採用サイトにかぎらず、そもそもなぜ企業がウェブサイトを作らなければいけないのか。企業にかぎったことではない。飲食店も、自治体も、団体も、大学も、高校も、中学校も、小学校も、幼稚園・保育園も、病院も、テレビ局も、新聞も、政治家も、タレントも、個人も、みんな、ウェブサイトを作っている。この不健全さを指摘する人はあまりいない。

なぜカレー屋の主人が本で勉強してウェブサイトを作らなければいけないのだろう。そんな余裕があるなら、カレーにその力を使ってほしい。なぜ企業が何百万円もかけてウェブサイトを作らなければいけないのだろう。その費用は製品やサービスの価格に転嫁される。なぜ政府機関や国立の機関が何千万円もの予算をかけてウェブサイトを作らなければいけないのだろう。その財源は税金である。ウェブサイトを作る仕事をしている立場からすれば大歓迎な風潮だけど、でもこれは明らかに不健全な社会だと思う。

マーケティングや情報発信のためにウェブサイトは必要なものだけど、それを作るのに必要な労力がいまはあまりに多すぎる。この労力をかぎりなく小さくしていくことが求められるのではないか。

たとえば大学なら、文部科学省が大きなウェブサイトを作って、プラットフォームの中で各大学が情報発信をすればいい。飲食店なら、Googleビジネスプロフィールだけでいい。企業はマーケティングのために差別化する必要があるだろうが、デザインや見せ方ではなく、コンテンツの差別化に注力できる環境が望ましい。採用にしたって、かんたんに作るのではなく、作らないほうが楽に決まっている。職安のように情報登録すれば済む仕組みがあればいいだろう。その方がユーザーとしても、絶対に見やすいし、使いやすいはずだ。

ウェブサイトを作る仕事をしているからこそ、みんな必要以上に時間と労力をかけていることがわかるし、これは不健全な社会だと思う。

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